ファーブル・ルーバー、タカシマヤ・ウォッチメゾン東京にてフェア開催中~女性登山家、田部井淳子氏と「ビバーク」の展示も

 By : KITAMURA(a-ls)

現在、日本橋のタカシマヤウオッチメゾン東京で、「ファーブル・ルーバフェア」(4月24日(火)まで)が開催されている。

このブランドとは、何か妙に縁があるという話を、以前にブログに書いたことがあったが(参照→ https://watch-media-online.com/blogs/964/)、このイベントの展示に、1975年に女性として世界で初めてエベレストを登頂に成功した田部井淳子氏とファーブル・ルーバの高度計搭載腕時計ビバークの歴史に関するものがあるときいて、ちょっと驚いた。

たぶん中学校だったと思うが、英語の教科書で田部井さんの偉業を読み、そのテーマであった「夢は叶えるものだ」という言葉は長く自分の行動の規範となっていた。
その田部井さんのエベレス初登頂時、つまり40年以上も前のこの偉業に、ファーブル・ルーバーの初代「ビバーク」が寄与していたというのだ。時計のニュースサイトを作ってみたいという、最初は夢のような願望が、いまこうして叶っているのも、田部井さんの言葉のおかげかも知れないし、その結果、40年以上前に田部井さんと一緒にエベレストの頂に立ったビバークを紹介しているというのは、なんとも感慨深い。

その事実を記したファーブル・ルーバーのプレスリリースを以下に紹介する。興味のある方は、ぜひウォッチメゾン東京のフェアにもお出かけください。




1975年5月16日午後12時35分、女性として世界初のエベレスト登頂を成功した田部井淳子氏。
田部井氏のエベレスト登頂を支えたのは、ファーブル・ルーバより1962年に発表された世界初の高度計搭載の腕時計「ビバーク」でした。

■田部井淳子氏のエベレスト挑戦
『ゆっくりとザイル(ロープ)を巻きながら足を持ち上げる。その最後の一歩を持ち上げると私はしっかりと頂上に立った。』(「タベイさん、頂上だよ」・田部井淳子著・ヤマケイ文庫)より』

1975年5月16日午後12時35分、一人の日本人女性が偉業を成し遂げました。田部井淳子氏が女性として世界で初めて、エベレストの頂上に立ったのです。田部井淳子氏は35歳の時、世界で初めてエベレスト登頂を成功した女性となりました。それは彼女の偉業のほんの始まりにしか過ぎませんでした。その後も世界各地の最高峰へと「フロンティアへの挑戦」を続け、1992年、世界七大陸の最高峰をすべて登頂した世界最初の女性となったのです。田部井淳子氏は戦後の日本の新しい時代を切り開き、そして世界に対して新しい女性像を示しました。


●田部井淳子氏、エベレスト山頂にて。(写真提供:女子登攀クラブ)


■エベレスト登頂というフロンティアへの挑戦、そして意志の力
5月4日、第二キャンプ地点。海抜は6400mのこの地点において、女性のみで構成された登山隊のチームは雪崩に巻き込まれました。多くのメンバーは雪崩により身動きが取れなくなり、田部井氏も意識を失い、その後シェルパに救出されました。彼女自身、全身を打撲する怪我を負い、周りからは今回の登山自体の中止や、一番重体であった田部井氏をベースキャンプにて治療すべきとの声もあがりました。しかし、天候やチームの状況を鑑み、彼女は強い意志をもって登頂することを主張し、チーム全員もそれに賛同し、登頂を続けることになったのです。
そして、1975年5月16日、田部井淳子氏はシェルパのアン・ツェリン氏とともに、世界で女性として初めてエベレストの頂上に立ったのです。
田部井氏は登山における意志の大切さについて、後にこう述べている。
「技術や、能力だけでは頂上にたどり着けない。意志の強さが大切だ。意志の強さはお金でも買えず、誰かから与えられるものでもない。心から湧いてくるものだ。」

■山を愛する夫婦の絆~腕時計「ビバーク」はエベレストの頂へ
田部井淳子氏の夫である政伸氏もまた山を愛するクライマーでした。夫婦で登山の情熱を共有し、夫の政伸氏は妻が登山に行く際は、登頂に集中できるようサポートしました。
ファーブル・ルーバの腕時計「ビバーク」はその象徴なのです。自身も先鋭的な登山を行なっていた政伸氏は1968年、横浜港を出発し、ヨーロッパ・アルプスの3大北壁の登攀に挑戦しました。そのヨーロッパの旅路において、ファーブル・ルーバ、そして、世界初の高度計搭載の腕時計「ビバーク」を知り、欧州登山の実用と記念の印に購入し日本に持ち帰ったのです。
その後、時計は夫婦の間を行き来し、お互いの大切な登山の折に身につけられました。
そして、政伸氏のヨーロッパ遠征から7年後、その時計は田部井淳子氏とともにエベレストの頂上にありました。



