グランドセイコー 「メカニカルハイビート36000 80 Hours」のデュアルインパルス脱進機を推測する
By : CC Fan2020年3月9日追記:AP脱進機の最大振動数が間違っていたので修正しました。
いよいよ発表された、グランドセイコー60周年モデルの一つ、メカニカルハイビート36000 80 Hours。
個人的に興味があるのはもちろん、新開発のデュアルインパルス脱進機を搭載した「キャリバー 9SA5」です。
デュアルの意味は、片方向がダイレクト(直接)、もう片方がインダイレクト(間接)で衝撃(インパルス)を与える構造になっているからと思われます。
WATCH MEDIA ONLINEではダイレクトインパルスの一種であり、効率だけならトップであるデテント脱進機に対する誰得記事を書いてきましたが、まさかグランドセイコーからこのような形で関係する技術が登場するとは思いませんでした。
来週、実機を取材する予定ですが、それに先立ち公開情報だけで”推測”するのがうまく当たったので”二匹目のドジョウ”を狙って予測してみたいと思います。
既ににTwitterで書き連ねましたが、図版を入れながらどうせならダイレクトインパルスを技術的な連続性(歴史はふんわり)から振り返ってみたいと思い、資料を作りました。
ガンギ車が天真に設けられた振り石に直接衝撃を与えるダイレクトインパルス脱進機は、ルロワによるデテント脱進機(スプリングデテント)の完成とマリンクロノメーターに採用されたことで高精度用途に使われていました、歴史的にはスイスレバーをはじめとするインダイレクトインパルス脱進機よりも古いです。
デテント脱進機から追っていきましょう。
私の手持ちのルロックル時計学校のエボーシュを使ったピボットデテントクロノメーターのデテント脱進機を例に、各部の名前を入れました。
ガンギ車の回転はデテントレバーに設けられた1つの止め石で規制されています。
レバーの先端には薄い金で作られたパッシングスプリングという板バネが取り付けられており、テンワの軌道に入っています。
テンワには振り石と外し石という二つの位相の違う石が取り付けられています。
まず外し石はパッシングスプリングと触れ合う位置にあり、テンワの往復運動のうち、ガンギ車の回転と同じ方向の時はパッシングスプリングに引っかかってデテントレバーを動かして止め石を解除し、逆方向の時は素通しして何もしないという一種のワンウェイクラッチとして働きます。
外し石が停止を解除すると同時に適切な位置にいる振り石に向かってガンギ車が回転、追いついて振り石に衝撃を与えます。
この衝撃は介在するものがなく直接ガンギの回転からテンワの回転に伝わり、当たる角度もほぼ90度なので力はほぼ100%伝わり、この力がほぼ100%伝わるというのがデテント脱進機の最大のメリットです。
角度を変えるとこんな感じ。
外し石とパッシングスプリングは力の授受はほとんど行わずタイミングだけを伝え、振り石はガンギから力を受け取るだけです。
ルロックルのデテントの場合、ガンギは15歯で1ステップ24度のうち、20度で振り石に当たる設計になっているため、概算すると20/24で約80%は力が伝わることになります。
デテントはこのように効率がいいですが、この理由は停止が1状態しかなく、ガンギが動いているほとんどの角度を駆動に使えるからです。
これはメリットですが、逆にいえ停止解除から次の停止までに間に合うかはガンギのトルク・慣性モーメントに依存し、下手すると停止が間に合わずガンギが一気に複数歯進んでしまうことがあります。
また、1状態しかなく、パッシングスプリングは動きの方向しか区別できないためテンワが0度の時(正常)と360度以上回った時(振り切り)が区別できず、2重に解除してしまうことが起こりえます。
更に、スイスレバーのダブルローラーのようなテンワが適切な位相の時だけ解除し、他の時は衝撃をブロックするような仕組みもないので、止め石は衝撃で外れてしまいます。
止め石にドローという角度が付けられており、ガンギの回転力で引き込むようにはなっていますが、強い力には耐えられません。
このように停止が1状態しかないというのは効率の良さと、安全性が低いというデメリットとデメリットを兼ね備えた性質になっています。
ではこれを安全にするにはどうすればいいでしょうか?
