【連載】WATCH MEDIA ONLINE スイス時計製造現場視察ツアー レポート"番外編Ⅰ” ~ベルナルド・レデラー大いに語る、ダニエルズとの思い出

 By : CC Fan

明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

2023年に、オフィシャル部分だけは何とか終わったWMO主催の海外工房を巡るツアーのレポート、今回からは番外編として私が個人的に訪れたファクトリーをレポートします。

年末の記事で予告したとおり、ベルナルド・レデラーの工房兼サプライヤーMHM社の見学、およびルロックル在住の日本人時計師関口陽介氏の工房を見学しました。
両社ともヌーシャテル州に位置しており、スイスツアーの日程を確認すると、木曜夜がヌーシャテル滞在、そして金曜日はほぼフリーの日程になっている、と言うことを確認し「これは行くしかない!」とアレンジしました。



ホテルの正面でレデラーの奥様、エワさんと合流、MHM社に向かいます。



ヌーシャテル湖畔の工業団地の施設にレデラー率いるMHM社は入居しており、サプライヤービジネスを主体に活動しています。 ベルナルド・レデラーブランドとの関係は?と伺ったところ、レデラーブランドはMHMの顧客(クライアント)の一つ、と捉えればよいとのことで個人的に追及している「工芸と工業のいいとこどり」で両方のメリットを活かす戦略と理解しました。



ベルナルド・レデラー本人が登場!
お土産のピーナッツ最中のパッケージのイラストを見てノリノリです。

レデラーは以前は日本でもblu(Bernhard Lederer Universe)と言うブランドを展開しており、私が知ったのはそのころでした。
トゥールビヨンが文字盤上を公転するBLU MajestyTourbillon MT3やガガーリン・トゥールビヨンと言った超コンプリケーションから、三針まで幅広いラインナップを展開していました。



まず見せられたのはジョージ・ダニエルズの名著、「ウォッチメイキング」です。 冒頭にはダニエルズからレデラーへの直筆メッセージが記されています。



20代のレデラーは祖国のドイツからこの本を買うためにイギリスまでヒッチハイクで向かって手に入れます。
その後、この本を読みながら製作環境を整え、まずはクロックの製作に取り掛かります。



クロックを完成させたレデラーは当時ヴィンセント・カラブレーゼとスヴェン・アンデルセンが立ち上げた独立時計師アカデミーに初めのメンバーとして加入、「独立時計師」としてのキャリアをスタートさせます。



そのころダニエルズとも会い、前述のメッセージを「ウォッチメイキング」に貰うとともに、ダニエルズ本人との親交を深めます。
ダニエルズの懐中時計「スペーストラベラーズ」について、ダニエルズと輪列の減速比について議論し、レデラーのアドバイスをダニエルズが取り入れた、と言う事があったというエピソードが披露され、その時に使っていた計算シートも取ってありました。



スペーストラベラーズはレデラーがセントラル インパルス クロノメーターの考えの元としたDaniels Double Impulse Chronometer Escapementを搭載しており、脱進機で合流する二つの輪列から独立した回転が得られる、と言う特性を活かして平均太陽時で回転する輪列と恒星時で回転する輪列が脱進機で合流し、一つのテンワで異なる回転速度の輪列を制御すると言う方法を実現しています。
また、二つの輪列のどちらに噛み合わせるかによって測定する時間単位を切り替えることができるクロノグラフを搭載しています。

上記のシートではこの平均太陽時と恒星時を両立するにはどういう比率が良いか?という事を歯車の組み合わせによって検討した時のもののようです。



その後もダニエルズの薫陶を受け、今でもダニエルズを尊敬していると語るレデラー。 「独立時計師」としてのキャリアの集大成としてダニエルズが取り組んでいた、Double Impulse Chronometer Escapementを腕時計に搭載するという難題に挑戦することを決心し、セントラル インパルス クロノメーターの開発に取り組みました。



この姿勢は、機械式時計の可能性を信じ、新しい脱進機を果敢に開発していたダニエルズに重なるもので、後継者、と言うより現代のダニエルズといった方が良いのではないか?と伝えたところ、そう言ってもらえればうれしいと言う言葉をいただけたので、年末にも書いたフィリップ・デュフォーの下に現代のダニエルズ(Contemporary Daniels)というメッセージを残す、と言う狼藉に繋がりました。

次回は「工業」の方、MHM社が誇る最新製造設備を見学します。