インタヴュー 河村隆一・その①~プロデュース・モデルとライヴ・ウォッチ

 By : KITAMURA(a-ls)


時計サイトだのオフ会だの、すっかり時計三昧の暮らしをおくっている自分だが、端的に言ってもし"あの日"この方に銀座のアワーグラスに呼び出されていなかったら、間違いなく今の自分はいなかった。それが、ヴォーカリストとして著名な河村隆一(LUNA SEAのRyuichi)氏である。

以前の記事にもちらりと書いたことの引用になるが、
『時計に関しては"師匠筋"である彼が、今風の言い方でいうところの"パテック フィリップ推し"だったおかげで、時計に関しては右も左もわからなかった当時の自分を、真っ直ぐ王道に導いて頂けたこと、そしてそれによって生涯の趣味と、生涯の友人たちと、そしてコレクションを得られたことを、今も本当に感謝してやまない。』
という、まさに時計に関しての恩人で、実際、河村氏の薫陶を得て、機械式時計沼にデヴューされた方は多い。20年に近い愛好家歴を通して相当のコレクションをお持ちでありながらも、それでいて常に謙虚で、(時計の)勉強熱心で、老若男女問わず丁寧に接する姿勢は本当に学ぶべきところが多い。

今回、その河村氏にインタビューをする機会を得られたので、主にそのライフスタイル的な部分をフォーカスしてお話を伺ってみた。長い取材となったので、以後複数回に分けて掲載予定なのでご期待ください。

第一回目となる今回はまず、チャペック、オフィオンとコラボレーションした、自身のプロデュース・ウォッチについてから話を伺った。

Photographs by NAOTO_WATCH(インデックスページ画像とも)
撮影協力:Chrono Theory


――まず昨年発表されて話題となった、河村隆一プロデュースの2モデルについて伺いたいのですが、あれはどういう経緯で?
『オフィオンとチャペックというブランドで作らせていただいたんです。チャペックの時計自体は、インスタで見ていて、すごく興味を持ってたんです。「ケ・デ・ベルク」というモデルは42.5ミリと38ミリのヴァリエーションで、結構ヨーロッパの愛好家の方もお好きなようでで、着けられている画像がUPされていたりして、やはり歴史というか…物語もあって(笑)、ムードのある時計だなぁと思って見ていたんです。そうしたら、たまたまChrono Theoryさんのご紹介で、"Ryuichi Kawamuraモデル、10本限定で作ってもいいよ"みたいな。』

――最近はまた、パテック フィリップ以外にも広くコレクションをされているということは聞いてましたけど、いきなりパーソナル。モデルとは(笑)。
『それは初めての経験だったので、僕も、"え、そんなこと出来ちゃうんですか?"って。自分が欲しいモデルをワンオフで1本っていうんじゃなく、"え、10本の僕モデルが出来ちゃうんですか"って(笑)。で、チャペックさんからも、"OKです、自分でお好きにデザインしていいですよ"、みたいな。ただ、文字盤の色に関してだけは、いくつかのアイデアを最初にチャペックさんから出していただきました。なぜなら、過去に作られたモデルの全部を僕が知ってるわけじゃないんで、まだ使ってない色で提案をいただきました』

――サイズは最初から38ミリと決めてた
『はい。日本人にはベストサイズですよね。で、まだ世の中で使ってないダイヤルカラーの10本を38ミリのステンレス ケース モデルで』

――チャペック側とは、かなりやり取りされたんですか?
『ですね。"こういう色どうだ"、"ああいう色どうだ"って。結局、テラコッタというイタリアの…確か"焼いた石"っていう意味の、そういう色合いの文字盤色を選びました。で、あとは、12時位置をローマ数字に』


Photographs by WATCH MEDIA ONLINE(以下同じ)



