デテント天文台クロノメーター(仮) 時計師目線でのお話

 By : CC Fan
デテント天文台クロノメーター(仮)、デテント脱進機の時計が欲しかったこと、時を経てなお"只者ではない"と感じた直感から手付を置いてきたのが1月、例年であれば6月にヨーロッパに行けるはずでしたが、諸事情で先延ばしとなり、10月にいよいよ受け取れるのを一日千秋の思いで待っています。

前回の記事の直後に、オーバーホールを行っていただいている関口氏から色々伺うことができた来歴・高精度のための構造・仕上げについてご紹介したいと思います。
言うまでもないかもしれませんが、関口氏に伺ったお話が元ですが、間違いがあった場合・主張を含め全ての文責は私CC Fanにあります、間違い・ご意見・ご指摘がありましたら私宛てにお願いします。

まずは来歴から、残念ながら分解したとしても、"だれが作った"という情報はありませんでした。
しかし、メンテナンスの記録として1925年から1960年にかけて複数回オーバーホールされていた記録が地板の文字盤側に彫られていました。



これはムーブメント地板の文字盤側にケガキ針でひっかいたような痕で彫られており、機能的に悪影響があるような場所でありません、"記録"として残していたようです。
恐らく別に書類もあったのでしょうが、現在はなくなってしまっているのでこれだけが頼りです。

推測すると、作られたのは1800年代末~1900年代初頭であり、天文台クロノメーターに参加したかは分かりませんでしたが、その後もしばらくオーバーホールを繰り返しながら使われていたと言うことがわかります。
1960年以降は記録がなく、開けたときの感触としても数十年は動かさずに放置されていたように見えるとのことで、最後のオーバーホールの後、倉庫にしまわれてしまったのではないかと思われます。
そのおかげで、機械式時計の冬の時代に変な使われ方をすることなく、オリジナルの状態で生き残れたのかもしれません。

ここからストーリーを組み立てると、時計師がずっと作業机の校正用基準または卓上時計として使っていて、1960年~1970年頃(クオーツ時計の台頭によって?)に使われなくなり、倉庫で眠っていたものがJUVAL HORLOGERIEに売却された…約40年という時は一人ではなく複数の時計師が受け継いでいたものかもしれない…または工房の風景として溶け込むような存在だったのかもしれない…と色々考えることができます。

また、天文台クロノメーターであれば天文台側に記録が残っているのでは?というKIHさんの提案を受け、天文台に確認できないか検討中ですが、当時の組織がそのまま残っているわけではないので先は長そうです。
これについては、"コネクション"で何とかなるかもしれません…

高精度のための構造について。
ぱっと見でわかり易いテンワの大型化について述べてきましたが、わかり辛い"時計師目線"で見た場合の工夫を。



普通にテンプ台に置かれたテンプですが、一般的な時計と異なっているところがあるそうです。
それはヒゲゼンマイの垂れ方、大径のテンワとゴールドのチラネジの重さを考えるともっと垂れるのが一般的ですが、写真ではあまり垂れていません。
これはテンワに吊り合うようにヒゲゼンマイが硬い(バネ定数が大きい)ため、テンワの振動数(固有振動数)は(ヒゲゼンマイのバネ定数/テンワの慣性モーメント)の平方根に比例するため、振動数が同じでテンワが重たい(=慣性モーメントが大きい)場合はバネも硬く(バネ定数を大きくする)必要があります。

振動数は比率で決まりますが、振動として保持されるエネルギー(位置エネルギー⇔運動エネルギーでやり取りされる)はどちらも慣性モーメントとバネ定数が大きいほど大きくなるため、比率を保ったままテンワの慣性モーメントとバネ定数を大きくすることで蓄えられるエネルギーを多くし、外乱に対して強くすることができます。
振動数は恐らく18,000振動/時(5振動/秒)とクラシカルな値ですが、蓄えているエネルギーのおかげで突発的な外乱には強いと考えられます、振動数に同調してしまうような周期的な外乱には弱く、携帯精度はどうでしょう。
ただ、持ち歩くものではないと考えれば特にデメリットにはなりません。

ただ、蓄えられているエネルギーが大きいということは、振動を維持するためにそれだけエネルギーを供給しなくてはいけないということです、更にデテント脱進機特有の問題もあり主ゼンマイのトルクへの要求は厳しいと考えられます。

