ブレゲ考案の複雑機構トゥールビヨン、2021年の今年は220周年の記念年

 By : KITAMURA(a-ls)


【追記】
2/17付で、掲載した懐中時計のメカニカルデータを追記したため、再投稿いたしました。




その効能や実効性においていろいろな意見はあるものの、トゥールビヨンという機構が果たした、機械式時計への貢献は計り知れない。

しかもその発明はいまから200年以上前の18世紀のものでありながら、21世紀の現在もなお多くの研究・改良の成果が毎年の機械式時計の新作に彩りを加えてくれている。

今年2021年は、そのトゥールビヨンがアブラアン-ルイ・ブレゲによって考案されてから220年目という記念年に当たる。
ブレゲはこの機構が特許登録された6月26日を"トゥールビヨン・デイ"とし、毎年の記念日としてきたが、

(参考)
https://watch-media-online.com/blogs/2367/
https://watch-media-online.com/blogs/2353/
https://watch-media-online.com/news/1570/
https://watch-media-online.com/blogs/799/

この220周年にあたって、長文のアナウンスメントが発表されたので、その全文を掲載しよう!





トゥールビヨンの発明者ブレゲ、2021年はトゥールビヨンの年


あらゆる時代を通して時計の最も偉大な複雑機構の一つに数えられるトゥールビヨンは、2021年に220周年を迎えます。比類なく複雑な天才的機構の発明は、一人の人間が挑んだ真の冒険の中心に位置づけられ、今もトゥールビヨンの考案者アブラアン-ルイ・ブレゲと、そのメゾンの名声に多大な貢献を果たしています。


ある時代を映し出す技術的な発明が何世紀にも渡って長く続くことなどめったにありません。一つの発明が別の発明に取って代わり、次から次へと押し寄せる進歩の波にさらわれて、こうした発明が忘れ去られることがよくあるからです。ただし、中には例外も…。
アブラアン-ルイ・ブレゲ(1747-1823)によって220年前に開発されたトゥールビヨンは、今ではオート・オルロジュリーの分野で活況を呈していますが、かつてはそれほどではありませんでした。あらゆる時代の最も偉大な複雑機構に数えられるトゥールビヨンは、その守護者たるメゾン・ブレゲのまさに中心で発展を遂げました。しかし、他の多くの時計ブランドも採用しました。ブレゲが1801年に取得した特許は、10年間に対しての特許だったのです。トゥールビヨンはまた、19世紀全般を通じて他の研究者たちに刺激を与えました。その一人、バーネ・ボニクセンは、ブレゲと同じ原理から出発してカルーセルを発明しました。



●Breguet Tourbillon No.986
Simple Tourbillon timepiece
Rotation: 1 mn
Tourbillon regulator, small seconds, blued steel hands, Guillaume balance wheel, winner of the first class bulletin and first prize of the Observatory of Neuchâtel
Case: plain gold
Dial: enamel
Sold on February 1st 1926 to Mr Louis-Harrison Dulles
Price : 20,000 Francs
Diameter: 56 mm
Breguet Museum collections


ブレゲの発明に魅了されるのは、この快挙に至る過程に起因します。つまり、トゥールビヨンは単なる機械的な芸術品なのではなく、厳密な物理的研究の帰結であり、人間が挑む冒険、彼だけの力で成し遂げた偉業だからです。6月26日のトゥールビヨン・デイにむけて、この特別な2021年、メゾン・ブレゲはさまざまな行事や新製品を通じて、創業者アブラアン-ルイ・ブレゲの天才とトゥールビヨンの冒険を称えます。6月26日は、革命記念としてフランスに導入されたばかりの共和暦で数えると第9年メシドール7日、すなわち特許を取得した1801年6月26日に当たります。




トゥールビヨンの起源


【人物】
トゥールビヨンは、すでに立派にキャリアを積んできた人物の聡明な頭脳から誕生しました。1747年にスイスのヌーシャテルに生まれたアブラアン-ルイ・ブレゲは、時計職人の見習いから始め、15歳でフランスへと旅立ち、ヴェルサイユとパリでさらに見習として研鑽を積みました。

当時世界に輝きを放つフランスの首都で、若きブレゲは、主にコレージュ・マザランで理論の修得に励みます。コレージュでの勉学は、彼をとりわけ数学と物理の基礎がしっかり身についた科学教養人へと成長させ、どうみても時計職人というより前にエンジニアでした。

1775年シテ島に自身の工房を構えたブレゲが自らのアイデアと要望を当局に提示して特許を申請した時には、現役の時計師としてすでに長いキャリアを築いていました。「ペルペチュエル」と呼ぶ彼の自動巻き時計は、まずルイ16世や王妃マリー・アントワネットを魅了し、ヴェルサイユの宮廷人たちにも広まりました。数々の技術的発明や、控え目で簡潔を極めるデザインセンスは、フランス国外でも評判になり、ブレゲに革新者として名声をもたらしました。ブレゲの名は主要都市に広まってゆき、当時でさえ模倣者が多く出現しました。