――それはどういうイメージで?
『もとのモデルはアラビア数字だったんですが、いろいろと研究してる時に…チャペックさんが愛用されてたという懐中時計を見たんです。そうしたらそれはローマ数字だったんです。で、"12時位置のアラビアの12をアプライド・インデックスのローマ数字の12にできますか?"って訊いたら、"ちょっとやってみよう"って、やってくださって』

――そういうやり取りを、もう自分の納得のいくまで…
『はい。やらせてもらいました。そこには感謝してますし、うん、光栄だなぁと思って作らせてもらいました』

――その10本が、あっという間に完売ですもんね。
『もう…発売と同時に、もう一瞬でなくなっちゃったんです』

――すごいのは、隆一ファンではなく、時計ファンの方が、こぞって手を挙げたというところで。
『そうですね。ほぼ時計ファンの方が買われて、終わってしまったと思います』

――いわゆるアーティスト・グッズ的なものではなくて、時計としての存在価値を評価されてというのは、素晴らしいですよね。
『やはり、機械式時計ですから、ファン・グッズとして考えるとちょっと…あまりにも高額ですよね。もちろん、そういう時計をお好きなファンの方もいらっしゃると思うんですけども…。その意味ではやっぱり時計をずっとお好きだった方が手を挙げてくれたのは嬉しいですし、あのうそういう方々の情報収集能力の高さというか…ほんとに情報が早いんですよね(笑)』

――特に限定物はね、特に早いですよね。
『でも、ほんとに有難いです、はい』



――オフィオンもすでに完売状態?
『はい。オフィオンはさらに音符のマークが、1時位置とか、12時位置っていう形で入る12本限定なので、全部が文字盤違いのユニーク・ピースになるのがイメージだったんです』

――ご自分は1時位置の1番を持たれたんですか?
『僕はあのう…「ケ・デ・ベルク」も「オフィオン」も、両方とも、3番をいただいたんです』

――なんでまた3番を!?
『最初は、1番をって言って下さったんですよ。でもさすがに、発案者が1番を持ってるのは…』

――でも、隆一の“1“でもあるし…。
『いや、やはりそれでは他に買われる方々にも失礼かなと思って、"じゃあ、3で"と。それはなんとなく…なんとなぁ~くです。あのう別に僕、番号ってこだわりなくて。昔ですけど車で、自分の生まれ年が70年だから、ナンバープレートは70とか、そういうのはありましたけど』

――番号とかあまり、そんなに意識しない?
『そうそう。"3で"と言って、謙虚なところもちょっとアピールしたかったんですかね(笑)。でも、これを機に、これからは(限定モデルは)3番で揃えて行こうかと思ってます』


Photographs by WATCH MEDIA ONLINE 撮影協力:Chrono Theory

――時計歴というのはもう…
『20年近いですかね』

――お持ちの本数でいうと?
『本数はいちおうね、これはインスタでも言い続けてるんですけど…僕は時計、総数8本しか持ってないって言い続けていて(笑)。でも、インスタをチェックされているみなさんは、"いやいや、掲載されている時計が8本以上ありますよね、隆一さん"と…』 ――おかしいじゃないですか、と(笑)。
『そういう話になってるんですけど、でもまぁ、いちおう8本なんですよ、公式には』

――かつては、ステージの上でも着けたいから、そうなるとLUNA SEAのイメージや舞台美術の関係(暗転したステージでに光らないような配慮から、黒ダイヤルに拘って、コレクションの統一感をだされてましたよね。
『はい。黒ダイヤルは好きですね。また、パテックの黒ダイヤルって、なんとも言えない魅力がありますからね』

――ライヴ中でもかなりのコンプリケーションをつけてますよね。激しい動きがあったり、汗とか、そういうのはあまり気にしない?
『はい。あのう…最初は心配したんですけど、何年もライヴをやってきた経験上でも、手の甲を腫らしたことがないなと思ったんです』