デテント脱進機特有の問題というのはスイスレバー脱進機と比較するとわかります。

スイスレバーではテンワの振り石とアンクルの先端(ハコ)が接触することで、アンクルが動き、爪石が外れることで停止を解除し、そのまま爪石が衝撃面に擦られることでガンギ車のトルクがアンクルを通じて振り石に伝わります。
擦る動作があること、力の方向がガンギ車の回転方向と一致せずアンクルを経由することでロスは発生しますが、停止解除とトルクが伝わるのは同じ経路で行われており、どちらかが行われないということはありません。
更にパワーリザーブが切れてテンワが中心で停止している時は衝撃面に乗り上げた状態で停止するため、ガンギ車にトルクが加われば自己起動します。

対してデテントは、停止を解除する外し石とガンギ車から衝撃を受ける振り石が別になっており、停止解除前にガンギ車の歯と振り石が当たらないようにある程度のマージンが必要なため、ガンギ車が停止解除されてからマージン分追いつき、さらに充分な衝撃か与えられるかはトルクに依存します。
また、停止時はテンワが触れていないとそもそも停止解除が行われないため、トルクを与えただけでは起動せず、起動させるためには外から衝撃を与えなければいけません。

脱進機の性能パラメータの一つで、脱進機がテンワに作用する角度を示す拘束角は、一般的なスイスレバーが50°付近なのに対し、デテントは10°程度、小さいほどテンワが拘束されず自由振動するので精度には有利ですが、この角度で充分なエネルギーを与えないと振り角が上がらず精度は悪化します。
単純に考えて拘束角が1/5ということは単位角度あたり5倍のエネルギーを与えないと同じだけエネルギーは供給できないことになります。

これらの事情から同じテンワでもスイスレバーに比べデテントの主ゼンマイへの要求は厳しいと考えられます。



この要求を満たすために懐中時計基準でも強力な主ゼンマイが充分なトルクを供給し、テンワが十分振れるようにしています。
さらに、ゼンマイの稼働範囲を制限する巻止め機構(ジェネバストップ)でトルクが安定している範囲のみ使うことで、振り角を安定化しています。
ジェネバストップというのは連続運動を間欠運動に変えるジェネバ機構という歯車を使った機構ですが、運動の変換機能は使っておらず、1歯と5スロットが噛み合う歯車として使い、さらに5スロット側を一部膨らませることで1回転以上しないよう(巻止め)にしています。
香箱真(巻き上げ)の回転と香箱(駆動)の回転の差を検出する一種の差動装置です。
この機構によりパワーリザーブは30時間に制限され、精度が低下する前に香箱の回転が停止し、巻き上げ時も全巻きになる前に停止します。

パワーリザーブには全巻きからムーブメントが動き続ける時間を表した普通のパワーリザーブと、精度が保証できる時間を表したいわゆる"クロノメトリック パワーリザーブ"があり、厳格な定義はないようですが、精度を優先するグルーベル・フォルセイなどはクロノメトリックで表示しています。
個人的にはスペック競争以上の意味はない通常のパワーリザーブよりもクロノメトリック(とその条件での保障精度)を表示したほうがいいのではと思いますが、なかなか難しいのでしょう。
このムーブメントは巻止めで強制停止させるため通常のパワーリザーブとクロノメトリック パワーリザーブは等しくなります。

ムーブメント全体の仕上げについても。



一見するとコート・ド・ジュネーブもない、真鍮無垢でメッキもかけられていない、地板にはペルラージュ仕上げもない、と現在の高級時計から見れば寂しい仕上げでしかないでしょう。
しかし、精度に関係する各歯車の真や歯車の歯は丁寧に整えられ、各ブリッジも丁寧に面取りをされており、寂しいですが決して"手抜き"ではありません。



デテントの振り石と外し石、そして天真。
周りの風景が写りこむぐらい磨き上げられています。



デテントレバーも手作り感はありますが、おそらく手作業で調整し、バランスを取った痕が残っています、
ここをピカピカに磨き上げてその代わりバランスが僅かに崩れてしまう、またはバランス取りなど行わずに磨き上げてしまった方がいいのでしょうか。

地板の仕上げも同様です、メッキやコート・ド・ジュネーブ、ペルラージュはごくわずかとはいえ金属を盛ったり削ったりする加工です、寸法精度はわずかに悪化するでしょう。
こういうことを書いているとそもそも論で、本来の目的が形骸化し、"装飾のための装飾"、"○○だから高級"と定型文化した仕上げに意味なんてあるのか…という各方面にケンカを売りそうな感情が…
とは言っても私も、最初はもっと派手にいろいろ加工したほうが!と思ってしまっていましたが…

オーバーホールの方針として悪い部分を直すだけで、現在良好なところへ余計な調整は行っていません。
あくまで最良の状態に戻すことが目的で、現代の基準で審美性を良くするために磨くわけではないということを改めて自戒しました。
素晴らしいことに、作られて100年経つムーブメントが、現時点で日差数秒レベルまで追い込めているそうです。

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