シチズンとギンザタナカの 100年の時を超えたコラボレーション、プラチナ950ケースの限定腕時計が発売開始!

 From : CITIZEN (シチズン )



シチズンとギンザタナカが100 年の時を超えてコラボレーション

プラチナ950 ケースの腕時計を数量限定で発売開始


●シチズンとギンザタナカがコラボレーションした、プラチナ950 ケースの機械式腕時計【3,960,000 円(税込)(税抜価格
3,600,000 円)】が数量限定16 本で発売開始しました。


それぞれ100 年を超える歴史を持つシチズンとギンザタナカが創業者を同じくすることから実現したこのコラボレーション。
シチズンの前身、尚工舎時計研究所が1924 年に『CITIZEN』の名で世に出した第一号の時計「16型懐中時計」をモチーフにデザイン。
ギンザタナカ製のケース素材は、変色・変質に強く安定した金属であるプラチナ950 を採用しています。一般的なプラチナ950 がプラチナ95%にパラジウム等の配合であるのに対し、このケースにはプラチナ95%に金5%を特別に配合したものを使用し、ステンレス並みの強度を実現しています。シチズンの自動巻きの機械式ムーブメントを搭載し、シースルーバックから覗くローター(回転錘)にはシチズン第一号時計の「16 型懐中時計」にも刻印されていた、創業時より今もギンザタナカに続く品質保証刻印である「☆S(ホシエス)」マーク、裏ぶたにはシリアルナンバーを刻印。専用ボックスと、シチズン、ギンザタナカそれぞれの歩みを解説する特製のミニブックレット(非売品)が付属します。

【参考過去記事】
https://watch-media-online.com/news/2695/




シチズンと、田中貴金属ジュエリー

腕時計と貴金属。身に着ける人を飾るという意味で、近しくも異なる業態の、二つの企業。そのルーツをたどると、同一の創業者にたどり着く血を分けた関係なのです。それぞれの道を歩み、創業から100年を超える今に至るまで、共同で開発を行うことはありませんでした。
一世紀を過ぎ、新たな時代のはじまりに、互いに原点を見つめ未来を思考する。ともに磨き上げてきた知見と技術を持ち寄り、1本の腕時計として結実。 田中貴金属ジュエリーによる、Pt950(プラチナ95%、ゴールド5%)の特別なケース。
シチズンが初めて世に出した第一号の懐中時計をモデルとしたデザイン。
変わり続ける時代に、変わらない意志と価値を残したい。数量限定16本の特別な時計です。

CITIZEN × GINZA TANAKA プラチナモデル
NA0010-04A
3,960,000 円(税込)
(税抜価格3,600,000 円)
限定数量16 本


シチズンが製造し、田中貴金属ジュエリーの店頭にも置かれた、第一号時計。

腕時計のモデルとなるのは、シチズンの前身「尚工舎時計研究所」が初めて製造した、第一号時計。外国産品に引けを取らない、高い精度を持った懐中時計です。すべての部品を国内生産した画期的なもので、田中貴金属ジュエリーの前身「山﨑商店」の店頭でも販売されました。この存在が、再びシチズンと田中貴金属ジュエリーをつなぎました

デザインのモチーフとした
「16 型懐中時計」


同じ創業者を持つ、二つの100年企業。
はじまりは、一人の人物の意志。

田中貴金属ジュエリーの前身「山﨑商店」。シチズンの前身「尚工舎時計研究所」。
二つの企業を起こしたのは、山﨑龜吉(1870~1944)。実業家であり、貴族院議員として政治にも参加。その功績は大きく、金の品質を表す基準を日本で初めて立案するなど、貴金属業界を強力に牽引しました。また、機械式時計を日本の産業として根付かせるべく、当時輸入に頼っていた時計の国産化に着手。その根底には、日本の「近代化」への熱い想いがありました



新たな時代を切り拓いた、二つの起業。

山﨑龜吉は、1870年(明治3)東京府荏原郡調布村(現・田園調布)に貧しい農家の長男として生まれました。父の借金などに苦労した山﨑は、社会的な信用がいかに大切かを痛感し、子供心に、実業家として身を立てる決心をしていました。
20歳の時、叔父が経営する貴金属装身具商「清水商店」に奉公。一心不乱に働き、業績を上げ、4年のうちにのれん分けをされると、経営権も譲渡されます。その後、社名をに改めます。


●田中貴金属ジュエリーの前身「山﨑商店」

実業家としての山﨑の信念は、己の利益のみを求めるものではありませんでした。事業を通じて業界そのものを振興させ、その先に、日本の成長に資するべき。貴金属業界を盛り立てるだけでなく、新たな産業を興すべく活動を始めます。輸入した懐中時計を装飾する鎖などの製造を通じ、時計に着目していた山﨑は、スイスやアメリカへ赴き時計製造の現場を視察。直感します。「時計の産業を根付かせることが、我が国の発展につながる」。
スイスから技術者を招き、懐中時計を研究、製造する「尚工舎時計研究所」を立ち上げます。


