ご報告~ウォルター・ランゲ氏葬儀

 By : KITAMURA(a-ls)

1月27日のグラスヒュッテは、この時期としては珍しいくらいに、まるで生前のウォルター・ランゲ氏のお人柄を象徴するようにすがすがしく、雲ひとつない晴天だった。

前日にドレスデン入りしたわたしが宿泊したのは、ランゲ&ゾーネとの関係も深く、また自分にとっても懐かしいホテル、ビューロー。初めてドレスデンを訪れた2007年から、何度となくお世話になったホテルだ。

特に印象深いのは、2010年、世界で初のランゲ・アカデミーを実現させたLOC.Japan(ランゲ・オーナーズ・クラブ)の旅の初日、一歩足を踏み入れたビューローの部屋のテーブルに、ウォルターさんからの自筆サインの入ったメッセージが置いてあったことだろうか。
そこにはこう書かれていた…。



Dear Mr.△△△△△△,
 ザクセンへようこそ!
この度は私共の工房見学にお時間をとって頂き本当にありがとうございます。工房見学にはご一緒できませんが、ランゲにとって重要な年に、私の愛する国、日本から熱心なエンド・ユーザーのお客様をお迎えし、普通の方には通常参加できないアカデミーを受講して頂けるのは、私にとって大きな喜びです。
 今年2010年は、ザクセン地方のオーレ山地に私の曽祖父フェルディナンド・アドルフ・ランゲがたった15名のスタッフと共に時計作りを始めてから、165年目を迎える記念すべき年になります。私自身、今でも山間の地に時計作りの基礎を築いた曽祖父の先見の明には驚くばかりです。そして、その歴史が現在もランゲの時計作りに息づき、世界的に大きな評価をされていることは非常に喜ばしいことだと思っております。
 A.ランゲ&ゾーネの腕時計を着けると、それが本当に特別なものだということがわかります。いったい何がそう感じさせるのでしょうか? 今回の工房見学で時計師達の仕事をじっくりご覧頂き、是非それがなにかをご自身の目で確かめて下さい。そこには歴史を感じさせるものが沢山あります。みなさんにとって、この度の見学がよい経験となりますように。
  皆さまの滞在中にお目にかかれる機会を楽しみにしております。 
    心をこめて。   
  ウォルター・ランゲ

「いったい何がそう感じさせるのでしょうか――」。
ウォルターさんの問いかけと、自分の中に生まれた答えは、その後長い間、ランゲ&ゾーネを日本に伝え続けたわたしのモチベーションの礎となっていた気がする。

ドレスデンからグラスヒュッテへの道のりは、同じく葬儀に出席するこのビューロー・オーナー、ラルフさんの車に同乗させていただいた。車中、ウォルターさんの思い出話などしていると、今回のわたしの部屋はウォルターさんのご指定部屋のすぐ真上の同じ間取りの部屋ということを知り、しばし感慨にふける。

お昼前には、グラスヒュッテのマルクト広場にあるサンクト・ヴォルフトガング教会に着く。
ウォルターさんの柩はその教会に安置され、誰もがお別れの祈りを捧げられる状態になっていた。柩の上にはウォルターさんの名前や、喪主であるご家族の名前を記したリボンのついた祭壇花が飾られていた…。

12月の上旬にグラスヒュッテで開かれたpre-SIHH作品の発表のパーティにはウォルターさんも元気に参加しており、日本から訪れた何人かのゲストも、ウォルターさんのその力強い握手に驚いたくらいだったとその印象を語ってくれた。
そのパーティの翌日、工房の階段で滑って骨折するというアクシデントで入院することになるのだが、ご本人はいたって元気で、年明け早々には退院してレーゲンスブルクのリハビリ施設に移っていたので、SIHHには欠席するも、誰もがウォルターさんの元気な復帰を疑っていなかったという。
そしてSIHHの2日目、1月17日の早朝、本当に突然に、ウォルター・ランゲ氏は急逝する。92歳だった…。


葬儀の教会では、ウォルターさんにお別れを告げるため、会葬者がどんどんと増えてくる。
わたしも柩に向かって黙祷する。

会葬中に写真を撮るわけにもいかなかったので、ここからは地元紙


のオンラインニュースの写真のURLを貼っておく。
http://www.sz-online.de/nachrichten/abschied-von-walter-lange-g18573.html?PictureIndex=0&StoryId=3599561
(※このURLで12枚の写真が見られますので、それぞれに日本語のキャプションを付します)

①雲ひとつない青空の下の時計博物館。前庭に掲揚されている旗が、その日は追悼のため半旗だった。
②お別れのために教会を訪れた人たち、新聞報道では約250名。
③教会のエントランスに飾られたキャンドル。
④教会の内部。
⑤ひとりずつ柩の前に進み出て、お別れの言葉をかける。
⑥柩の上にはウォルターさんの名前や、喪主であるご家族の名前を記したリボンのついた祭壇花が飾られていた。
⑦ここにウォルターさんがねむっていらっしゃる。
⑧⑨⑩お別れを告げた人は、この大きな白いブックにメッセージを書きます。
⑪ランゲ・シュタムハウス。過去、ランゲ一家の住居でもあった建物。ウォルターさんも年少期はここで過ごした。
⑫「外国からも弔問客が訪れていた」という例で、ウィーン・ナンバーの車を写したもの。