【高精度の探求】
フランス革命の暴虐から避難するために故郷スイスへの帰還を余儀なくされたブレゲは、2年間をジュネーブやヌーシャテル、次いでルロックルで過ごしました。パリからの撤退は実り豊かな休暇にもなりました。この時期にブレゲは知的な作業に専念したり、ジュネーブやジュラ山脈のヌーシャテル地方の時計師たちと交流する機会を得たからです。スイスでのさまざまな思索は、1795年春のパリ帰還に際して、彼のキャリアに新たな目覚ましい息吹を吹き込みました。

パリに戻ってからの5年で、ブレゲのメゾンは、古くからの国を超えたコスモポリタンの顧客に向けて次々と新しい時計を提供するようになります。触覚で時刻がわかる「モントル・ア・タクト(タクト・ウォッチ)」、置時計が懐中時計の時刻を同調させる「パンデュール・サンパティック(シンパティック・クロック)」、驚くほどミニマムなデザインの「スースクリプション・ウォッチ」、さらに「コンスタント・フォース脱進機」という新型脱進機、「トゥールビヨン・レギュレーター」と呼ばれる新しい装置です。


●No.1176 Tourbillon timepiece, natural escapement
Rotation: 4 mm
Tourbillon regulator, natural escapement, observation seconds, ordinary seconds, power reserve, blued steel Breguet hands
Case: gold, caseback engraved with coat of arms of Potocki family (Poland)
Dial: gold
Sold on 12/02/1809 to Count (Stanislas Kostka) Potocki
Price: 4,600 Francs
Production dates: 05/07/1802 - 12/02/1809
Diameter: 64 mm
Breguet Museum collections



【物理法則への挑戦】
多くの思索を重ね観測を通して、ブレゲは精密時計のとりわけ脱進機内部で精度を損なうおそれのあるファクターを完璧に理解しました。彼はスイスやフランス、そして何度か渡航したイギリスではジョン・アーノルドと親交を結ぶといった個人的な経験に照らしても、当時のこれら3つの時計大国で得られた成果を吸収し、統合した時計師はブレゲただ一人であったのは間違いありません。
しかし、金属の膨張や油の安定性といったあらゆる問題を独力で解決するのは難しいことも分かっていた彼は、ある種の問題については、困難を回避する策をもって対処しました。ブレゲは時計内部に影響を与え、規則正しい歩度を乱すような物理法則の作用を「相殺」しました。重力の法則そのものを変えるのは困難なので、彼はその作用をいわば「手なづける」ことを選びました。


【言葉の意味】
このようなプロジェクトを提起できたのは、ブレゲ以外にいったい誰がいたでしょうか? それには確固たる科学的な理解と同時に楽観的な見通しも必要でした。発明者自身が「トゥールビヨン」と命名したプロジェクトの成立には、周囲のさまざまな状況が関係していました。しばしば別の意味に受けられるトゥールビヨンという言葉には、長く忘れられた天文学の意味があるのです。
19世紀の主要な大辞典の中によれば、とりわけデカルトや『百科全書』でトゥールビヨンが指しているのは、天体系と1本の軸の周りで回るその回転や、太陽の周りに惑星の回転生み出すエネルギーです。現代の「急旋回」や「制御不能な嵐」のようなトゥールビヨンの意味とはまったくかけ離れていますが、啓蒙主義者であったブレゲは、現代的なその解釈が使われる以前にこの天体を表す言葉を選んだのです。ここでのブレゲは、時計製作をミニチュア化された宇宙の創造と考えていた18世紀の哲学者たちと似ています。
実際、調速機のテンプやひげゼンマイと脱進機のガンギ車とアンクルをキャリッジに収めて惑星のように規則正しく回転するトゥールビヨンの機構に対して、極めて秩序だった小宇宙を想像しないわけにはゆきません。


 ●No.1176


【内務大臣への手紙と特許書類】
1801年のフランスはすでに強力な官僚機関の統制下にあり、ブレゲは特許を取得するために水彩による説明図を描いたり、内務大臣宛ての手紙を事前に用意するなど、申請書類の障壁を乗り越えなくてはなりませんでした。



