オメガ 「スピードマスター スーパーレーシング」のシリコン緩急調整システム「スピレート(Spirate)」を「推測」する

 By : CC Fan

オメガ 「スピードマスター スーパーレーシング」のシリコン緩急調整システム、「スピレート(Spirate)」を「推測」する


機械式時計としては驚異的な日差0~+2秒と言う性能を携えて発表された
オメガの新作、スピードマスター スーパーレーシング(Speedmaster Super Racing)。
(参照: https://watch-media-online.com/news/6650/ )



「高精度」という謳い文句を数字の裏付けを持って証明し、実現する微動調整のために新開発のスピレート(Spirate=Spiral + Rate)システムと名付けられた緩急調整機構が採用されました。
興味深いこのシステムがどのよう仕組みで何を狙っているのか、「いつもの」で「推測」してみようという事でレポートします。

さて、上記のニュースにいきなり答えらしきものが書いてあります。
「弾力性のあるベアリングを用いた高精度な連結構造設計をベースとした新たな手法」という一文から関連する技術が思い浮かんだため、まずはそれを調べます。





フレクシャ(Flexure)ベアリング、またはフレクシャピボットなどと呼ばれる比較的新しい技術で作られたベアリングです。

複数の部品が接触しながら組みあがっている一般的なベアリングと異なり、フレクシャベアリングは複数の「たわみ(弾性変形)」を発生させるフレクシャ要素を組み合わせた一体成型の部品で、各フレクシャは容易に動くことが出来る方向の自由度(Degree Of Freedom)とほとんど動けない拘束条件(Degree Of Constraint)を持ちます。
複数のフレクシャを組み合わせ、求める動きにだけ自由度が残り、他は拘束し合うようにすることで任意の動きを実現できます、上記の例では交差するブレードフレクシャを組み合わせて1回転のみに自由度が残ってベアリングとして働きます。

一体型部品で動くために必要な遊び(バックラッシ)が原理的に必要なく、全ての支持部分がバネ要素で支えられているため部品がるれることもなく摩擦も発生しません、この特性によりバックラッシや摩擦を廃した高精度の位置決め機構として使うことが出来ます。
逆に、構造から推測できるように可動範囲はたわみが弾性域に収まる範囲のみなので、ベアリングとは言っても無限に回すことはできず、設計上の制約となります。

このフレクシャ機構を上手く使ってシリコンひげゼンマイに緩急調整システムを組み合わせたのがスピレートシステムと理解しました。
まずバックグラウンドを見ていきましょう。



シリコンひげゼンマイを使ったテンワは基本的に緩急針を持たないフリースプラング方式のテンワです。

これは、材料としてのシリコン自体は弾性に富んでいるものの、弾性変形以上に変形すると通常の金属のように塑性変形するのではなく割れてしまう(脆性材料・室温条件)性質があり、細かい傷が成長して割れてしまう問題もあるためヒゲゼンマイと緩急針が接触して力がかかる緩急針方式は向いてない、という事と理解しています。
そのため、バネ-質量共振系において、バネ側(ひげゼンマイ側)は作ったままで、質量側(テンワの慣性モーメント)を変化させて固有振動数を変化させるフリースプラング方式を使っています。
以前も解析したように固有振動数と言うのはバネと質量の「比率」なので、どちらかを変えることが出来れば調整可能です。

しかし、一見理想的なフリースプラングにも課題はあります。
まず、調整範囲が相対的に狭いこと、そして、上記のオメガの方式のような横方向にネジを出し入れするタイプの場合は組み上げた後、特にケーシング後の変動に合わせて調整をするのは手間がかかる事です。
これはケースやテンワブリッジによって塞がれてネジへのアクセスが困難、という事です。


緩急針であれば一番手前(ブリッジの上)にあるため、ケーシング後も裏蓋だけ開ければ簡単に調整することが出来ます。
簡単に調整できる、という事はその分手間をかけて追い込むこともできるという事です。

この緩急針の利便性はそのまま、シリコンひげゼンマイを調整できる機構が実現できて、さらに調整も細かくできる…そんな条件を実現したのがスピレートシステムです。


スピレートシステムは今までの固定端のシリコンひげゼンマイの端にフレクシャリンク機構、リンク機構を操作するテコ&バネ要素レバーを追加し、反対側の可動側から緩急調整ダイヤルで動かして緩急調整を行います。



慣性モーメントを変化させるテンワ側のネジも残っていることから、この機構はテンワ側のモーメント調整を完全に置き換えるものではなく、ムーブメント組み立て後・ケーシング後により精度を追い込むための機構であると考えられます。
テンワ単体ではスピレートシステムがセンター位置の状態で精度を合わせこみ、組み立て後・ケーシング後に様々な影響で発生するズレはスピレートで更に追い込む…と言うシナリオと考えました。

緩急調整ダイヤルを動かすことで、ダイヤルのカムが可動側を緩急針のように回転させ、テコ&バネ要素レバーに力が加わります。



テコ&バネ要素レバーの可動側が大きく動くと、テコの原理でフレクシャリンク機構側は小さく動きます。
これによりより細かく動かし調整を細かく行えるようになっている(微動機構)と考えました。

レバー自体にもバネ性があり、このバネ性を使ってフレクシャリンク機構へ圧力を加える、衝撃を吸収、そして緩急調整機構全体もバネで押し返してバックラッシを抑制するなどの機能も担っていると考えられます。




レバーから加わった力でフレクシャリンク機構が動き、テコ&バネレバーとフレクシャリンク、ヒゲゼンマイの関係で決まる「仮想ヒゲ端」の位置が移動します、「ヒゲゼンマイの取り付け部の剛性を調整することができるようになった」と言うプレスリリースの文面から推測すると位置だけではなく、取り付け剛性も変化させたのと同じ効果があるようです。
これらにより、ゼンマイの有効長の変化(位置の効果)やバネ定数の微調整(取り付け剛性の効果)という結果が得られそうです。

ここまで見てくるとこれは緩急針と言うより、ひげ持ちそのものを動かしているようなイメージではないか?とも思えてきます。
ただし、ここまでの動作はかなり定性的なイメージで、実際には非線形要素の塊であり、一筋縄ではいかないでしょう。
おそらく、巻き上げヒゲなどにみられる形状を数式で表す「数式解」は得られず、座標の集合としての「数値解」しか得られないと考えられます。
ただ、現在はコンピューターがあるためCAE(コンピューター支援エンジニアリング)による解析、そして試作によって確認すれば問題はないでしょう。


フレクシャリンク機構を最大限簡易化してみると四節リンク機構としてテコ&バネ要素レバーからの入力でヒゲ端を動かすように見えます。
ただ、上記の図では剛体として示している各節が実際にはバネ、しかも方向によってバネ定数が異なる異方性バネなので条件は一気に複雑になります。

理論・方式だけではなく、それを実際に実現し量産する工業力を兼ね備えたオメガだからこそ作りえた機構、と言えそうです。




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