シチズン 前人未踏の年差±1秒の精度を実現したCaliber 0100 開発者インタビュー/第一回【水晶振動子編】

 By : CC Fan


「趣味」の時計としては機械式よりも一寸劣る扱いを受けることも多いクオーツ時計、工業製品として見れば製品としての全体にかかっているコストや「手間」は生半可な機械式よりもはるかに必要なものの、大部分は初期投資(開発費)で、「工業」をバックグラウンドにした圧倒的な大量生産によって「割る」ことで単価は安価にできてしまったために「安物」と言う扱い、「工芸」の分かりやすさと比較し「工業」は分かりにくいためか「精度は出て当たり前」と言う扱いを受けている、と感じます。
このようなイメージが現在まで続いているのはクオーツ時計による市場の蹂躙・壊滅から、機械式の復権を成し遂げた功労者の一人でもあるハイエック・シニア(元スウォッチグループ総帥)をはじめとした「剛腕」の手法、スイスの「したたかさ」がいかに上手かったのかの証明でもありますが、イメージが普及してしまった結果、「機械式は無条件にクオーツよりも優れている」といった認識があるようにも感じます。

このような状況で改めてかつてない「高級クオーツ」にグループ創業100周年の記念として取り組んだシチズン、単なる高級クオーツではなく、年差±1秒という外部情報に頼らない自律型アナログ式光発電時計としては前人未到の精度を実現した超高精度エコ・ドライブムーブメントCaliber 0100を2018年のバーゼルワールドで発表しました。
既存の回路やアイディアを少し変更し、機構を追加した単なるモデルチェンジではなく、「世界初」を実現するために、あらゆるところを見直し、新しいアイディアを取り込みながら、シチズンとしての経験を活かした完全に新しいムーブメントとして開発され、高精度をバックグラウンドにした「1秒の美しさ」を表現する機構と回路を備えた傑作と呼べるムーブメントでした。

発表された時は懐中時計にケーシングした非売品でしたが、2019年のバーゼルワールドで腕時計として市販されることが発表されました。
この2019年のバーゼルの後、スイスのラ・ショー=ド=フォンの「観光」中、道でばったりお会いし私の同行者が先方を知っていたという、お話のような偶然で開発者の武笠氏、森田氏に個人的にいろいろお話を伺う事が出来ました。
今回、和紙文字盤の発売記念…で「良い機会」なので、満を持して個人ではなく、WMOとして改めて記事にすること前提のインタビューをお願いし、年差±1秒という精度をどのように実現したのか?という事を水晶・機構・電子回路システムといった各部門について詳細にお伺いしたのでレポートします。
改めて「クオーツ時計のスゴさ」を少しでもお伝えできればと思います。

まず今回お話を伺った開発者のプロフィールを紹介いたします。


武笠智昭氏(左)、小峰伸一氏(中)、森田翔一郎氏(右)。


武笠氏は、水晶振動子の選定や評価に中心的な役割を担い、特に精度評価について測定環境の構築から専用計測器の開発まで困難な課題の解決に挑みました。

小峰氏は1975年にシチズンが開発した年差±3秒の伝説的な年差クオーツ「クリストロン・メガ」の開発者を入社時の上司に持ち、高精度クオーツへの思いを継承し、Caliber0100の開発に挑む礎として開発チームを支えました。
水晶振動子やICの開発を担当し、武笠氏曰く、氏の「水晶振動子の師匠」とのこと。

森田氏は、ムーブメントの設計の中心的な役割を担い、バックラッシ抑制機構によりすべての秒インデックスに秒針を重ねて運針させる課題に挑みました。



直接ではないかもしれませんが、精神的?な「ご先祖さま」クリストロン・メガ、現在でも驚異的な年差±3秒をクオーツ腕時計の黎明期、1975年に実現したマイルストーン的な作品。



先程のお三方の写真は、クリストロン・メガの解説の前で…



今回、心行くまでインタビューを行わせていただけたので、「連載」として、【導入・水晶振動子編】【半導体・システム構成編】【機械編】【全体・総論編】の4部で構成しようと考えています。
今回は先ほどまでの導入に引き続き、水晶振動子について主に小峰氏に伺った内容をお送りいたします。

以降は、Q(質問:私が質問した内容)、A(回答:シチズンさんからの回答)、C(コメント:私の補足説明・解説)という形で基本的に一問一答に必要に応じて補足を追加する方式で進行いたします。


Q:年差±1秒という今までにない性能を実現するため、通常の腕時計に使われる32kHz音叉型と比較し、より安定度に優れる8MHz ATカット厚みすべり振動水晶を採用したと理解しました、対して一般的により高精度用途に使われ、安定度に優れる特性とされるSCカット水晶を使わなかったのはなぜでしょうか?