内務大臣へ

この度私は、時間測定器に適用できる、私自らトゥールビヨン・レギュレーターと名付けました新しい発明を内容とする趣意について、報告させて頂くことを光栄に存じます(・・・)
私はこの発明により、レギュレーターのムーブメントの重心がさまざまな位置にずれることによって生じる偏差の補正に成功しました。また私は、このレギュレーターの軸の周囲の全面とそれらの回転軸の軸受けに摩擦を行き渡らせることにも成功しました。このことは、たとえ油が変質した場合でも、接触する部品の間に潤滑油の機能が保たれるようにすることで成し遂げられました。さらにはムーブメントの正確な動きに多少なりとも影響を及ぼす数多くの他の原因を削減することに成功しました(・・・)。
この発明がもたらすあらゆる利点や、私どもが確立した製造技術とその開発のために費やされた多額の費用を十分考慮した結果、発明の日時を確立して、私の労に報いる相応の補償が得られますよう申請させていただくとことにいたしました。
敬具

ブレゲ

トゥールビヨン・レギュレーターの特許書類の水彩画。
1801年パリ。フランス国立工業所有権院所蔵。



【長い道のり】
ブレゲの思考の中でトゥールビヨンのアイデアが芽生えたのがスイス滞在中の1793年から1795年の間であったと仮定すると、パリに帰還して特許取得の1801年6月26日までの間にトゥールビヨンの実現に6年を費やしたことになります。
また、特許取得から最初の販売までにもさらに6年を要しました。このことが示唆しているのは、ブレゲはこの新種のレギュレーターの厳密な調整にあたって、ここでも彼のいつもの楽観主義が影響して、その難しさを過小評価していたらしいということ、そして内務大臣宛ての手紙で述べられた「多額の出費」や「労」が1801年で終わらなかったことです。
つまり、この極めて複雑な発明を発展させるだけでなく、信頼できるものに仕上げるために、アブラアン-ルイ・ブレゲは10年もの歳月が必要だったのです。
マスターウォッチメーカーのブレゲは、自身の発明について機会あるごとに語り、1802年、1806年、1819年にパリで開催された全国工業品展示会で宣伝し、「時計が垂直であろうと斜めであろうと、姿勢にかかわらず同一の精度を維持する」ギャルド・タン(高精度の精密時計)としてその機構を自賛しました。
彼の発明は各種のギャルド・タンに搭載するのがふさわしいと確信したブレゲとスタッフは、1796年から1829年までの間に40個のトゥールビヨンを作りましたが、これらに加えて9個が未完成のまま残され、台帳ではスクラップや散逸といった扱いで片付けられていました。


●Breguet  No.1188 Tourbillon timepiece, natural escapement
Rotation: 4 mm
Tourbillon regulator, natural escapement, observation seconds, ordinary seconds, power reserve, blued steel Breguet hands
Case: gold, sun engraved caseback
Dial: enamel with Turkish numerals (replaced in 1841, the engine-turned original was in in gold)
Sold on 01/08/1808 to Prince Antonio de Bourbon of Spain
Price: 3,600 Francs
Production dates: 24/08/1802 - 09/06/1807
Diameter: 65 mm
Breguet Museum collections



【著名な顧客と用途】
利用できる古い保存資料を完全に分析すれば、これらの時計の正確なリストと個々の履歴を作成することができます。ブレゲの特許ではトゥールビヨンのキャリッジが1分間で1回転するのに対し、35個のうちの半分以上が4分間や6分間で回転します。他の5点もユニークなものばかりです。すなわち、同調時計の「シンパティック・クロック」、置時計と懐中時計が一体になった「クロック・ウォッチ」、大型のデモンストレーション用モデル、マリン・クロノメーター、トラベル・クロックなどです。

トゥールビヨンの購入者に王族のイギリス国王ジョージ3世やジョージ4世、スペインのフェルディナンド7世をはじめ、ロシア貴族のイェルモロフ、ガガーリン、レプニン、デミドフ公、それからポーランドのポトツキ伯爵、プロイセンのハルデンベルク公、イタリアのアルキント伯爵やジォヴァンニ・バッティスタ・ディ・ソマリヴァ、ハンガリーのポドマンスキー男爵、ポルトガルのシュヴァリエ・ドブリトといった、ヨーロッパ各国の著名人が名を連ねているのは、驚くべきことではありません。

40個のトゥールビヨンのうちの4分の1は、おそらく海上での使用を目的としたものであったことが広く知られるようになったのは最近です。言い換えれば、それらは船主や船員が購入し、航海や経度の測定に利用していたということです。アフリカの探検者も同じ目的でこの時計を用いました。トーマス・ブリスベンは、自分のトゥールビヨンを携えてオーストラリに到着しました。何点かの時計は、半世紀に渡って世界の海上で用いられ、またいくつかは、高い地位にある科学者たちの所有物になりました。
はっきりしているのは、ブレゲ自身の分類によればトゥールビヨンは、民間用というよりは、科学での使用を目的とした時計製作に属すということです。その購入者は、トゥールビヨン機構が精度を向上させることを理解し、またその恩恵を受けていたのです。


