日本工芸時計の頂点<クレドール>、セイコーが誇る彫金師、照井清氏インタヴュー

 By : KITAMURA(a-ls)

2017年のSEIKO新作コレクションの爆発力はすごい!
ジャパン・ブランド代表として欧州のメゾンと伍することを高らかに宣言した感のあるグランドセイコー。
高級機械式時計ブランド、GSのスタートであり、その象徴たる「初代グランドセイコー リミテッドコレクション」は、発売から数日のうちに世界中でほぼ完売となったという。また、プレサージュの"琺瑯コレクション"はエナメル文字盤の価格常識を破壊、さらにはセイコー・アストロンに18Kを使ったワンランク上のエグゼクティブ・ラインが創設されるなど、その新作コレクションの話題性・存在感などは枚挙にいとまがない。

そんな新作群の中にあって、誇らしくも静謐な輝きを放っているのがクレドールからの2本の新作、「シグノ メカニカル立体彫金限定モデル」(8本限定)と「シグノ メカニカルスケルトン彫金モデル」である。独特の工芸美によって世界でも常に高い評価を受けているクレドールの彫金工芸の製作を統括する匠、照井清氏にインタヴューし、その秘技をを訊く。



機械式ムーブメントと彫金などによる匠の技との融合は、セイコー創業以来の原点でもある。
その意味でも、フランス語で「黄金の頂き」を意味する<クレドール>は、まさに宝飾時計の頂きに君臨することを位置づけられたブランドだといえる。1974年の誕生以来、そのブランド名に恥じることなく、厳選された素材に名工の技術を注ぎ込み、ムーブメントの細かな部品のひとつひとつに至るまで、高級ドレスウオッチとしての美しさと品質を守り続けている。
照井氏は、1995年から雫石高級時計工房で彫金師として高級腕時計の製作に携わっており、「富嶽」「RS-1」といった歴史的な名作の彫金も照井氏の手によるものだ。
セイコーの匠というより、厚労省より「現代の名工」に認定され、2007年には黄綬褒章受章も受賞した、いわば日本国工芸の至宝とも言うべき、照井清氏。

このたび、たいへん幸運なことに、立体彫金限定時計の製作作業中の照井氏を取材することができた。
過去、ドイツ時計の彫金マイスターたちの実演や技法を見る機会は多々得てきたが、わが国の匠の最高峰技法の一端を取材できることに、ちょっとした緊張感とともに胸躍らせていたわたしを迎えてくれたのはやはり、実演イベントや雑誌などでよく拝見する、照井さんのあの温厚な微笑みであった。



お会いした照井氏が、まず最初に見せて説明してくれたのが、バイトと呼ばれる尖端を鋭利に仕上げた彫刻刀に似た(ドイツではビュランと呼ばれる)道具であった。腕時計のムーブメントの地板や受けなどの金属部品に様々な模様やデザインを彫るための、彫金の基本となる道具なのだが、使用されるバイトには彫りの位置や深さに応じて様々な種類がある。驚くべきことに、照井氏はそのすべてを自作するのだという。



その理由を尋ねると照井氏は、柔らかな口調でこう答えてくれた。

「デザイン画が上がってきますと、それをもとに、頭の中に三次元のデザイン画を描くわけです。デザイン画の一本一本の線それぞれについて、どの工具で、どのバイトで、どんな彫り方でと考えていくわけですが、中には新しい工具が必要となる部分もあります。特に立体の技などでは、平面の技+アルファが必要なので、だから自分で作る。要はそれをイメージできるかどうかなんです。頭の中でイメージが出来ないと、つまり、バイトの特性を知り尽くしていないと、立体彫金は無理なんです」

――もはやバイトは道具以上の存在というか、イメージを現実化する自分の”片腕”のようなものですか?
「これまで、どんなにうまく出来たとしても、やはり自分の頭の中のイメージには遠いわけです。だからバイト開発から入るんです。新しい手法なども常に考えていますし、作品の到達点には終わりがないので、そのためには自分がどんどん進化していくしかないわけです」

多種多様なバイトのすべてを照井氏は自作し、そして自ら調整している。刃の形状によりグリップの形も異なるため、それらも自作だ。道具に対するこの厳正な姿勢が、照井氏の意匠の根源に込められているのだ。


