YOSUKE SEKIGUCHI's History Part2

 By : 小柳時計店

 

現在(2022年7月現在)関口氏が制作されているムーブメントは、彼がこよなく愛する“Jurgensenスタイルと呼ばれています。

1800年代にルクルト社が多数ブランドに供給していたとされるベースで、当時ユール・ヤーゲンセンが制作していた時の残されていた台帳によると、時計師ユール・ヤーゲンセンと一緒に数人の時計師が数年掛かりで一つの時計を作り上げていたという“Jules Jurgensen”の懐中時計のムーブメントが基本となっています。



ヤーゲンセン一族とは

では、まだまだ知られていないヤーゲンセンについて。 

現在知られている時計ブランド名として、「ウルバン・ヤーゲンセン&ゾナー(Urban Jurgensen & Sonner)」が知られていますが、時計師としてのヤーゲンセン一族の歴史は幾代にも受け継がれており、「ウルバン・ヤーゲンセンやユール・ヤーゲンセン」という同じ名前の時計師の方も世代を超えて何人も存在します。
そして、歴史的資料の家系図(Jurgensen Family Tree)も現存していて今回は「ヤーゲンセンの歴史」
それらを少し紐解いていきます


ブレゲと同じ時代を生きたヤーゲン・ヤーゲンセン

順に紐解くと現在残っている家系図の中のヤーゲンセン一族は、1747年~1823年に活躍した 「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と形容される時計師 アブラアン・ルイ・ブレゲと世代的にも近い1745年~1811年に時計師として活躍したヤーゲン・ヤーゲンセンが始まりである事が解りました。

そして、“ヤーゲンの子どもたち6人の中のひとりが、1773年に同ブランドを創業したウルバン・ヤーゲンセンにあたります。

デンマーク王室御用達時計師となったウルバン

ヤーゲン・ヤーゲンセンは当時でも優れた技術の時計師でありました。
そしてその息子であるウルバン・ヤーゲンセンは父ヤーゲンの意思を継ぎ、時計製造に関する様々な主要拠点、フランスのパリやイギリスのロンドンだけでなく、スイスのジュネーブやル・ロックルなどで修行を積んで行きます。 

その後ウルバンは当時のデンマーク国王フレドリック6の目に止まり、デンマークのコペンハーゲンに移り住み、海軍の為に正確な時計としてのマリンクロノメーターや懐中時計など王室御用達時計師【宮廷時計学者】として任命されました。 

しかしそれだけに留まらず、たくさんの貴族からの要望も受け品質の高い時計を作り続けます。 

ウルバンの没後は、二人の息子“Louis Urban Jurgensen(ルイ・ウルバン・ヤーゲンセン)”“Jules Frederik Jurgensen(ユール・フレデリック・ヤーゲンセン)”が、父ウルバンの技術と伝統を受け継ぎます。

兄のルイ・ウルバンはコペンハーゲンに残り、父ウルバンが築いた工房を引き継ぎ時計工場へと拡張。

社名を【ウルバン・ヤーゲンセン&ゾナー】へと変更し、高品質な時計を作るブランドとして広くに知られるようになります。 

一方弟のユール・フレデリックは、当時より時計製造の中心地であったスイス ル・ロックルに戻り、父ウルバンより学んだ時計本来の伝統的技法を守り、時計作りを世に広げて行きました。 

スイス ル・ロックルに移った弟のユール・フレデリック・ヤーゲンセンは生前、Le-Locle(ル・ロックル) と隣の集落のLes-Brenet(レ・ブルネ)との間、現在のChristophe Claret(クリストフ・クラーレ)社の裏手の辺りにヤーゲンセンの塔を建設します。 

ユール・フレデリックがどうしてこの塔を建てたのか、歴史的研究がされている書籍もあります。

当時の子供向けの「ヌーシャテルの伝説」という本によると




1870年に彼がこの約12メートルの塔の建設を始めた時は、ブルネの住民はからかって馬鹿にしていた。

「故郷のデンマークを眺めていたのではないか」

「自然のきれいな景色を眺めたかったのだろう」 

彼は夢見ていた。

この塔の上に立つのは至上の喜びだ! 

彼はもちろん自然を愛した。

だが、実はそれはもう一つの大きな愛のためであった。 

彼の公にできない愛しい人と、唯一そこなら人に知られずお互いを遠く見つめ合う事が出来た。

真実はどうであったのだろう?

今となっては誰にもわからない、わからないままにしておくのがいいのだろう。



この碑は、その愛情、愛の成就のための文であると捉えることもできるという説があります。 

いや彼がこの塔を建てたのは時計師として身を立てていた後で、天文観測用だったとの説もあります。

様々な方面からかなり詳しく調べた研究本もあるようですが「真実は彼のみぞ知る」というところです。 

そしてこの塔の横に置かれている碑には関口氏の人生観にリンクするような言葉が刻まれています。

On n'est Jamais Vaincu lorsqu'on est immortel

直訳すると《不死身のとき、あなたは決して負けない》となります。

関口氏は中学生の頃、祖母が書いた

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」

の言葉を部屋に貼る少年でした。

その言葉が自身の人生に大きな影響を与えたことから

中世ヨーロパで流行した

という考えメメント・モリ(ラテン語で「死を忘ることなかれ」という意味の警句)は、関口氏の【座右の銘】でもあります。

 


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