●Breguet Tourbillon No.1188



【複雑な成功】
ゴールドやシルバーのケースに収められたこれらのトゥールビヨンは、高度な技術にふさわしいデザインが備わる芸術作品です。純粋に科学用のオブジェとして考案されたとはいえ、洗練された仕上げが施されていました。トゥールビヨンのダイヤルは、特にメゾンの歴史において最も美しいものでした。ブレゲウォッチの特徴である完璧な視認性やダイヤル上の機能は、ゴールドやシルバー、エナメルで引き立てられ、常時動く秒針や任意の操作で動く秒針、パワーリザーブ、ときには温度計を配したダイヤルに二つと同じものはありませんでした。トゥールビヨン機構は、何種類かの脱進機や各種の時計に搭載が可能でした。
その一方で、製作は遅々としたものでした。すでに特許を取得していた1802年に6個のトゥールビヨンに取り掛かりましたが、これらが完成するのに5年から10年もかかりました。1809年、ブレゲは活況を呈する事業の余勢をもって、サンクト・ペテルブルクに支店を構えてロシア市場の開拓に望みをかけ、15個の新たなトゥールビヨンの製作を開始しましたが、そのうちの半数がやっと完成したのは1814年でした。トゥールビヨン搭載マリン・クロノメーターは、オリジナル・シリーズのトゥールビヨンとしては最後となるトラベル・クロックと同様に唯一無二の地位を占めています。これらの時計の製作は極めて困難で、精密な調整に長い時間を要し、製作可能な熟練職人もほとんどいませんでした。

トゥールビヨンがブレゲの愛好者に満足させた一方で、製作者のブレゲは、労に見合う相応の経済的見返りは得られませんでした。しかし、別の見方をすれば、その見返りは、ブレゲの生涯をかけてギャルド・タンの精度改善の解決策を追求し、その発見に至ったという、これ以上ないシンプルな事実にこそあったのです。
時計製造の天空をかける流れ星のトゥールビヨン、啓蒙主義の思想から生まれた天才的なアイデアは、たとえ勢いが衰えたとしても、決して消滅することはありません。まだ最後の言葉を告げていないからです。


●Breguet Tourbillon No.2567


【崇拝され、発想を授けた遺産】
かくも豊かな過去を証明する貴重なトゥールビヨンの数々は、発明者の時代からコレクターや歴史家、時計製造における重要人物たちを魅了しつづけてきました。イギリス国王ジョージ4世、デヴィッド・サロモンズ卿、ジョージ・ダニエルズ、ニコラス G. ハイエックもそうです。また10数個が世界のミュージアムに収蔵されており、ブレゲ・ミュージアムは3個、イギリスではブリティッシュ・ミュージアムとその他を合わせて5個あり、他にもイタリアやエルサレム、ニューヨークのミュージアムで目にすることができます。
さらに15個が個人コレクターのもとにあります。最近になって2個のトゥールビヨンがオークションで競り落とされました。全体ではオリジナルの40個のうちのほぼ30個が現存しており、その現存率がトゥールビヨンの圧倒的な魅力を物語っています。


●Breguet  No.2567 Simple Tourbillon timepiece
Rotation: 1 mm
Tourbillon escapement, small seconds, blued steel Breguet hands
Case: hunting case in gold
Dial: engine-turned silver
Sold on 21/03/1812 to Mr Armand-Pierre Le Bigot
Price: 1,800 Francs
Production dates: 26/10/1809 - 31/12/1812
Diameter: 61 mm
Breguet Museum collections


【急に訪れた復活】
メゾン・ブレゲは、創業者の時計を厳重に注意して保存するだけでなく、新しいトゥールビヨン懐中時計も製作して1920年代から1950年代に販売しました。それを知っていたのはごく限られた内部の人間だけでした。
そしてついに予期せぬ速さでトゥールビヨン復活の日が到来しました。通常や縦姿勢で身に着ける懐中時計のために考案されアブラアン-ルイ・ブレゲの発明が1980年代半ばに、懐中時計より小さなケースで、重力の影響もはるかに少ない腕時計の中で復活を果たしたのです。なんというパラドックスでしょう!


● 5367BR/29/9WU  Tourbillon                                   

それ以来トゥールビヨンの成功はとどまることを知らず、年々その領域を広げました。現在では、トゥールビヨンの主要な利点は、もはや精度の向上にはありませんが、その代わり、見識豊かな愛好者は、絶妙な発明の美しさ、人間の歴史におけるひとこま、あらゆる意味で革命的と呼べるその巧妙な仕組みが生む安定した規則性を賞賛するでしょう。そしてトゥールビヨンは、発明から220年を経た今も人間の心にそれを訴え続けています。

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