A:ATカット水晶は常温(摂氏25度)付近で温度特性が0に近づき安定度が高く、その前後の温度特性の変化も穏やかなため、温度補正の補正式の誤差を小さくできるからです。
SCカットは温度特性が0になるポイントが摂氏85度付近になり、常温付近ではむしろ激しく変化するため、ヒーターで加熱して温度を高温側で一定に保つOCXO(恒温槽付水晶発振器)には良いのですが、常温付近で使われる腕時計には向いていません。
音叉型は常温付近で温度特性が0になるのですが、その前後ではATカットに比べると温度特性は急峻になり、温度補正を行わない場合の精度は劣ります。

C:ここでは上記の質問と回答のうち、細かい要素について補足します。

「32KHzと8MHz」…記事中では周波数をキリの良い数字で表していますが、実際の周波数は32,768Hzと8,388,608Hzです、これは2の15乗と2の23乗の値で、実際のATカット水晶振動子のパッケージには有効桁数2桁で、8.4MHzと記されています。


シチズンのホームページより、水晶振動子のパッケージ。

周波数が2のN乗である理由は、高い周波数を入力し低い周波数を出力する分周回路(Divider)と呼ばれる電子回路が1/2ずつ(周波数を半分にする)タイプが最もシンプルに作れるためで、例えば1/2にする分周回路を15個並べ、周波数を次々に半分にしていけば、32,768Hzから1Hzを作ることができます。
これは大雑把に喩えると、高すぎる水晶の振動周波数を機械や人間にとって使いやすい周波数に減速する電気的な減速輪列と見ることができます。
1Hzの基準信号ができれば、これでモーターを動かすことで1秒ステップ運針ができます。

様々な方法を模索した時期の初期クオーツ時計には他の方法もありましたが、現在は2のN乗周波数と1/2ずつの分周を使う上記のバイナリ(二進数)方式が主流になりました。

「温度特性」…水晶振動子は温度によって、振動周波数が微妙に変化する性質、温度特性を持ちます。


シチズンのホームページより、ATカット水晶と音叉型水晶の温度による周波数シフト(日差換算で単位を揃えた)の図、ATカット(実線)がなだらかな変化なのに対し、音叉型(破線)はより大きく変化しています。
別途温度補正をするのであっても、元々の変化が少ない方が補正は行いやすくなります。

「○○カット」…人工的に作成した水晶の結晶から振動子になる水晶片を切り出すときの切断角度、この角度によって水晶の特性が決定される。ATカットは温度特性に優れ、一般的に広く使われる、SCカットはより高精度用途で使われる特定用途向けのカット、音叉型はATともSCとも異なる角度でカットした別カットを音叉型に成形する。

「厚みすべり振動」…通常の音叉型水晶は音叉の「脚」の部分が振動するのに対し、ATカット水晶は表面の電極に挟まれた厚み方向が滑るように振動し、振動周波数は厚みのみで決まる。

「OCXO」…精度に温度が影響するなら温度を一定にすればいい、の発想を基に、ヒーターで温めて温度を高温側で一定にした水晶発振器、高温にするのは温度を下げるより上げる方が簡単なため。
とにかく何をしても良いから安定を求める周波数標準などに使われるが、基本的にヒーター部分が「大食い」なのでエネルギーがカツカツの腕時計には使えない。



Q:音叉型の「姿勢差」は年差換算するとどれぐらいの影響があるものでしょうか?
クオーツが出始めの頃、この現象は確認されていたが「影響は少ない(実質無い)」とされているようでした。

A:一般的な月差レベルや年差±5秒であれば無視できるレベルの姿勢差でも、年差±1秒レベルになると無視できなくなります。
音叉型は音叉の「脚」が伸びている部分が振動し、その動きに重力の影響を受けるため、周波数がずれてしまいます。
具体的な値はホームページでも公開しているため、計算していただけると年差±1秒は難しい、という事が確認できるかと思います。
腕時計にクオーツを載せるために音叉型水晶が開発された時には、既にATカット水晶は存在し、消費電力以外の性能は優れていましたが、消費電力が大きすぎたため、そのままでは搭載できず、より周波数を下げるための手法として音叉型が開発されたという経緯になります。

C:実際に見積もってみました。



このグラフは文字盤上を基準とし、姿勢による水晶の発振周波数の変化を日差に換算したものを示しています。
ほとんど変化しない実線のATカットに対し、音叉型は姿勢によって周波数が僅かに変化し、1日にミリ秒(0.001秒)単位の周波数シフトが発生することを示しています。
もちろんこれは「文字盤上を0として、その姿勢を1日保ち続けた」場合の誤差であり、腕に付けていれば複数の姿勢によって誤差が打ち消し合いこのグラフの最悪値ほどの大きな誤差は出ないと予想されます。

しかし、年差±1秒の誤差を1年365日に均等に割った場合の値、±0.00274秒/日=±2.74ミリ秒/日の誤差と比較すると同じ桁(オーダー)であり、誤差が1方向に蓄積したとする最悪条件では、年差±1秒を保証することができなくなることが懸念されます。

音叉型が低い周波数を実現できる理由は音叉の「脚」が長いことによって固有の振動数が低いためで、これは低音の弦楽器ほど大きく、弦が長いのと同じイメージです。
ATカットでも数式上は厚みを増やせば周波数が下がりますが、「適切な厚み」があるため音叉型ほど周波数を落とすことはできません。



Q:水晶にまったく新しいカット方向・振動モードという様なフロンティアは残っている物でしょうか?
研究として新しいカットを見つけることもできるのでは?