――ということは?
『ということは、意外と動き回っていても、手をぶつけていないんだなってことに気づいたんです。たとえばギターのヘッドとかが、もしバーンと当たっていたら、手は腫れてるはずなんですよ。でももう何百本もライヴやっていて、そういう経験がないということは、時計をぶつけるということも実はないんだろう、と。もちろん何かにサッと擦るようなことはあるかもしれないけど、でも基本的にそれもほとんどなかったですし、大切な時計を着けると、それなりに何と言うか…意識して動いているようなところはあるのかもしれないですね』

――時計を着けた時と着けない時の歌って、少し変わるものですか?
『僕が想うのは、やっぱり時計って、いつかは自分の人生のひとつの象徴としてね、まぁそれがもう8本もあったら8個も象徴があるのかって言われちゃうのかもしれないですけど(笑)、"僕の人生って、こういう人生なんですよ。僕ってこういう人間なんですよ"っていう、人生のひとつの象徴として、時計がその代名詞になったらいいなと思うんです。そう考えると、そこからパワーが貰える気がする。やっぱりアーサー王にはエクスカリバーとか、象徴的なツールってあるじゃないですか(笑)。アーサー王ならアーサー王個人でもいいんだけど、でもやっぱりエクスカリバー、持っていて欲しいでしょ(笑)。自分にとっての時計ってそういう、自分に欠かせないツールのひとつなのかもしれないです』

――なるほど。たとえばライブハウスとか、武道館とか、そのシチュエーションによっても時計のセレクトは変わってきます?
『ですね。それを特に感じたのは、今年のLUNA SEAの30周年ツアーで、LUNA SEAのライヴはずっと、今日写真を撮っていただいたカーボン製の軽量ケースのフォーメックス「LEGGERA(レジェーラ)」というモデルを装着してやってたんですね。それまでのライヴでは、それがプラチナだろうがステンレスだろうがホワイトゴールドだろうが、気にせず、その時の気分だったり、その時の自分のイメージに合うものをしてたんですけども、やっぱり時計が軽いっていうのは、すごく意味があることなんだなぁって、最近思うようになりました、パフォーマンスっていう意味で』



――技術の進化は、「より薄く、より小さく、より軽く」という、ほとんどその工程から始まりますからね。
『意味ありますよね。カーボン素材なんて今までそんなに持ったことがなかったんです。やっぱりステンレスかゴールドかプラチナって、パテックだと、もうそこに全部があるんで(笑)。よっぽど特別なモデルでない限り、チタンもなければ、カーボンもない。でもそういう昔で言う、異素材と呼ばれていた…未来的な素材を使ってるブランドもどんどん増えてきたんで、やっぱりこのスポーツにはこういうモデルがいいとか、あんな素材がいいとか、そういうセレクトは出てきますよね。うん』


さて、ここから話は河村氏のファースト・パテックの想い出から、コレクション・ヒストリーを含むさらに深い部分に入っていくのだが、続きは第2回に譲りたい。ぜひお楽しみに。


[撮影場所:Chrono Theory]
2021年2月に銀座並木通りにオープンした、普段見ることのない腕時時計コレクションを見ながら お酒が嗜めるサロン。今年1月には大阪市東心斎橋に「Chrono Theory大阪」もグランドオープン。
東京都中央区銀座6-7-19 3F TEL: 03-6228-5335



[後記]
こうした時計サイトやオフ会活動をしていると、「時計を趣味としたキッカッケはなんですか?」と聞かれることは多い。実はこれが結構答えに困る質問で、たいていの場合『話すと長くなるので…いずれまた』とか、『まぁパテックやランゲと出逢ったことですね』とか、ふわっとした答えで失礼させていただくことになってしまう。
間単にいえば、当時の自分が生業としていた音楽雑誌を通じて10年以上の交流があった河村隆一氏が、そこには大きく関わってくるので、その経緯がなかなかに説明しずらいのだ。いつか、許可を得てちゃんと書き残しておきたいと思っていたが、今回のインタビューで、その辺りの話も出来たので、分割掲載する何回目かにはお話できると思う。ありがとう。