オーデマ ピゲ“歴史研究家” マイケル・フリードマン・インタヴュー ② ~歴史の中に未来を求めて

 By : KITAMURA(a-ls)

※このインタビュー記事は、オーデマ ピゲ“歴史研究家” マイケル・フリードマン・インタヴュー ① ~APがAPであり続けられる理由 の後編となります。




前回に引き継続き、オーデマ ピゲに存在する非常にユニークな職種“歴史研究家”として、ブランドと時計愛好家を見つめるマイケル・フリードマン。
彼のコレクターとしての側面を掘り下げつつ、なぜオーデマ ピゲが多くのファンを捉えるのか、その理由の一端を探るインタヴュー後編。

 




――オーデマ ピゲ入社までの経歴を簡単に教えていただけますか?
:大学時代に、様々な文化、それは西洋だけでなく東洋においてもですが、それぞれの文化において、時間計測はどのように行なわれてきたかということに興味を持ち、在学中に時間計測に関する論文をいくつか書きました。卒業後、最初は科学技術関係の美術館に職を得たのですけれど、1996年にマサチューセッツ州にあるすごく小さな時計博物館のキュレーターに転職しました。
このあと97年から99年までの間に、ペンシルベニア州にある国立ウォッチ&クロック博物館のキュレーターとなりました。そこは米国内のみならず、世界的にもとても重要な時計計測や、その理論にまつわるコレクションを扱った大きな博物館で、そこで、古代の日時計から宇宙時計に至るまで、その総てを網羅するような、時間計測の歴史を扱った展示会などの企画・制作も行いました。その間にも、クロックやウォッチメーカーに勉強に行ったり、美術館学のクラスを受講したりなど、学ぶということは常にずっと続けてきました。
そして1999年の年末に、わたしはニューヨークにあるクリスティーズの時計部門に就職しました。それは大きな転機でした。それまでは、どちらかというとアカデミックで学術的なフィールドにいたのですけども、そこから商業的なフィールドに移ったという点で大きな転機でした。そこで4年間をすごし、クリスティーズの時計ビジネス自体もかなり大きくなって、自分の中にもっと貢献できるような知識が増えてきたところで、自分の会社を起ち上げたのです。
それはコンサルティングを行う会社だったのですが、VIPクライアントの方々とのプロジェクト、つまりオークションでクライアントのために入札したり購入を行ったり、あとはクライアントのコレクションについての執筆ですね。コレクションを書面に残す。目録とかそういうものを作ったり、プライベートコレクションのキュレーションを行ったり、そういう業務を行っていたのですが、その会社はやはり、すべてがとても私的で、秘密保持契約で動いていますので守秘義務もあります。それでもう少しオープンに、しかも自分一人ではなくチームで働きたいという気持ちが強くなって、4年前にオーデマ ピゲに入りました。



――そして“歴史研究家”というポジションが誕生したわけですね。たとえば、歴史部門の方から製作部門に、新作のアイデアやコンセプトを出すこともあるのですか?
:ヘリテージ部門はオーデマ ピゲの中でも特筆すべきオープンドアな部署なので、わたしの部門のスタッフはときどき他部門にスケッチを見せたり、生産関係の部署がアイデアを共有したいと持ってきたりもします。そこでアドバイスが欲しいとかフィードバックが欲しいと言われれば、もちろん場合に応じて異なる製作チームを結び付けたりもします。その場合わたしは、歴史家としての観点と、コレクターとしての観点で協力できます。
なぜなら、先ほど申し上げたように、過去22年間この世界に携わってきて、わたし自身コレクターでもあり、あなたとも先ほどのランチではコレクター同士としてお話しさせていただいたのですが(笑)、コレクターの方が何を思っていてどう感じていらっしゃるか、自分自身よく知っているからです。
ですから、ご質問のような機会は多分にあります。ヘリテージ部門から他部門へと言うだけではなくて、逆のケース、たとえばオーデマ ピゲ・ミュージアムで展示を行う時に、ジュリオ・パピの専門性が必要だったりした場合、こちらからジュリオに、「ちょっと助けてほしいのだけど」という形で、アドバイスをもらったりすることもあります。