●シチズンの前身 「尚工舎時計研究所」

そこには、山﨑の二つの想いがありました。国産の産業を持つことで国を近代化させる、事業としての信念。もう一つは、市民の誰もが時計を手にし、そこに近代的な生活スタイルを生み出す、という願いです。

当時、携帯する時計といえば、懐中時計でした。
ほぼ輸入品であり、高級品。部品の製造まで含めて、一から時計をつくれる職人は、日本にはいませんでした。山﨑がまず始めたのは、人材づくり。時計の技術を学び、職人として育てる教育機関、尚工舎時計工業学校を設立したのです。
ないものは、つくる。技術者がいなければ、技術者を。部品がなければ、部品を。その部品をつくるための機材そのものさえ。その姿勢は、現在のシチズンにも確かに受け継がれています。そして研究と試行錯誤の果て、ついに生み出された第一号時計、16型懐中時計。その名も、「CITIZEN」です。



市民のための、国産時計。

第一号時計を販売するにあたり、山﨑は厳しい品質基準を課しました。
24時間経過したのち、実際の時刻とずれを生じる、その許容範囲。平らに置いた状態で、20秒。それ以外で30秒。当時の、欧米の製品に負けないための精度でした。それがクリアできなければ、販売は許さない。第一号とはいえ、決して妥協はしない。
価格もなるべく安価に。多くの人が買える値段で。時計を持つ、という新しいライフスタイルが、産業だけでなく、きっと日本人の生活も変えるだろう。山﨑は完成した時計の命名を、時の東京市長 後藤新平氏に依頼。後藤氏は山﨑の想いを深く理解し、「永く広く市民に愛されるように」と、市民を意味する「CITIZEN」と名付けました。その名が、やがてシチズンの社名そのものになります。


日本人の美意識を、欧米に負けない高みへ。

時計事業と同じく、貴金属宝飾事業においても、山﨑は奔走しました。数多くの功績の中に、ダイヤモンドの価値を日本に広めたことが挙げられます。宝石を、富の象徴としてだけでなく、身に着けることで人を美しくする装飾品としてデザインしたのです。美しく加工し、装飾し、例えば、女性の手元をかわいらしく飾る指輪として。 「ダイヤモンドの山﨑」と呼ばれ、ダイヤモンドの先駆者となりました。
宝石で身を装飾することで、人は美しくなる。美しさは自信になり、時には、宝石の輝きにふさわしい自分になろうとする成長の意欲もかきたてたでしょう。宝石をまとった欧米の女性、男性の華やかな姿。そこに肩を並べる美を、日本にも。美意識の面からも、山﨑は日本の近代化を考えたのです。



さらに、業界を発展させるには信用できる品質管理制度が必要だと考えました。
「K18」「K24」といった、金の品質を表す基準を整備。厳しい品質基準を一般化させることで、悪徳業者を排除しました。また、消費者が迷わずに買えるよう、各店によって差があった指輪のサイズも統一基準を設定しました。
品質を保証された美しい宝石や貴金属で、身を飾るよろこび。欧米に劣ることのない美意識を、日本で花開かせたのです。その執念とも言える品質と美の追求は、今も田中貴金属ジュエリーの企業姿勢の根幹として、深く根付いています。


異なる道の先、哲学と技術が交わるとき。
100年の研鑽、その結晶となる、1本の時計。

市民一人ひとりのため、技を磨き、精度を高め、また、革新性を追い求めるシチズン。 人を美しくするために、品質を追求し、優美と洗練を極めんとする田中貴金属ジュエリー。その研鑽が、100年の時を超えて重なり合い、一つの形をとりました。 神秘的な光を放つ、プラチナ95%のケース。マニファクチュールとして、世界最高水準の時計。
互いに原点を見つめ、その哲学を再び噛み締めながら、今ある最高の技術で、未来の時を刻む時計をつくりたい。
名は「シチズン × GINZA TANAKA プラチナモデル」。


Pt950。永く、永く、美しく。

ケースの材質は、Pt950。その組成はプラチナ95%と金5%。一般的なプラチナ950はパラジウム等の配合であるのに対し、このケースには金を配合、ステンレス並みの強度を実現しています。希少貴金属の専門家、田中貴金属ジュエリーならではの素材で、時計を納めるケースをつくりあげました。このプラチナがウオッチケースに採用される例は極めて稀です。



プラチナは、高い希少性、混じり気のない純粋性、そして、長い時間を経ても色褪せることのない永遠性が魅力です。身に着ける人を美しく飾りたいという純粋な想いと、その人の時間が、いつまでも幸福に刻まれていくようにという願いを込めています。