●ビバーク・オリジナルモデル(写真上と下の画像左)

1962年に発表された「ビバーク」は高度計(アネロイド気圧計)を世界で初めて搭載した腕時計です。
軽量で、大きさは直径40mm。使用前に回転ベゼル(海抜3,000メートルまで測定可能)を操作し、現地点の高度を赤い針の先と合わせることで、高度を継続的に表示させることができます。また、同じ赤い針の先端が文字盤外周にて示す数値はミリバール単位の気圧を表します。高い精度と実用性を有する計器として、田部井淳子氏のエベレスト登頂を支えました。

■現在も続く田部井淳子氏の理念
田部井淳子氏の登山への思いは現在も生き続けています。
その一つが「東北の高校生の富士登山」プロジェクトです。福島県で生まれた田部井淳子氏は、東日本大震災で被災した高校生を元気づけるために、2012年より東北の高校生を富士登山に連れていく活動を始めました。
田部井氏が亡くなった現在も、田部井氏の息子がその遺志を継ぎ、活動を推進しています。田部井氏が遺した志は、東北の高校生1000人を富士登山に誘うまでこの活動を続けること。2017年までに総勢479名の学生がこのプロジェクトに参加しました。
現在、ファーブル・ルーバは一般社団法人田部井淳子基金の活動に賛同し、田部井淳子氏の思いやその足跡を次の世代に繋げることを支援しています。


■田部井淳子氏プロフィール

1939年福島県三春町生まれ。
初めての登山は、小学校4年生の時。夏休みに担任の先生とクラスメイトと登った栃木県・那須の茶臼岳と朝日岳。
田部井氏はこの時の経験をこう振り返ります。
「頂上に立った時、ヤッターッと思った。嬉しかった。体育の選手には一度もなったことはなかったし運動会も嫌いだったが、山は競争ではないのだ。自分がどんなにゆっくりでも、一歩、一歩歩いてゆけば頂上には立てるのだ。しかしどんなに苦しくても山では選手交代がないことも、私は知った。」(田部井淳子氏著「エプロンはずして夢の山」・東京新聞出版局より)
大学卒業後、社会人の山岳会に入り、本格的に登山活動を開始。

1970年には女子登攀クラブ・アンナプルナ日本女子登山隊の一員としてアンナプルナⅢ峰7555mに女性初登頂。
1975年、エベレスト日本女子登山隊に副隊長として参加し、女性初のエベレスト登頂者となりました。
1992年、女性初の世界七大陸最高峰すべての登頂を達成しました。


■ファーブル・ルーバ
1737年にスイス、ル・ロックルにてブランド創業。以後一度も途切れることなく281年間、機械式時計を作り続けています。代表作は1962年に発表された世界で初めての高度計搭載の腕時計「ビバーク」。
「ビバーク」は高い精度、実用性から、登山家、パイロット、研究者など、新しい領域へと挑戦する人の欠かせないアイテムとして信頼を得ました。現在のコレクションも「フロンティアへの挑戦」のコンセプトのもと、正確で実用的なスイス製計器を作り続けています。2017年に発表された「ビバーク」の後継機「レイダー・ビバーク 9000」は機械式腕時計としては世界で初めて高度9000mの測定が可能です。ファーブル・ルーバはいつの時代も冒険者の最高のパートナーでありたいと願っています。


ファーブル・ルーバフェア開催中
タカシマヤウオッチメゾン 東京・日本橋 2階
4月11日(水)から4月24日(火)まで。(最終日は午後7時閉場)
現在、タカシマヤウオッチメゾン 東京・日本橋で特別展示を開催中(5月31日まで)のファーブル・ルーバですが、4月11日から4月24日はフェアを開催します。

本展示では、登山家田部井淳子氏と「ビバーク」に関する展示のほか、今年の夏のトレンドであるレトロフューチャーのブルー文字盤の現行コレクションや、創業281年のエンジニアリングを象徴する世界初の機能の数々を手にとってご覧いただけます。
詳細は下記のリンクをご参照ください。
http://watch.takashimaya.co.jp/news/detail/index/id/326?site=tokyo


本リリースに関する問い合わせ先
ファーブル・ルーバ日本総代理店 スイスプライムブランズ株式会社
〒104-0061
東京都中央区銀座1-16-7 銀座大栄ビル5階
TEL 03-4360-8669