すでに確立しているスイスレバーの方法論を使えばいいことになります。
スイスレバーの安全性を担保しているのは、
- アンクルの停止状態は2つある
- 爪石が二つあり、幾何学的に片方は絶対にガンギ軌道内にいるためガンギが一気に複数歯進まない
- テンワの安全装置(ダブルローラー)とアンクル先端が当たって特定のテンワの角度以外では動けない
- 上の特性の組み合わせで、0度と360度、-360度を区別できる
つまり、デテントレバーの代わりにアンクルを使い、停止状態を二つ作る、ただし駆動はダイレクトに行う…と組み合わせた脱進機を作ればよい、という事で作られたのがロビン脱進機です。
ロビン(代役)です。
止め石が二つあり、交互に停止させるためガンギは幾何学的に1歯ずつしか進みません、また土手ピンの位置でわかるように、アンクルがテンワに対して右か左かで2状態あり360度以上回転した場合も振り当たりは起きますが、2重の停止解除は起きず、致命的な問題にはなりません。
もちろんデメリットもあります、この設計は止め石1が解除された時は振り石にガンギ車が当たり衝撃が与えられますが、止め石2が解除された時はガンギは空回りするだけです。
それぞれの石が解除された時に進む角度は同一で、簡単にいえば空回りしている分のトルクを安全性と引き換えに捨てているようなものなので、効率はいきなり半分に落ちることになります。
なので、何とかこの分を少なくしたい…と考えます。
これに対する解決策は二つ考えられ、一つは捨てる分を極力小さくする、もう一つは捨てずに何とか回収するです。
まず捨てる分を小さくする方法は、ロビンの進化形である、AP脱進機がとったアプローチで、1つの止め石を解除した時に動く距離を単純に同じにするのではなく、ガンギ車が当たる方を長くするという方法です。
目視で測った限り、ガンギ車に当たる方を約80%、空回りを約20%にすることで、効率の改善を図りロビン以上デテント以下の効率と安全性を両立しました。
この方式のメリットはガンギ車はデテント用でよく、アンクルもほぼロビンで複雑な構造なく実現できることです。
これによりアンクル・ガンギ車の慣性が小さいおかげで、AP脱進機は10振動12振動ハイビートを実現できました。
ただ、量が少なくなったとはいえ捨てていることに変わりはないので、効率は一定以上には上がりません。
捨てずに回収する方式は、ご存じコーアクシャル脱進機です。
コーアクシャル脱進機はロビンの2つの止め石に加え、その中間に追加の駆動用石を設け、更にその石を90度の角度で押すための追加のガンギ車を設けたものになります。
ガンギとテンワの方向が一致するときはダイレクトに駆動し、逆の時は追加ガンギ→追加の駆動用石→アンクル先端から駆動というインダイレクトで駆動します。
インダイレクトとはいえ、追加の石とガンギの歯先は90度で当たっているのでほぼダイレクト並みの効率が計算上は出ます。
エネルギーの回収率でいえばデテントに迫る性能が出せるはずです。
欠点はガンギが2重、アンクルも石が3つあり構造が複雑になっているのでロビンよりも重たいことです。
重たいという事は慣性が大きいという事であり、特に高振動化を行うときに問題となります。
コーアクシャル脱進機が長らく6振動または7振動、8振動化すら最近で、10振動はまだできていないことを見るとこの問題は根深そうです。
また、追加のガンギ車と簡単に説明しましたが、2つのガンギ車を適切な位相を保って固定しなくてはいけない、レバーの3つの石もそれに合わせて適切に調整しなければいけない…と言うのは大変だと考えられます。
この二つを見てからグランドセイコーのデュアルインパルスを見ると、”なるほど”…と思う構成です。
お待たせしました。
オフィシャルの図にキャプションを追加しました。
コーアクシャルとの差は、インダイレクト側の駆動をスイスレバーと同じ、爪石の衝撃面にガンギの歯先が滑る方式(90度で当たらない)にしたことです。
これにより、ロビン相当の部品数にもかかわらず、エネルギーも回収できます。
青色の矢印がガンギの回転方向とテンワとガンギが同じ方向に回転するときです。
この時はアンクル脱進機の様にインダイレクト用の振り石がアンクル先端を動かし、止め爪石(ダイレクト)が解除され、ガンギ車が回転、振り石(ダイレクト)に衝撃を与え、ガンギは止め兼駆動用の爪石(インダイレクト)に引っかかって止まります。
逆に、ガンギとテンワの回転方向が逆のオレンジ色の時は、止め兼駆動用の爪石(インダイレクト)が解除されるとそのまま衝撃面をガンギの歯先が滑って力を伝え、アンクル経由で振り石(インダイレクト)を経由して伝達、止め爪石(ダイレクト)に引っかかって止まります。
アンクル先端はスイスレバーと同じダブルローラー安全装置になっているので、安全性はスイスレバーに準じ、ロビンと同じです。
この効率改善はAP脱進機と比べても、石を1つ逆につけ衝撃面を設けたこと、歯先を工夫して停止と衝撃両方が行えるようにしたことで実現されておりとてもシンプルです。
テンワ単体で見ても、スイスレバー用の振り座にダイレクト用の振り石を追加だけに見えるシンプルさです。
構造がシンプルなことに加え、MEMS(の製造に使うLIGAプロセスを使った加工技術)によって、極限まで肉抜きとバランス取りをした高精度部品により慣性を減らし、10振動で動作しています。
更に、この脱進機のものと思われる特許(特許6558761)を眺めていたところ、回収するだけではなく”捨てる分を小さくする”の方も行っているという事がわかりました。
課題は”トルク伝達効率(脱進機効率)に優れた半間接-半直接衝撃型の脱進機を提供する。”
ガンギの歯の間隔角度θ3に対し、直接駆動を行う角度θ1が最大化され、間接駆動θ2の角度は最小化されていることがわかります。
これにより、直接駆動の効率を最大化する、そのうえで間接駆動でスイスレバー相当になるとはいえ、残りのエネルギーも回収する…と言う戦略が読み取れます。
見れば見るほど興味深い機構です、効率だけではなく10振動に追従する性能は本当に素晴らしい。
本当はコンピュータシミュレーションによる巻き上げひげとかも見たかったのですが、いったん区切りにしたいと思います…が、最後にもう一点。
青色のネジと金色のネジが並んでいたのを疑問に思った、テンワブリッジのユニークな構造。
歯車状のナットでブリッジの高さを調整して縦あがきを最適化するようです。
読み取った脱進機の狙いが、あっているか伺ってみたいものです。
まずは実機拝見で…
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