13時を少し過ぎた頃、教会の鐘の音が鳴り響き、その中に聖歌隊の讃美歌と金管楽器のアンサンブルが流れる。
まずマーカス牧師が葬儀説教を行い、続いて、ウォルターさんと長く親交を持っていた従妹の方(お名前は聞き取れませんでした、すみません、リヒャルトさん系の方だそうです)が、親族を代表して追悼のスピーチ。
そして、ウォルターさんの生涯の盟友ともいえるハルトムート・クノーテ氏が友人代表で、そしてランゲ&ゾーネ社を代表してCEOのヴィルヘルム・シュミット氏のスピーチが続く。
特にクノーテさんの思い出を噛みしめるような、でもポジティヴであろうとする表情はとても印象的だった。
最後に、ウォルターさんのご継嗣、ベンジャミン・ランゲ氏が家族を代表してのスピーチ。
そして約1時間の式は終わり、讃美歌、金管、鐘の音に包まれるなか、男性たちの手によって柩は運ばれ、会葬者はその後に続く。
柩は車に乗せられ、会葬者の列が歩いてついてこれるほどの速さで、ゆっくりと走り出す。

墓地までの道のり、10分ほどだったろうか、その間、教会の鐘の音は鳴りやむことなく響き続け、グラスヒュッテの街の方々も、沿道や建物の窓越しから、黙礼してこの葬列を見送ってくれていた。



上の画像は車がグラスヒュッテ墓地の入り口の門に到着したところ。

(※ここから先も画像はありませんが、ランゲ&ゾーネのオフシャルカメラマンが撮影した写真が後日入手できましたら、追加で挿入します)


ウォルターさんが永い眠りにつくのは、初代アドルフから続くと思われるご一族のお墓で、よくランゲ家の家系図でみるお名前の墓碑がならんでいる。今後グラスヒュッテに来ることがあれば、このお墓参りもかならず旅程に加えようと決める。

お墓を遠巻きに取り囲むように会葬者が並び、牧師さんの埋葬の説教が始まる。
最後に、お祈りの言葉を皆で合唱すると(みなさん何も見ずに唱えていたのでドイツの方であれば誰でも知っている
お祈りなのであろう)、柩を載せていた棒が外されて、静かに穴の中に降ろされていく。

これで本当のお別れ。会葬者が柩にたいして、お花や、花びらや、緑の葉などを手向けて、本当に最後の言葉を想い想いにかけていく。
喪主のベンジャミンさんとジョアンナさん夫妻に握手とねぎらいの言葉をかけて、静かに墓地を去る・・・。

ドイツでは、葬儀の後にお茶と簡単な軽食をいただきながら、故人の思い出話などして過ごす習慣があるそうで、わたしは、先ほどの写真キャプション⑪にも書いたランゲ&ゾーネ本社のシュタムハウスと呼ばれる建物でのお茶会に出席させていただいた。



●シュタムハウスの一室を写した画像。左にアドルフ・ランゲの言葉、右にウォルターさんの言葉、記帳台とキャンドル、そしてセンターに見えるサンドイッチやスープなどをいただきました。

晴天とはいえ、外気はマイナス4度くらいで、体中がかなり冷え込んでいたので、ここでいただいたコーヒーやスープはほんとうに有難かった。

シュミットCEOをはじめティノ・ボーベ工場長など主な幹部連に、ランゲを退職したOBの方、その中には現グロスマンのCEOであるクリスティーネ・フッターさんなどもいらっしゃって、そうしたみなさんは、ウォルターさんと一緒に活躍したランゲ創世記の話で盛り上がっていた。

室内には2004年頃までの、さまざまなランゲのイベントや出来事を写した写真が貼られたアルバムが3冊も置いてあった。しかも、そのほとんどが見たこともない写真で、それを見ているだけでも、時間がいくらあっても足りないくらい。特に、ランゲ&ゾーネ復興から94年の作品発表までの、その歴史がまったく知られていない時期の写真など、資料としても実に興味深かった。
その場で知り合った方々とアルバムを見ているとジョアンナさんが来てくれたので、前回当サイトのブログで募った皆さんからのメッセージを直接手渡す。
「ランゲを愛している日本の友人からのメッセージをあずかってきました。日本語ですが、みなさんの心を受け取ってください」とお渡したら、「訳して読みます」との言葉。そして続けて、
「ウォルターからは良い思い出を一杯もらった。それらの多くはとても前向きなものだったから、そう、日本にもそれを伝えなくては。またアカデミーで一緒に先生をやりましょう」と微笑んでくれた。




そうして2時間くらい過ごしているうちに、お帰りなる方や、仕事に戻る方など、だんだんと人数が減っていき、わたしもシュミットさん、クノーテさん、ジョアンナ&ベンジャミンさんにご挨拶し、またラルフさんのお車に同乗させていただき、ホテルへと戻った。

ジュネーヴに1週間いて、日本で3日間、そしてまたドイツで3日を過ごすという、強行日程ではあったが、それでもあの場にいることが出来て良かったと思う。
ランゲ&ゾーネの時計は自分の人生を良い方向に変えてくれた。でもそれは、その時計を作るために人生懸けたウォルター・ランゲ氏とその仲間がいてくれたおかげであるのだから、その方の最後にお別れと感謝の言葉を伝えるのは、お互いの人生にとって、やはりおおきなケジメだったと思えたからだ。










じつは向こうでも、
時計作っちゃってるんじゃないかとも思いますが・・・、
ウォルターお爺様、
ほんとうに、ありがとうございました。