幻のウォッチメーカー WINNERL(ヴィナール)

 By : NOBLE STYLING GALLERY



本日は「時の記念日」です。こんな日には、時計の知られざる歴史について考えてみるのも良いことです。そこで今回は、かつて「時計師のなかの時計師」と称されたウォッチメーカーをご紹介いたします。


1800年代前半に存在した幻のウォッチメーカー、ヨーゼフ・タデウス・ヴィナール(JOSEPH THADDÄUS WINNERL)についてご紹介いたします。

これは、彼の業績に感銘を受けてブランドを復活させた、自身もウォッチメーカーである、ベルンハルト・ツヴィンツ(Bernhard Zwinz)より特別な許可を得て、ページを日本語化したものです。

知らなかったこと満載の記事でございます。ぜひお読みください。



ヨーゼフ・タデウス・ヴィナール(JOSEPH THADDÄUS WINNERL)
 

THE WATCHMAKER'S WATCHMAKER 

ウォッチメーカーの中のウォッチメーカー

ウォッチメイキングの歴史は、多くの創造的な天才の作品で満たされています。世界的に有名になったこれらの偉人の中でも、今日ではほとんど知られていないのがヨーゼフ・タデウス・ヴィナール(JOSEPH THADDÄUS WINNERL)。オーストリア出身で、唯一国際的に認められたウォッチメーカーであり、発明家でした。彼は、1799年1月25日に、今日ではシュタイアーマルク(Steiermark)と呼ばれる州のオーストリアとスロベニアの国境に近い小さな町、ミュレック(Muerch, 現在ではMureck)で生まれました。この地域は何世紀にもわたってオーストリア帝国にとっては不可欠なものであり、そのルーツは1180年のシュタイアーマルク公国成立にまでさかのぼります。


見習い時代

非常に若くして彼は家を出て、グラーツのゲオルク・シュミット・フィデル(Georg Schmidt Fidel)、アルトーナのケッセルズ(Kessels)、コペンハーゲンのウルバン・ヤーゲンセン(Urban Jürgensen)など、各地を転々としてウォッチメイキング修行のための見習いとして勉強をしました。そして1892年からはパリで、有名なブレゲ(Breguet)のもとで学びました。1832年、すでに彼はパリにて、マリン・クロノメーター、ポケットウォッチ、クロックを製造しビジネスを展開していました。瞬く間に、彼の名声は国境を越えて広がり、フェルディナント・アドルフ・ランゲ(Ferdinand Adolf Lange)は彼の弟子となるべく、5年間パリに住み、フランス語を学びました。ランゲは、ヴィナールのアトリエでの修行にて、4分の3プレートのムーブメント、ダイアモンドのエンドストーン、ねじ込みシャトン、安定したムーブメントのための完璧なエレメンツとデザイン、そして機能性の魅力に触れました。そしてそれが今日でも、ドイツのウォッチメイキングでも広く採用されているのです。


発明者

コルニュ(Cornu)による高速度定義の際、使用されたクロノグラフ・チャート



アリスモーレル(Arithmaurel) – 機械式計算機

時計および科学機器を数多く発明、製作してきたヴィナールは、今日でも搭載されているすべての機械式クロノグラフにおけるゼロリセット機構など、すべての機械式クロノグラフの中心となる機構開発の責任者でした。なかでも最大の功績は、1831年の自由に秒針をストップ、リスタートすることのできるセコンドストップ機構を備えた最初のポケットウォッチの発明であるということができます。その後、ひとつのイベント中に2つの瞬間を同時に計測するための、現代で言うところの、スプリット・セコンド機構の前進である、2つの秒針を重ねたポインター・メカニズムを発表し、1840年ころ、当時、誰も製作したことのない、最初のトリプル・スプリットセコンド・クロノグラフ機構を搭載したポケットウォッチを発表しました。

ル・モンド・イリュストレ – パリ天文台 (ル・モンド・イリュストレ : 1857年パリで創刊された絵入り新聞)

パリ天文台の大型ドーム


 パリ天文台の大型望遠鏡

パリ天文台
パリで10年間過ごしたのち、1839年に彼は最初の金メダルを獲得しました。その後、1850年にパリ天文台のウォッチメーカー、1873年に海軍のクロック専門職任命をはじめとした、数多くの賞を授賞しました。彼の製作するクロックとウォッチは極めて正確であり、単純な注油と洗浄することで、前世紀の1970年代に原子計時が確立され受け入れられていた後でも、フランス海軍ではまだ使用されていました。パリ天文台での在籍時と一致して、クロノメーターの計時におけるヴィナールの専門知識が、1862年に天文台で行われたジャン・ベルナール・レオン・フーコー(Jean Bernard Léon Foucault)の光速度の精密測定など正確性を持ったタイミング測定などの、基本的ないくつかの初歩的な発見がなされました。また彼は、最初の機械式計算機であるアリスモーレル(Arithmaurel)の構築にも深くかかわっていました。アリスモーレルは、さまざまなクロノメーターとともに、当時のさまざまな天文計算や発見に大いなる役割を果たしたことでしょう。


21世紀 – 復活

ヴィナールの業績と影響は恐るべきものでした。それでも彼の名声は、後継者の不在と、彼と同時代を生きた多くの人のように、裕福でファッショナブルな貴族のクライアントたちの注目をひかなかったという事実のため、時計の歴史から消えていきました。ウォッチメーカーとしての彼の唯一の関心は、7つの海で安全に船を導き、宇宙の秘密を探る科学者を支援することであり、可能な限り最高の精度を追求して達成することだけに集中していました。

オーストリアのマスター・ウォッチメーカー、ベルンハルト・ツヴィンツ(Bernhard Zwinz)にとって、このディテールへの愛情、ヴィナールの個人的な歴史とライフワークは、長い間、興味の中心となっていました。彼もまた、オーストリアの故郷を離れてさまざまな国で時計の卓越性を追求し、ついに、スイスのヴァレー・ド・ジュウに到着し、フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)の「シンプリシティ」シリーズの製作に3年半取り組んだ後、2001年からこの地に定住しました。 

ベルンハルト・ツヴィンツ(Bernhard Zwinz)

この魅力が2018年、ベルンハルトによって、21世紀のヴィナールの名称を正式に復活させるという決定につながり、一連の異なるリストウォッチを製作することを目指しました。それぞれが、ヴィナールがクロノメーターやポケットウォッチに搭載するために最初に開発された、異なるオリジナル・ムーブメントやコンセプトからインスピレーションを得ています。

次回は、ブランド復興の立役者、ベルンハルト・ツヴィンツ(Bernhard Zwinz)についてご紹介いたします。