――オーデマ ピゲ・ミュージアムに収蔵コレクションする時計については、すべてこのヘリテージ・セクションが決めているのですか?
:その通りです。どの時計を収蔵するか、セバスチャンとわたしが推薦しますが、購入には、その価値(価格)に応じた決済が必要です。時には取締役会までの裁可が必要となることもあるのですが、各部門の承認をすべて厳格に得たうえで、どの時計を収蔵するかが最終的に決定されます。もちろん購入予算というのはかなり厳格に決まっているので、実際にオークションに行って、コレクターの方に負けるということも往々にして起こります。それはオーデマ ピゲ・ミュージアムが個人コレクターに負けるということなのですが・・・。

――それは一大事ですね(笑)。
:いやいや、実はそれもOKなのです。負けることで良いこともあります。なぜなら、その際にコレクターの方に自分の身分を明かし、ご挨拶をしたりもしますが、コレクターの方もミュージアムに勝ったということを知ると、「自分はオーデマ ピゲ・ミュージアムに勝った!」と、たぶんエキサイトな気分をさらに感じられるはずなので(笑)、そこでまた新たな関係を構築できるからです。
たとえば、「リサーチや執筆目的で、その時計を一時お借りすることはできますか?」と訊ねます。多くの方が「もちろん全く問題ないです」というように答えていただけますが、そうした会話を通じて、収集家のコミュニティと非常に良い関係性を築いていけるのです。コレクターの方々とブランドは、どのような関係が望ましいのかということもよくわかっていますので、そういった方々の知りたい声といいますか、知りたいことを伝えるのもわたしの目的なので、入札に負けることでも大きな収穫が得られるのです。
現在のわたしたちのコレクションは充実していて、ブランドとしても現状をかなり満足しているので、あまり頻繁に入札に参加はしないのですが、ヴィンテージ・ウォッチを集めていらっしゃる方の分析や、いまどういうものがオークション市場に出ているかという情報収集も意味もありますので、そういう点は注視しています。

――収蔵品の購入予算を決定するのは誰ですか?
:上の方の(笑)・・・上層部のシニア・マネージメントの面々です。



――いままでミュージアムに収蔵した中で、最も印象に残っているピースとかエピソードはありますか?
:ありすぎます!(笑)。ストーリーもたくさんあります。たとえば、収蔵したミュージアム・ピースの中に、ヴィンテージのミニッツ・リピーター腕時計で、1951年製の38mmの時計がありました。1951年当時で38mm、特にミニッツ・リピーターでその大きさというのはかなり堅牢なものだったため、その時計の由来を調べ始めたのです。調査を開始して、まずそのムーブメントの機構が1890年代までさかのぼるものであることがわかりました。つまり、最初は女性用のペンダント・ウォッチのミニッツ・リピーターだったのです。その時計をオーデマ ピゲの工房に戻し、腕時計に改装する注文をしたのは、正確に特定するまでには至りませんでしたが、おそらく所有者の息子さんだと思われます。
そこから先、この話はより興味深い発見につながっていったのです。現在わたしたちは、美しく堅牢なこの38mmリピーター腕時計の生涯が、まず女性用のペンダント・ウォッチから始まったことをすでに知っています。そしてこれは非常に重要なストーリーを示唆してくれました。男性用のミニッツ・リピーター腕時計の歴史は、すべて女性用のペンダント・ウォッチのテクノロジーから始まっており、過去にオーデマ ピゲが製作した35本のヴィンテージ・ミニッツ・リピーター腕時計のうちの実に3分の1が、その生涯をペンダント・ウォッチから始めていることを突き止めたのです!
わたしたちはオーデマ ピゲが自社の全歴史を記録したアーカイヴを持っていることにも驚きましたが、素晴らしいことは、もっともフェミニンなメカニズムのひとつであるペンダント・ウォッチが、3大複雑機構のひとつへ結びついたこと、同じメカニズムだったことを証明したのです。
このようにわたしたちは、ひとつの時計から端を発した調査が、ミニッツ・リピーターそのものの歴史に繋がっていくことを学んだのです。写真をごらんください。(と、パッドを使ってその1951年製の38mmの時計写真を見せてくれる)。ラグもティアドロップ型なのです、とても美しいでしょ!

