グラスヒュッテ・オリジナル「グラスヒュッテ腕時計100周年記念」コラム~「時計産業に新たな章を切り拓いた先駆者たちの物語

 From : Glashütte Original (グラスヒュッテ・オリジナル )



時計産業に新たな章を切り拓いた先駆者たちの物語~戦略家エルンスト・クルツ博士の卓越したマーケティングと、グラスヒュッテで初のクロノグラフ腕時計製造

グラスヒュッテ腕時計100周年を記念して「時計産業に新たな章を切り拓いた先駆者たちの物語」をご案内しています。今回は、一人の若き弁護士がグラスヒュッテの腕時計を商業的成功へと導いた物語「戦略家エルンスト・クルツ博士と卓越したマーケティング」と、博士の功績と言われる、当時の新たな基準を打ち立てた技術的傑作であり、「グラスヒュッテで初めて製造されたクロノグラフ腕時計の背景」を紹介させて頂きます。



戦略家エルンスト・クルツ博士と卓越したマーケティング戦略
昨年グラスヒュッテ時計製造技術180周年を迎えたグラスヒュッテ・オリジナル。今年は、懐中時計から腕時計のムーブメントが本格的に製造されてから100周年を迎えます。今からちょうど100年前、時計産業に新たな章を切り拓いた先駆者たちの物語をシリーズで紹介しています。今回は、一人の若き弁護士がグラスヒュッテの腕時計を商業的成功へと導いた物語です。

1920年代の経済危機を経て、グラスヒュッテがドイツの時計製造の中心地としての地位を維持するために残された選択肢は限られていました。姉妹会社のUROFAとUFAGにとっての成功は、急速に拡大する腕時計市場で確固たる地位を築けるかどうかにかかっていました。

その経営を託されたのが、当時38歳のエルンスト・クルツ博士でした。時計職人ではなく弁護士だったクルツは、最大の課題が世間の認知であることをいち早く見抜きました。当時、腕時計は懐中時計に比べて精度や信頼性で劣ると広く認識されていました。さらに、グラスヒュッテはこの新興市場においては後発組であり、まず卓越した腕時計を製造する地としての評判を確立しなければなりませんでした。

クルツは明確で一貫したマーケティング戦略を策定します。それは、今日であれば間違いなくリブランディングと呼ばれる取り組みだったと言えるでしょう。「懐中時計と肩を並べる腕時計」という言葉は、グラスヒュッテ時計の産業史上初の近代的なマーケティングキャンペーン活動の指針となりました。

彼はまた、強力なブランディングの力も理解していました。1935年に導入されたUROFAキャリバー58は、「Raumnutzwerk (空間効率に優れたムーブメント) 」という名称で広告やポスターに登場。この特徴的な名称は、伝統的な懐中時計のムーブメントで実証されていた工学原理をはるかに小型の腕時計のキャリバーに巧みに転用した、革新的な構造を際立たせるものでした。この戦略は大きな成功を収め、キャリバー58はグラスヒュッテで生産されたそれまでのどの時計をも上回る商業的成功を達成しました。

さらにクルツは、UROFAの最高級仕様のムーブメントに、「Tutima(トゥティマ)」という品質保証を導入しました。ラテン語に由来するこの名称は「信頼できるもの」という意味を持つ造語です。その特徴的なTau(タウ)のシンボルは、すぐに広く認識されるエンブレムとなり、UFAGが組み立てた多くの時計の文字盤に描かれました。
エルンスト・クルツ博士は1945年まで両社を成功へと導き、ソ連軍の侵攻を前に西ドイツへと逃れました。

第二次世界大戦終結後、UROFAとUFAGは国営のVEBグラスヒュッター・ウーレンベトリーベの一部となりました。クルツはグラスヒュッテに戻ることはありませんでしたが、今日でもグラスヒュッテの時計産業を現代へと導いた先見の明のある戦略家として高く評価されています。


当時の新たな基準を打ち立てた技術的傑作。グラスヒュッテで初めて製造されたクロノグラフ腕時計の背景にある物語
第二次世界大戦が開戦した1939年、UROFAはパイロットの要求に特化したクロノグラフ腕時計の開発を任されました。その技術的な要件は厳格なものでした。
-10°Cから 40°Cの環境下で、1日あたりの速度偏差は-3秒から 12秒の間でなければなりません。このムーブメントには耐震機構とフライバック機能が備わっていたと言われています。これにより、プッシュボタンを一度押すだけで短期計測の停止、リセット、そして即座の再スタートが可能に。さらに、ケースには、16気圧に相当する圧力に少なくとも90分間耐えられる性能が求められました。

これは、それまでにUROFAの設計者たちが受けた中で最も困難な依頼でした。グラスヒュッテでは、それまでクロノグラフの腕時計が製造されたことはありませんでした。そして、彼らは極めて短期間のうちに、過酷な条件下でも絶対的な信頼性を発揮する高度なクロノグラフ・キャリバーを開発しなければなりませんでした。その成果として誕生したのが、コラムホイール式クロノグラフを統合したUROFA キャリバー59です。



いわゆるパイロット用クロノグラフの量産は1941年に始まりました。しかし戦時中、たびたび部材不足に見舞われたことから、UROFAは繰り返し細かな調整を余儀なくされました。例えば、セカンドロッカースプリングとギアレバースプリングは当初のソリッド仕様からワイヤー製へと変更されました。また、ムーブメントの表面仕上げも段階的な変更が行われ、最初はゴールドでしたが、後に銀メッキ、そして終戦間際にはニッケルメッキのみとなりました。

1945年までに、合計で約15,000個のキャリバーと59本のパイロット用クロノグラフが製造されました。しかし、同社の機械設備と残存部品の在庫はすべて賠償の一環としてソ連占領軍によって没収されました。残ったのはUROFAの設計者と時計職人のノウハウであり、これらはVEBグラスヒュッター・ウーレンベトリーベへ継承。そして1954年、この時計をベースとした民間市場向けの小型版の生産が始まりました。

グラスヒュッテで初めて製造されたクロノグラフ腕時計であるUROFAキャリバー59は、技術的に重要な節目と見なされています。さらに、このモデルは世界初期の本格的なパイロット用時計の一つであり、今日に至るまでいくつもの時計のデザインに影響を与えています。
グラスヒュッテ腕時計100周年を記念して、先日発表されたグラスヒュッテ・オリジナルのセネタ・クロノグラフ ナビゲーターがこの重要な歴史的遺産を現代に甦らせています。





【お問い合わせ】
グラスヒュッテ・オリジナル ブティック銀座
住所:東京都中央区銀座7-9-18 ニコラス・G ・ハイエック センター4F
電話:03-6254-7266



[グラスヒュッテ・オリジナル]
真のマニュファクチュールによる時計製造の価値を受け継ぐグラスヒュッテ・オリジナルの歴史は、1845 年から一度も途絶えることなく続いています。ドイツ ザクセン州の町、グラスヒュッテにあるグラスヒュッテ・オリジナルのマニュファクトリーでは、伝統的な職人の技能と革新的なテクノロジーを見事に融合させています。豊かな伝統を持つこのブランドは、ムーブメントの全部品の 最大 95% に加え、精巧な文字盤までも自社で製造しており、最高水準のドイツの時計製造技術を誇ります。