A:一般的にも引き続き研究されていますし、我々としても「基礎研究」として常に可能性は探っています。
しかし、やはり実用化した時の市場性や、シチズンの名にふさわしい品質というものも考えると、ラボ(実験室)で成功したからすぐに市場投入レベルの実用になるというものでもありません、Cal0100の検討段階でも学術レベルのカットも検討しましたが、品質や再現性も含めた総合的な評価でATカットが良いという結論になりました。

Q:なるほど、実績のあるATカットの市場とそれを支えるインフラは強いという事でしょうか?

A:強いと思います。

C:ATカット水晶はコンピュータをはじめとした機器の「タイミングデバイス」で幅広く使われ、需要(市場)が大きく、それを支えるためのインフラ(周辺産業)も充分に育っているため、機械式時計のスイスレバー脱進機のような需要を根拠にして様々な関連技術の新規開発が行われ、既存のデバイスのコストが下がる、というよい循環が起こっていると考えられます。
ラボ(実験室)で動く、とそれを量産できるか、の間には大きな差があります。



Q:Cal.0100のATカット水晶8MHzは一般的な音叉型水晶の32kHzの256倍、振動を維持するためのエネルギー注入量は振動数の比率になりますか?

A:単純な周波数の比(256倍)にはなりません。
発振回路というのは自然発振している共振回路が消費したエネルギーを増幅回路が供給することで発振を持続させる回路です。
この消費するエネルギーは周波数のほか、水晶の振動モード、電源電圧と負荷容量で決まる蓄えられるエネルギー、クオリティファクター(Q値)などが関係して総合的に決まるため、周波数だけでは決まりません。
ただ、32kHz水晶は周波数が極端に低いため、それが支配的になって8MHzよりは消費電力が小さい、と言えます。

C:Q値(クオリティファクター:品質係数)は時計ではあまり取り上げられませんが、振動子の「質」を表現して比較するときに使われる値で、定義としては(共振器に蓄積されるエネルギー)/(1サイクルで失われるエネルギー)で、式があらわすように値が大きいほどエネルギーを外部から与えなくても振動が維持され、「綺麗に振動している」指標になります、極端な例ではQ≒∞であれば、一度始まった振動はほぼ永久に続くという事になります。
クオーツ時計が高精度な主な理由は、水晶振動子自体が機械式共振器や単純なLC共振回路とは比べ物にならないほど高いQ値を持っているためです。
ただ、Qが高くても温度によって物性が僅かに変化することにより、共振周波数そのものが変化してしまうため、高精度のためには温度による変化を補正する仕組みが必要となります。

Q:この水晶は「慣らし」を行って、選別しているのでしょうか

A:ATカット水晶自体は音叉型よりもエージング(時間経過)による特性の変化は小さいですが、より変化を小さくするため「寝かして」います。

C:どんなに完璧な生産体制を取ったとしても、「バラツキ」は発生してしまうため、最後には「要求したスペックを満たすか」を「確認(評価)」しなくてはならず、作りっぱなしというわけにはいきません。

しばらく(期間は非公開)寝かせて、初期不良や組み立て時のストレスを抜いて水晶を「のびのび」と動ける状態にします。
その後、細かい温度特性などを測定し、実際の補正に使うパラメータを算出します。



Q:水晶振動子を格納するパッケージングにも何か特別なノウハウが込められていますか?

A:パッケージを含め、平たく言ってしまうとこの水晶は、「単なる8MHz水晶」であればこんなに気を使う必要はない、というぐらい安定度を高めるための様々な工夫を施しています。
シチズン100周年を記念する一大イベントとしてグループ内の専門家が協力した結果がこのCalber 0100として形になっています。

Q:グループ内で水晶を作ることができるメリットが活きているという事でしょうか?

A:水晶の専門家であるグループ企業シチズンファインデバイスとやり取りしながら、細かい改良と試作を繰り返しました。
単純な会社間のB2B契約としてここまでの細やかなやり取りは出来なかったと思いますし、同じルーツを持つグループ企業として100年目、101年目にふさわしい作品を共同開発で作りたいという気持ちが無ければここまでのものは出来なかったでしょう。

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名実ともに間違いなくシチズン100周年にふさわしいCaliber 0100、今回はインタビューのうち、年差±1秒を実現するためのコアであるATカット8MHz水晶振動子についてレポートしました。
水晶振動子は機械式時計で言えばテンプと脱進機の様な最終的な性能を左右する中心であり、これが劣っていればいくら「補正」しても年差±1秒の性能は達成不可能なキーパーツです。
目立つところはもちろんですが、細かな所も地道な改良が行われており、その積み重ねとしての年差±1秒なのかな…という事を感じました。

そして、インタビュー録音はまだ1/4にも満たないため、引き続き、乞うご期待!



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