●1890年代製のペンダント・ウオッチから腕時計に改装されたミニッツ・リピーター


――多くのブランドは、セカンド・マーケットやオークションハウスと関係を持つことにあまりポジティヴではない印象があるのですが、ブランドにとってそうしたマーケットとの関係は、どういう形が理想的だとお考えですか?
:ビジネスを理解するにあたって、そのビジネスの持っている多面的な、様々な側面を理解することはとても大事だと思うのです。なので、小売りという限られた面だけではなく、5年後、20年後、80年後にその時計がどういう評価を受けているかを知ることも非常に重要で、すべてが繋がっていると思います。
かつてはヴィンテージ・コレクターとモダン・コレクターにはそれぞれの棲み分けがあったのですけれども、現代においては本当にまるで月食のように、どんどん重なってきていて、同じ方が2つのカテゴリーで収集しています。世界でも有数のモダン・ウォッチのコレクターは、いくつかの素晴らしいヴィンテージ・ウォッチを所有していますし、その逆に、世界有数のヴィンテージ・ウォッチ・コレクターもモダン・ウォッチをコレクションしています。加えて、プレスの方々と愛好家のブログとはかつては棲み分けがあったものが、いまはかなり両方をカバーするようになってきています。だってあなたもそうでしょう(笑)。
わたしはとても慎重に、ひとつの時計がセカンド・マーケットでどういうパフォーマンスをしているかを注意深く観察しています。どういう時計がよく評価され、どういう時計がそうではないのか、それを学ぶことは、今後に作っていく時計を決定する点で活かせる部分も多いと思います。
会社によっては、こうしたセカンド・マーケットのデーターを軽視するブランドがありますが、そこはとても巨大な山のようなデーターの宝庫なので、それを軽視するツケというのはかなり大きいのではないかと思います。わたしたちはそれらを追跡調査して学ぶことも大事にしています。
例として、最近興味深いのは、41mmのパーペチュアル・カレンダーを出した後に、中古市場では生産中止となった39mmのパーペチュアル・カレンダーの価格がどんどん上がってきているという、ちょっと驚くべき事実があります。モダン・ウォッチで今起こっていることと、ヴィンテージ・ウォッチで起こっていること、それらにはとても緊密な関連があります。ダブル・バランスホイールを出してから、すでに生産中止になっている以前のオープンワークの時計の値段が上昇するといった事実もあります。何故なのか、そこを常に注目するというのは大事だと思います。

――オーデマ ピゲのヘリテージ・セクションでは、生産したモデルの動きを、製造中止後も注目しているということですか?
: もちろんです。ヴィンテージ品と現行品の時計とは、互いに鏡のように背中合わせの関係にあるのですから。しかもそれは、50年前の時計の話ではなく、3~4前に出した時計のことなのです。
たとえばこんな現象があります。15300STという、本当にスタンダードな39mmのロイヤルオークのステンレススティールのモデルなのですが、この時計は今日でも、ずっとその需要が高く、もともとの価格よりも高止まりをしていて、ほとんど崩れないですよね。なので、やっぱりその需要が高いというところが現行モデルに波及しているということころもあります。
もちろん、ネガティブな面もあります。たとえば12年前に作られた時計が、その販売価格に対しての価値が40%しかないという場合、ブランドとして自問自答します。なぜ値崩れを起こしたのだろうか、本数を作りすぎたのか、高すぎたのか、形なのか、理由は何なのかということを分析して、それもやはり未来への反省材料にしなくてはいけないのです。