プラチナは柔らかく粘りがあるため、ケースとして加工するには高い技術が求められます。時計の機構を収めるために求められる精度は、非常に精細。精密に研磨するため、何枚の刃を潰したかわかりません。それでも、プラチナを。美しく輝き、想いをうちに秘めた貴金属をお届けしたいと考えました。




デザインは原点を写し取り、内部には、積み重ねたモノづくりの意志を。

第一号時計が誕生したのは1924年。一世紀前のデザインをモチーフに、現代的なアレンジを加えています。だからこそ、このデザイン性が時代の流行に左右されることはありません。山﨑龜吉は、時刻の正確さだけでなく、文字の視認性も大事にしました。くるわず、見やすく。その意思も丁寧に再現するデザインです。


シチズンが、100年研ぎ澄ましてきたもの。より正確に、より軽く、より少ないエネルギーで動くように。その精度を高めるため、あらゆる部品を自分たちでつくりあげます。極小の歯車は、人の手でなければ削り出せません。通常はプレスや切削加工で製造される歯車やバネなどの部品を、LIGA工法(微細構造物形成技術)を用いることで、より高精度に製造しています。
時には、理想とする部品を形にするため、必要な機械をつくることからはじめます。その技術の膨大な積み重ねを、内部に閉じ込めました。
山﨑龜吉が第一号時計に高いハードルを課したように、シチズンは自分自身にハードルを課し続けています。常に「市民に愛され、市民に貢献する」時計であるために。

品質の追求という、永遠の命題。
高品質の証、☆S(ホシエス)マーク。

山﨑龜吉が、モットーとしていた言葉があります。
「信用を重視し信用をもって生命とする」
貴金属業界を振興させるため、品質の高さは当たり前のものでなければならない。山﨑商店は業界最高水準の厳しい品質基準を設けていました。それをクリアした商品に刻まれたのが、「☆S(ホシエス)マーク」です。Sは、山﨑のルーツ、「清水商店」の名前に由来します。


CITIZEN × GINZA TANAKA プラチナモデル背面
回転錘に「☆S」マーク、シリアルナンバー

揺るぎない品質確保の証として、「☆Sマーク」は今でも田中貴金属ジュエリーの製品に刻まれています。山﨑商店で販売されていたシチズンの第一号時計にも、刻み込まれていました。
もちろん、今回の時計にも、そのマークは輝いています。


「16 型懐中時計」内部
ブリッジに「☆S」マーク


【特長】
[デザイン]
・プラチナ95%に金5%を特別配合したプラチナ950でつくられたケースは、シチズン第一号時計である「16型懐中時計」のイメージを残す、細縁で丸みのあるデザイン。
・あたたかみを感じる風防のデュアル球面サファイアガラスには99%クラリティ・コーティング(註1)を施し、高い視認性を確保。
・ブルーメタリックのカテドラル針は「16型懐中時計」の形状を模したデザイン。
・バンドはインデックスのツヤ感のあるブラックに合わせ艶のあるワニ革を採用。

[ダイヤル]
・文字板は金属生地を緩やかな球状に削り出し100年前の風合いを再現。
・インデックスは「16型懐中時計」から手書きでトレースしたものを、腕時計用にあわせて調整配置。

[ムーブメント]
・ムーブメントのローター(回転錘)には、品質の証である☆S(ホシエス)マークを刻印。
・ムーブメントは、「ザ・シチズン」に搭載されていた高精度ムーブメントを改良し搭載。

[ 註1] 99%クラリティ・コーティング:サファイヤガラスの面裏両面にシリコン化合物を多層構造コーティングすることにより光の反射を抑え、透過率99%の高い視認性を確保し時計の文字盤を見やすくしました。またキズがつきにくく、表面には汚れを防ぐ撥水膜を施し、耐久性と防汚性を向上させています。クラリティ・コーティングは、シチズン時計株式会社の商標です。


限定数量:16本
ケース/バンド:プラチナ950(プラチナ95%、金5%)、ワニ革(美錠:プラチナ950)
ガラス:デュアル球面サファイアガラス(99%クラリティ・コーティング)
サイズ:径37mm、厚み11.6mm(設計値)
主な機能:Cal.0910 機械式/自動巻き+手巻き/日差-5〜 10秒/持続時間約42時間(最大巻上げ時)/振動数28,800回/時/石数27石、5気圧防水、シースルーバック
メーカー保証:3年間メーカー保証

裏ぶたにシリアルナンバーを刻印した数量限定16 本のモデルです。
専用ボックスと、シチズン、田中貴金属ジュエリーそれぞれの歩みを解説する特製のミニブックレット(非売品)が付属します。



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