次に教えて戴いたのが、スイスなど西洋の一般的な彫金と、日本の彫金(というか照井彫金!)との大きな違いだった。


一見してわかることは、左の方が金ピカであるということだが、皆さんはどちらが"好み”だろうか?
以下は照井氏の解説。
「 顕微鏡を見ながら、わずかなスペースに彫込みを施していくのですが、その時にわたしたちが標準としているのは、日本刀の刃先の先端のように左右均等で、彫った面をどちら側から見ても綺麗に見える彫金です。一刀で彫り、彫った部分と地板との差により生じる微妙な輝きを表現したい。だから道具も自作するのですが、ところが西洋のものの多くは、力の入れ方や道具の刃先にムラがあるので、光の加減で(彫り跡の稜線の)光り具合が左右で異なって見えたりします。それらはあまり美しく見えないのです。では彼らはどうするかというと、彫った後に全面に磨きをかけるわけです。ですから全体が金ピカに仕上がったものが多いのです(上の画像・左)」

クレドール作品の彫金を拡大してみると、彫りの稜線の筋目から放たれる光が、どの方向から透かして見ても均一で、しっとりとした情感を秘めた輝きを生んでいることがわかる(上の画像・右)。スイス時計と明らかに違った印象を受ける仕上がりの秘密は、こんなところにも隠されていたことを気づかされる。

しかし、こうした技法やアプローチは日本古来の伝統というわけでもなく、驚くべきことに、照井氏の彫金技法はほとんど独学・独創なのである。1970年にセイコーに入社した照井氏が上司から教わった技法は、<唐草>という超基本的な2パターンの彫り方だけだったという。
元々はケースの試作などを行う試作部署に配属され、後に旋盤などの専門部門・量産品の部署と合併、そこでGSのケースで名高い特殊加工である<ザラツ研磨>を極めることになる。ザラツ研磨とは回転する金属の円盤に研磨紙を貼り付け、そこにケースを押し当てて表面を磨き上げるもので、平面のゆがみをなくし、平面と斜面のつなぎ目のエッジをしっかりと際立たせる加工法だ。さらに、クレドールの金無垢ケースの研磨や、石留、ロウ付け、切削を学び、70年後半から、当時、腕時計とセットで販売されることもあった指輪やブレスレットへの彫金や紋様付けで本格的にこの分野に携わり、1995年からは雫石高級時計工房で、選ばれし4人の彫金師のひとりとして高級腕時計の製作を担当することになった。
照井氏は自らのキャリアをこう振り返る。
「自分のキャリアには、ケースや指輪やブレスレットなど、立体を扱う時期が多かったのですが、ケースに付ける模様の技術は、平面に彫るのとはまったく別の系譜の彫金ですので、いまではそのことにとても感謝しています。その経験は間違いなく今の意匠の発想に繋がっているからです」

その意味からも、立体的な彫金技法を前面に取り入れた今年の「シグノ メカニカル立体彫金限定モデル」は、照井氏ならではの技の結晶といえる。ここには時計としての見せ方にも仕掛けが施されている。時計の表は一見して普通な"顔”にみせておき(とはいっても、白蝶貝に紋切七宝で描く桜亀甲紋に、12、3、6、9時には4つのダイヤモンドを連ねたインデックスなど、かなりの贅を尽くしているのだが・・・)、



そして、いざその裏を見ると超絶の立体彫金が現れる、いわゆる"裏勝り”という日本的な美意識が貫かれているのである!


日本には古来から、羽織や上着など身にまとう裏地のほうが派手で凝ってるものを好むなど、見せ場を隠す奥ゆかしさやそのコントラストを楽しむ美学がある。プレスシートにこう記されている。
「今回のモデルは、紳士の粋な和装姿をイメージし、表側はシンプルに、裏側は<クレドール>がその歴史の中で培ってきた高度な彫金技法による雅な装飾をあしらうことで、この日本独自の美学を体現しました。非常に立体感のあるこの彫金装飾は、白蝶貝への彫刻を組み入れながら独自の技法をさらに進化させたもので、極めて高度な技能(技法)を必要とするため、セイコーが誇る彫金師であり、黄綬褒章を受章した現代の名工・照井清(てるいきよし)が単独で手掛ける限定モデルとなっています」