――では最後に、日本にたくさんいるオーデマ ピゲ・ファンの方々に、歴史研究家というスタンスからのメッセージをいただけますか?
:世界的に見て日本は、広くグローバルな意味で、やはりブランドにとって大事なマーケットですし、ヴィンテージ・ウォッチのコレクションという意味でも、日本市場は非常に大きな位置づけにあります。わたしとしては、出来れば2年に一度の隔年ではなく、毎年来たいなと思っているのですが(笑)、そういう熟達したコレクターの方々が多くいらっしゃると思いますけれども、それでもやはり伝えるべきメッセージは基本的なこと、「自分が愛せる時計を買ってください」ということですね。それが最も大事なことです。
他人が良いと言ったから、投資のためとか、流行っているからといった理由で時計を買うべきではありません。自分がこれだと思う信念を曲げすに、自分のスタイル・選択眼を持つこと、それが時計のコレクションで一番大事です。自分が好きなものでないと着けなくなりますし、着けないと、買ったことを後悔してしまうものです。
二番目は、「買ったものをすぐに売らないでください」ということ。時計はとても個人的な思い出を結ぶことのできるアタッチメントです。最近では車のように買っては売りを繰り返すのを常識とする方も多いですが、もちろん、あるタイプのブランドの時計に関してはそういうコンセプトで売買を繰り返すことも悪くないかもしれません。しかし、特に40代以降の方は、すぐに売ると、おそらくすごく後悔します。そうして得たお金はあっという間になくなってしまうけれども、売ってしまった時計はもう戻らないのです。
時計の背後にある手仕事というヒューマニティーを想うとき、車と同じコンセプトではなく、想い出や思い入れというものを、どうかそのご自分の時計に積み重ねていってほしいと思います。
それがわたしからのメッセージです。







マイケル・フリードマン【オーデマ ピゲ歴史研究家】

マイケルL. フリードマンは時計エキスパート、鑑定家、キュレーター、講演家、オークショナーとして多彩な活動を行っています。2013年に歴史研究家としてオーデマ ピゲに入社。主な役割は、オーデマ ピゲ ミュージアムのための時計を収集すること、オークションハウスやコレクター、各種エキスパートたちとの関係を深めること、ブランドのコンテンツを創造し発展させることです。
フリードマンはオーデマ ピゲ ミュージアム&ヘリテージのディレクター、セバスティアンン・ヴィヴァスのチームと共に、継承されてきたブランドの遺産に関する出版活動、展覧会の開催、調査、分析を行う他、オーデマ ピゲ ミュージアム コレクションのためのアンティークウォッチ、ヴィンテージ・ウォッチの収集にあたっています。
時計に関するマイケルのキャリアは、1996年にWillard House & Clock Museumでのアシスタントキュレーターから始まりました。1997年、The National Watch & Clock Museum に学芸員として入り、時間測定の歴史に関する1,400 m²のエキジビションスペースを共同で作り出しました。 
1999年、マイケルはニューヨークのクリスティーズの副社長兼時計部門長に任命されます。販売が伸び多くのコレクターを獲得したあと、2003年にMLF Horologyを創設、世界各地のコレクター、及びサザビーズとアンティコルムを含むオークションハウス向けのコンサルティングとキュレーターサービスを開始しました。
フリードマンは時計に関する講演を幅広く行っています。ブランドの歴史、時間測定の歴史の解説、市場トレンドと変化について、また特別なコンプリケーションの発展と歴史に関する詳しいレクチャーなどを行っています。
マイケルはチャリティーオークションも多く手がけており、その中にはエリック・クラプトンのクロスローズセンターやスタン・リ—財団などがあります。