YOSUKE SEKIGUCHI's History Part1
By : 小柳時計店【YOSUKE SEKIGUCHI】関口 陽介氏
1980年群馬県伊勢崎市に生まれる。
明治大学卒業後、2004年に単身渡仏。
2005年5月から一年半フランス ブザンソンのCLA語学学校(Université de Franche-Comté)に通いながら時計技術の習得の為の仕事を請け負う。
2007年独学でフランスの国家時計技師資格(CAP)を取得。
2008年スイスの大手時計ムーブメント製造会社ラ・ジューペレ社に入社。
その後、スイス大手メゾン時計ムーブメント製造会社クリストフ・クラーレ社に入社後、ムーブメントの設計修正やコンプリケーションムーブメントの製作組み立て等に携わる。
退社後、ラ・ショー・ド・フォンにあるJUVAL時計店の専属時計師として働きながら、某大手時計ブランド数社からのアンティーク修復の依頼を熟す。
2020年1月に独立後、自身の名前を冠したブランド【YOSUKE SEKIGUCHI】を立ち上げる。
2021年に一作目となるモデル“Primevère(プリムヴェール)”を発表。
ヤーゲンセンと時計師 関口陽介氏
スイス ル・ロックル在住の時計師 関口 陽介氏は、1980年に群馬県伊勢崎市に生まれます。
2004年、明治大学を卒業後、某大手銀行に就職する為に面接を受けます。
最終面接の場で面接官から
「君は、具体的にどんな銀行業務に興味があるのか?」
尋ねられます。
その時、プツンと何か糸が切れたように
「特に銀行で働きたいというわけではありません。本当は時計が作りたいのです。」
16歳からの夢だった時計の道への夢を語ります。
面接官は
「それならここで働く場合じゃないですね。」
そこから関口氏の夢に向かう道が始まります。
もちろん決して平坦な道ではありませんでした。
氏の父に何度も説明します。
「時計の修理・修復の道ではやっていけるわけがない!」
理解を得られなかった関口氏を、父を見返したいという気持ちが突き動かします。
「振り返ると若いが故の情熱で無謀である事にすら挑戦出来た」と語ります。
夢を諦められず23歳で単身フランスへ渡ります。
知り合いや伝手も無い中、2004年の秋から半年間ジュネーブの隣のフランス側のアヌシーの語学学校に在籍し、ジュネーブに情報収集に通う毎日を過ごします。
そんな中知り合ったヴァシュロンに勤めていた時計師が当時の氏の状況では「ジュネーブ州での滞在許可が下りない」など、折りに触れ応援してくれました。
(その恩人は現在引退、ヴァレ・ド・ジュウでのんびりと生活されています。)
2005年5月から2006年7月までジュネーブを離れてブザンソンに移り、フランス側で可能性を見つけるべくブザンソンにあるCLA語学学校(Universite de Franche-Comte)に1年半在籍しながら、時計の技術習得になる仕事を行います。
2006年8月からフランス モルトーにあるGRETA職業訓練学校に入学しますが、フランスの失業者対策の専門学校であるため在籍する権利が無い事が分かり、3週間で退校を余儀なくされます。
途方にくれていた時、GRETA職業訓練学校でお世話になったレミ・ブラッコ先生の好意で、フランスのダンプリシャーという村でレミ先生の家に間借りする機会を得ます。
レミ氏自身の作業台を使わせて貰いながら、GRETA職業訓練学校に通う友人に学校の授業と宿題を見て時計技術を習得していきます。
後に、関口氏は母から聞かされます。
渡仏する前
「どうせ無理な話だ。諦めて日本に帰って来るに決っているだろう」
氏の活動を取材したTBSのテレビを見た時、父は親戚や友人達に話したそうです。
「生活して行けそうだな」
その時、初めて分かります。
氏の挑戦を影で応援してくれていた事を。
その後、氏の努力・技術力が認められレミ・ブラッコ氏の後押もあり、ラ・ジューペレ社(Manufacture La Joux-Perret SA)に即採用されます。
しかし日本人がフランスやスイスで正社員として雇用される事がスイス国内の法律上とても難しい為、ヌーシャテル州での滞在許可証がなかなか下りません。
ラ・ジューペレ社の社長に幾度となく掛け合いますが2007年9月に就労ビザが出ず、また学生ビザも切れ同年11月に帰国を余儀なくされたます。
日本で2度目の申請、やっと再度スイスのビザが出ます。
その時は本当に嬉しかった。
スイスで時計の仕事に携わる思いを持ち続けて。
その後、時計学校で学んだ卒業生でもなく、ましてや外国人でもある関口さんが取得する事は異例中の異例でもある、フランスの国家時計技師資格[CAP ( Le certificat d’aptitude professionnelle ) ]を取得します。
ヌーシャテル州からもようやく正式に滞在許可証 ( パーミット ) が降り、日本人として2008年3月より晴れて正式にラ・ジューペレ社に入社しました。
同時に学生時代からの付き合いで、交響楽団でもご一緒に演奏していた夫人の清美氏もル・ロックルに呼び寄せます。
現在、二人の子供にも恵まれ家族4人で暮します。
ラ・ジューペレ社入社後当時は、主にValjoux7750のスプリットセコンドやフドロワイヤントの組立調整やトゥールビヨンの組み立て等を行っていました。
ジューペレ社では2011年2月まで在籍。
2011年3月からクリストフ・クラーレ社で複雑時計の組み立て調整や修理を行います。
2016年10月に退社しますが、後任の時計師達との交流や技術についてクラーレでの交流は続いています。
平行して2011年3月より、ラ・ショー・ド・フォン国際博物館の前にある時計店ジュバル(Juval)の専属時計師としても在籍、自身が製作する時計のブランドを立ち上げの為2019年12月で退社さ、2020年1月に正式に独立します。
JUVAL HORLOGERIE オーナー ジュリアン・バロン氏
そして今現在は自身のブランド[YOSUKE SEKIGUCHI]ウォッチの製作に取り組まれています。
YOSUKE SEKIGUCHI HP: https://yosuke-sekiguchi.com/
YOSUKE SEKIGUCHI 公式 instagram: https://www.instagram.com/montresekiguchiofficial/
正規代理店 小柳時計店
Tel: 0744-22-3853
contact: https://www.koyanagi-tokei.com/mailform/index.html
instagram: https://www.instagram.com/kazuhiko.koyanagi/
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