History of CZAPEK

 By : NOBLE STYLING GALLERY

弊社Blogからの転載になります。


本日ご紹介するのは、CZAPEK ブランド 誕生の物語です。



François Czapek(フランソワ・チャペック)は、チェコ生まれのポーランド人ウォッチメーカーであり、ポーランド暴動の後、スイスに亡命しました。彼は、一際優れた時計職人であり、到着間もない1832年、地元のウォッチメーカーとともに、最初の会社CZAPEK & MOREAU(チャペック & モロー)社を設立しました。


ポーランド暴動でのワルシャワの兵器工場

1836年、Czapekは軍隊に所属していたもう一人のポーランド人亡命者Antoni Norbert Patek(後にフランス語でAntoine Norbert de Patek - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック)と出会いました。この2人の男性は、ポーランド暴動に参加していたこともあり、非常に親しくなりました。CzapekはPatekをウォッチメイキングの世界に導き、彼の将来の妻となるMarie Denizarを紹介しました。


ワルシャワのPałac Staszica(スタシツ宮殿)

1839年5月1日、Antoine Norbert de PatekとFrançois Czapekは、PATEK, CZAPEK & CIE.という会社を設立。6年間のパートナーシップを結びました。このパートナーシップはいくつかの卓越した時計を生み出しました。Czapekは時計製造の責任者、Patekは販売および会社経営を担当していました。


Czapekがアトリエを構えていたジュネーブ、レマン湖畔の遊歩道Quai des Bergues(ケ・デ・ベルク)

このパートナーシップが解消された後、1845年5月1日、Patekは新しい会社を、一方Czapekは自身の会社CZAPEK & CIE.を設立しました。Czapekの新しい会社は大きな繁栄を収めました。彼は、皇帝ナポレオンの宮廷時計職人となり、ジュネーブ、パリのヴァンドーム広場、ワルシャワにアトリエを構えていました。彼は、時計に関する指南書を書いています。これは、初めてポーランド語で著された書物のひとつです、彼は、その第二巻を出版する前に亡くなっています。


もっとも有名なロイヤルカスタマーの一人である皇帝ナポレオン3世

François Czapekが当時使用していた広告表現
ジュネーブ、パリ ヴァンドーム広場、Varsovie(ワルシャワ)にアトリエがあったことが示されています 


Czapekの精密さと洗練された芸術性の遺産は、スイスの起業家とウォッチメーカーにより、コンテンポラリーなウォッチブランドCzapek & Cie.として蘇りました。

2015年から2017年にかけて、Czapek & Cie.社は、世界中の時計愛好家により、300万スイスフランを調達し、高級時計ブランドとしては初のクラウドファンディングで復活した会社となりました。


オーナーシップ証明書


2016年11月、Czapek社はGrand Prix de l’Horlogerie(ジュネーブ・ウォッチ・グランプリ)にて、モデルNo. 33bisが、時計愛好家たちによって選出されるパブリック・プライズを受賞。

Quai des Bergues 33 bis


2017年3月22日、Czapekはセカンド・コレクションPlace Vendôme Tourbillon Suspendu « Ici et Ailleurs »(プラス・ヴァンドーム)を発表しました。

François Czapek(フランソワ・チャペック)については、Patek Czapek社や、Czapek社の会社登記の書類、当時の広告表現、彼が初めてポーランド語で執筆した時計指南書、少ないながらも現存する彼の作品はあるものの、肖像画一枚残っていない謎多きウォッチメーカーです。

現在のCzapekコレクションは、「時を美しく表現する」ことを実践していた彼がもし生きていたなら、こんな時計を創作するであろう、ということを念頭に製作されています。ですから、それぞれの作品には、彼の「時に対しての美学」を感じ取ることができます。
ぜひ、作品をお手にとってご覧ください。

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