まさに<クレドール>の真髄を凝縮したごとき作品というわけだが、まずキャリバー部分に注目すると、搭載されているキャリバー6890は世界最薄レベルの極薄機械式ムーブメント、いわゆる68系と呼ばれるもので、厚みはわずか1.98mm(500円硬貨程度の厚み)、一番薄い部品にいたっては0.25mmの厚みしかない。そこに彫りを入れるわけであるから、仕事の繊細さがうかがえるだろう。

そして照井氏のお話は、いよいよその核心へと入る。
「シグノ メカニカル立体彫金限定モデル」のタイトルにも謳われてる"立体彫金”の技法についてである。下の画像を見て欲しい。これは照井氏がサンプルとして見せてくれたものだが、画像左側の造形のほうが、右側のものよりも重厚感を持っているのがわかるだろうか。


地金の背景に紋様の目を入れる技法として最も一般的なものは、細かな点を挿してく梨地仕上げという手法だが、画像左の紋様の目は、梨地よりも格段に細密である。照井氏はこれを「梨地」に対しての「絹目」とよび、今回の「シグノ メカニカル立体彫金限定モデル」は、立体彫金では初めての試みとして全体を「絹目」に統一したのだという。

まず立体の形状を作ってからダイヤモンドパウダーをまぶしたドリルで、絹布のような文様(=目)を付けていく「絹目」は、言うまでもなく難易度が高く、梨地よりも圧倒的に高い技術が要求される。

「ちょっとやってみましょうか」と、照井さんはその工程を実演して下さった。


髪の毛一本よりも細い幅での作業、ちょっとでも手元を誤れば、その部材は使用できなくなる。つまり造形を含めたそこまでの作業がすべて無になるというシビアな世界なのだ。
さらに、照井さんはこう付け加えた。
「どんなに難易度が高いものであっても、製品としてお客様にお渡しする以上、同じ型番の時計はそのすべてが同じものでなければなりません。個体差などという言葉は通用しないのです。難易度が高いということは、同じものを作ることが難しいということでもあるのです」
繰り返すが、照井さんはその高いクォリティーを、すべて手作りで作り上げているのだ。
たとえば、ダイヤモンドパウダーをまぶしたドリルで絹目を付けていく作業など、通常は素材を固定して行うものだと思い込んでいたわたしは、照井さんがそれを左手で包むように手持ちで作業している様を見て仰天した。
「固定すると、ドリルの振動で微妙な凸凹ができてしまうため、フリーハンドで持って、繊細な振動を感じて目が均一になるように部材を動かしながら作業します。やはり、手で持つ弾性や、柔らかさというものは、まだまだ機械では再現できないです」

すでに新作ニュースとして本サイトでも何度か紹介しているが、
https://watch-media-online.com/news/504/
https://watch-media-online.com/blogs/518/

あらためて、この裏側の立体彫金の雅やかな構造図を見て欲しい。

(以下プレスリリースから一部引用)
このモデルのテーマは、牛車(ぎっしゃ)から眺めた「都の夜桜」である。
いつの時代も日本人の豊かな心の象徴である「桜」と、車輪が回り続けることから永遠を連想させる「牛車」。
特に平安貴族たちが外出に用いた「牛車」は、富と豊かさを象徴する吉祥文様として使われてきた。 
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上の図に見る最前面の桜の花びらからベースとなる白蝶貝まで、わずか1.75㎜の厚みの中に、「桜」は四層、「牛車」は三層のパーツで構成されている。
一層毎に起伏を設けた彫りには鏡面と絹目仕上げを巧みに使い分けることで、今までにない立体感を構築。特に主役となる白蝶貝を用いた桜の花は、わずか0.7㎜程度の小さく薄い貝片を手作業で磨き、丸みをつけて輝かせている。さらに桜の葉には、透かし彫りの技も取り入れることで奥行きを感じさせており、高度な彫金技法を組み合わせることができる照井氏ならではの表現となっている。



しかしここにもひとつのアクシデントがあった。
桜の花びらは、白蝶貝の専門のメーカーに外注する予定だったが、専門メーカでさえ音を上げた・・・。作れなかったのだ。「手加工でないと要求される質感は出ないが、手加工はやっていない」というのがその理由だった。そのため照井氏は自ら手加工で、貝から花びらを切り出し、角を仕上げ、花の丸みを出す、ということに挑むことになった。1本分の花びらすべてを仕上げるのに、照井氏でも丸2日かかったという。

