オメガのシリコン緩急調整システム「スピレート(Spirate)」詳細レポート

 By : CC Fan

機械式としては驚異的な「日差0秒~2秒」を実現する緩急調整システム「スピレート」を搭載したオメガの「スピードマスター スーパーレーシング」
、発表直後に「推測」としてシリコンのフレクシャ技術による緩急調整である、と予測しました。

今回、オメガのプロダクトVPのGregory Kissling氏がスーパーレーシングとクロノチャイムを携えて来日、それぞれの技術説明を行った上に質問できるプレスイベントが行われ、より詳細を伺ってきたのでレポートします。



クロノチャイムは後ほどまとめるとして、まずはスピレートを見ていきます。

まず、予測に対する「答え」としては、変化させているのはヒゲ持ち相当部分の剛性であり、剛性変化がバネ定数の変化としてゼンマイのバネ定数に直列接続されることで全体のバネ定数を微調整している、と言う仕組みだそうです。


  
まず、バネ-質量振動系の復習から、バネ定数Kと慣性モーメントIの比率の平方根によってテンワの共振周波数f0が決まります。
この式から、バネ定数または慣性モーメントの値を変化させてやれば比率(の平方根)である周波数が変化し、歩度調整が行えることが分かります。



オメガが使っているマイクロアジャストスクリューや、イナーシャブロック(マスロット)を使った方式はひげゼンマイのバネ定数を固定し、慣性モーメントを変化させます。



例として挙げられたのは、アイススケート選手の回転で、手を開いたり閉じたりすることで回転速度が変化するイメージです。
慣性モーメント側を変化させる方式であればひげゼンマイ側に余計な付加物がないフリースプラング方式を実現できます。



逆に、伝統的なシステムではヒゲゼンマイを緩急針と言う部品で押さえることでバネ定数を変化させて周波数を調整します。
この方式はブリッジ側から調整しやすいメリットはありますが衝撃に弱く、ヒゲゼンマイに緩急針が接触するためシリコンには使えないというデメリットもあります。
逆に、マイクロアジャストスクリューによる調整は調整箇所がテンワの内側にあるため調整には専用の装置が必要で、オメガの工房であればともかく、現場ではなかなか行えない、と言う問題があります。

この二つの方式の「良いとこどり」をしてシリコンを使いつつブリッジ側から緩急調整が行えるようにしたものがスピレートシステムです。



システムはシリコンヒゲ持ちに「フレキシブルベアリング」による剛性調整機構をつけたような構造で、メインのヒゲ持ちの180度対抗部分にある追加の調整用スプリングに圧力をかけることでヒゲ持ちの剛性を微妙に変化させ、バネ定数Kを変化させる方式です。

シリコンを使っているにもかかわらず、緩急針のようにバネ定数Kそのものを変化させることができ、緩急針のような予期せぬ接触がないため安定度も高いとされています。


ヒゲ持ちに取り付けられたカムが調整用スプリングを押すことでスプリング経由で力が加わります、この力によってバネ定数が微小変化(詳細は後述)することで緩急調整を行います。

この緩急調整は、マイクロアジャストスクリューによる慣性モーメント調整を置き換えるものではなく、出荷時の調整は慣性モーメント側で行い、スピレートはそれを補完する形で更に「追い込む」ことでCOSCやマスタークロノメーターよりもバラつきの少ない高精度を安定して実現することを目標にしています。



その結果、COSCはもとより、マスタークロノメーターよりも厳しい日差0秒~+2秒と言う精度を安定して量産できるようになった、という事が示されました。



スプリングを押すスネイルカム、と言うディティールはオメガの天文台クロノメーターキャリバーの緩急針から着想を得たそうです。

ではスピレートがバネ定数を変化させるのは何をどう行っているのでしょうか?

スプリングで圧力をかけることで、ヒゲ持ち部分に成形された「ブレード」形状のバネ定数を変化させることで全体のバネ定数を変化させています。

形状で決まるヒゲゼンマイ部のバネ定数Kspringに、調整用スプリングからの圧力で変化するブレード部分のバネ定数Kbladeが直列接続されていて、Kbladeの変化によって全体のバネ定数Kspirateも変化する仕組みです。


形状からヒゲゼンマイのバネ定数Kspiralよりもブレード部分のバネ定数Kbladeの方が大きい(すなわち硬い)と考えられます、そのため逆数では1/Kspiralの方が大きく、支配的な項は1/Kspiralであり、1/Kbladeは極小の調整を行っている、と見做せそうです。

この方式により、形状のみで決まるヒゲゼンマイのバネ定数Kspiralを変化させることなく、全体のバネ定数Kspirateを変化させることができました。

ではこの方式のメリットは何でしょう?



メリットとして挙げられたのは、7点。抄訳すると、

1.動作中(テンワが動いている時でも!)にも調整可能で所要時間が短い
2.カム部に設けられたスケールで調整量を直読できる
3.調整に対して反応が良い
4.簡単に扱える
5.1つの簡単なステップで高速に調整できる
6.テンワのバランスを崩してしまうリスクがない
7.調整時に共振器に触る必要がなく安全

個人的に特に重要と感じたのは6と7です。
マイクロアジャストスクリューやイナーシャブロックは慣性モーメントを調整する上に重心が偏る片重りを避けるために複数の錘がテンワに対称に取り付けられています。
この複数の錘を「同じだけ」動かさないと慣性モーメント以外に重心位置が変わってしまうため姿勢差や歩度悪化の弦委になります。
また、テンワそのものに触らないといけない、と言うのはダメージを与えるリスクが常にあります。

対して、スピレートであればブリッジに取り付けられた調整用カムを回すだけであり、テンワは触らなくてよいため緩急針並みの使いやすさ、と言えます。
経年変化で歩度が変化した時も裏蓋を開けるだけで調整機構にアクセスできるのは心強いでしょう。



会場には大きなスピレートの模型も。
向かって右がヒゲ持ちと調整用スプリングの角度を調整する調整カム、向かって左のネジはヒゲ持ちと調整用スプリングの角度を保ったままヒゲ持ちを移動させビートエラーを調整するためのネジです。



ヒゲ持ちの位置を調整し、テンワの停止位置と脱進機のインパルス位置を調整している様子。



調整用スプリングのブリッジには+/-の表記も。
カムによって動く方向を表しているようです。



スピレートの要、シリコンひげゼンマイを作るためのシリコンウエハーも。
この量が一気に均一に作れる、と言うのはスゴイですね…


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