時計の心臓部であるテンプには牛車の彫金を重ね、流れゆく時の永続性を表現しつつ牛車の彫金越しにテンプの動きを眺めることができるという、ムーブメントと彫金装飾が一体となったデザインが採用されている。



牛車を引く縄は、底面まで手仕上げで丸みを持たせて加工を施し、繊細な線描による「絹目仕上げ」と鏡面を巧みに使い分けることで、まるでシルクのような柔らかな質感を生み出している。
立体彫金の背景部分には、ダークグリーンに仕上げた白蝶貝を用いて夜空に見立て、牛車から眺める桜の彫金を美しく浮かび上がらせる。



そして、照井氏が単独で手掛けた特別な限定モデルの証として、当モデルには初めて照井氏のイニシャル・マークである「T」のアルファベットが6時位置の彫金の葉の上に、さりげなく施されている。


そんな奥ゆかしさこそがクレドールの底流に流れる日本的な美学なのに違いない。

そこで、最後にもうひとつ、照井氏の奥ゆかしさを紹介したい。
この稿の最初、バイトに触れた部分に、"デザイン画が上がってきてから発想が始まる”ような照井氏の言葉があったが、厳密に言うとそれは正確な表現ではないのである。照井氏は常に新しい意匠や技法を模索・研究していて、実はその成果をデザイン部にあらかじめ供給しているのだ。デザイナーはその新技法や新意匠を頭に入れたうえで、コンセプトなどを組み立てデザイン画を起こしていくので、ある意味、すべては”照井発信”ともいえるのだ。
それを踏まえて、照井氏が昨年に作り上げたという驚くべき新意匠の試作を拝見させてもらったが、時計含めその他の技術がまだこの"照井意匠”を現実化する段階に至ってないという理由で、これはまだ照井氏のロッカーで眠ってる。照井氏はそういう世界にいるのである。

この技の境地に至っても、なおまだ日々進歩を目指す照井氏が、もうひとつ自らに課しているのは、この技術を広く流布させることでもある。集中力を求められるこの多忙な作業の中にあっても、若き後進を育成しつつ、さらにはユーザーの前での実演をも厭わない。わたしの目には、技に拘り続ける職人の照井さんと世俗を超越した仙人のような照井さんの印象が交錯していた・・・。照井氏はあの笑顔で語る。
「実演では、お客さんに見えるように何十倍にも拡大した画をモニターでご覧いただきますので、実際には髪の毛よりも細い線を彫っていても、けっこう太く見えるんです。だから、ちょっとでもうまく行かないと、”なんだ大したことないな”と思われてしまいますので、実演は本番よりも緊張します(笑)」


そんな照井氏の実演のイベントが今月の20日、銀座・和光にて催される!


「現代の名工 照井 清氏による彫金実演」
のご案内
繊細な匠の技術を間近でご覧いただける特別な機会

【日時】5月20日(土)14:00~、 16:00~(各回約1時間)
【場所】本館1階
【実演者】照井 清氏
※会期中、クレドールウオッチをお買上げの方への特典あり。
詳細は下記にて。
http://www.wako.co.jp/events/1778?year=2017&month=5


日本が誇るこの名人技を目撃されたい方は、ぜひお出かけください!!


照井 清(てるいきよし)プロフィール

彫金師。
雫石高級時計工房(盛岡セイコー工業株式会社内にあり、部品から組立まで一貫製造する日本有数の高級機械式時計専門工房)所属。

◦1970年 第二精工舎(現セイコーインスツル株式会社)入社
◦1993年 貴金属装身具製作一級技能士(国家検定資格)取得
◦2002年 技能者として最高の栄誉である「卓越した技能者(現代の名工)表彰」を受賞
◦2007年 黄綬褒章受章



【問い合わせ先】
セイコーウオッチ(株) お客様相談室 0120-061-012

セイコーウオッチ(株)の公式Webサイトアドレスwww.seiko-watch.co.jp

<クレドール>の公式Webサイトアドレスwww.credor.com