独立時計師 菊野昌宏 氏 × ウオッチエングレーバー 金川恵治 氏 トークショー

 By : KITAMURA(a-ls)

こ、これはお伺いしなければ!

かつて、日本の工芸技術のレベルが実に神がかっていた時代があった。江戸末期から明治期にかけて、様々な分野で日本の工芸職人が到達していた、圧倒的な造形や表現技法、そして伝説的な職人・名人たちのモノ創りへ向かう姿勢の凄さがあった。それらはやがて失われていくのだが、いま平成の世にその微かな系譜を探すとき、このおふたりの存在は、日本伝来の職人文化にとって一種の"救い”とも思えるからだ。

というわけで、小田急デパートで開催中だったワールド・ウォッチ・フェア会場に急行した。






展示場内の通路を利用したトーク会場はすでに満席で、立ち見の方も多く見受けられた。
その通路正面に燦然と展示されている、おふたりの作品、これがすごい。



菊野氏の「和時計 改」の第一号機(銘「暁鐘」・画像のセンター上)と、今年発表された新作「朔望」(画像右)、そして金川氏のエングレーヴィングを施された作品(左手前と奥)の4本が鎮座したショウケースからは、職人の想いが宿ったモノ創りからでなければ放つことのできない、なにか強烈なオーラのようなものが充満しているように感じられ、当方のテンションもおのずと高まっていく。

そしてトークショウがスタート。まずは二人の出逢いが語られた。
菊野さんは『雑誌の中で拝見するイメージで、怖い方だと思っていた』そうで、一方の金川さんも、『(初めて会ったときは)雑誌で見ていた(集中した表情)とは別人のようにニコニコしていた』と、それぞれ意外な印象での初対面だったらしい。
早くから時計師・彫金師として互いを認め合った二人の関係はやがて、世界的な大手エンターテインメント会社に属していた金川さんが独立を決心し、菊野さんの「和時計・改」の彫りを手がけるという、互いの製作人生におけるキー・パーソンとなるまでに至る。



菊野さんは語る。
『金川さんの技術を、このまま海外に流出させるのは、あまりにもったいないので、「和時計・改」の漢字の彫りなどをお願いしました』
この依頼が、ひとつの引き金となって、金川さんは独立を決められたという。

そしていよいよトークテーマは、二人の共同作業といえる「和時計・改」の製作エピソードにはいる。
ちなみに、この日に展示されていた「和時計・改」はすでに納品が完了した第一号機で、ご購入者のご厚意によって展示されたものである。



注文主の希望などを入れて外装の彫りを入れていく、年産一本の「和時計・改」は、個体ごとにその意匠が異なるため、この第一号には個別の銘が与えられている。この一号機は「暁鐘」と銘打たれた。
その意味を菊野氏はこう語った。
「暁鐘とは、 "夜明けを知らせる鐘の音”という意味がありますが、自分はここに、"新しい日本の時計”、"新しい夜明けとなる時計”という想いを込めました」


●今年のバーゼル会場にて接写させていただいた際のリストショット


実際この製作は金川氏にとっても"新しい夜明け”となったようだ。
「それまで洋彫りばかりだったので、漢字は初めてでした。筆で書いたような"ハネ”、"トメ”を彫るのは初めてのうえ、菊野さんが大変な手間をかけて作られた割ゴマなどの部品は、万一、彫りを失敗したら替えが利かないので(部品製作が一からやり直しになるので)、緊張しました」


●金川氏が干支の漢字を彫り込んだ割ゴマ。すべてミリ単位の作業(トーク中のスライドより)。時計の中に文字盤として収まると、その小ささが実感できるだろう。


しかし、この細密な作業を見事に終えた今、金川氏は、『いまは明治工芸などの和彫りに関心が進んでいる』と述べ、今後の作品について問われた菊野氏も、「工具も機械も限られていた昔の時計職人がやっていたように、ヤスリ一本で、最初から最後まで手造りで時計を仕上げてみたい」などという、およそビジネスには程遠い大望を語っていた。冒頭に予見したように、江戸・明治職人のDNAを宿したおふたりの共通項が、まさに垣間見えたトーク展開であった。

技術的なトークで一番驚かされたのは、「暁鐘」のケースサイドの草の葉紋様だった。これらがすべてフリーハンドの手彫りなのは当然のことながら、紋様の陰・陽(簡単に言えば凸と凹部)が入れ替わっているというのだ!



通常の草の葉紋様の陽刻と陰刻を逆に彫ったらどうでしょう」と、大胆な提案を思いつく菊野氏も菊野氏だが、それを彫り上げてしまう金川氏も金川氏だ!


●浮き出る部分(陽刻)と彫り込む部分(陰刻)を入れ換えて彫られた紋様を並列したサンプル。このモチーフが「暁鐘」のケースサイドに採用されている。

●展示されていた金川氏のエングレーヴによる実機。右はMINASE の18K FIVE WINDOWS ケースにエングレービングした作品。

会場には、菊野氏の今年のバーゼル新作「朔望」も展示され、注目を集めていた。ご興味のある方は、ぜひ本ニュースサイトのアーカイヴ記事をご参照ください。
・菊野 昌宏 バーゼル新作速報! https://watch-media-online.com/blogs/443/
・新作お披露目 ~朔望(さくぼう)~
  https://watch-media-online.com/blogs/536/


●画像の右側が「朔望」。太陰暦では「朔」(1日=新月)、「望」(満月=15日)とされていたことから、「朔望」とは月の満ち欠けの周期を指す美しい言葉。


そして、「トーク終了後にも個別の質問に答えます」という嬉しい計らいがあり、会場に残ったおふたりを時計ファンが取り囲んだ。
わたしも、金川氏とジャーマン・エングレーヴなどについてお話しさせていただいたが、定年された元ランゲ&ゾーネのエングレーヴィング部のワーグナー部長とご懇意にされているそうで、やっぱり名人は名人を知るというか、時計の世界を突き詰めるとたいてい誰かと繋がる面白さを感じながら、いろいろとお話しをうかがった。
近々、金川氏の工房にお邪魔してぜひ取材をさせていただきたい!



こうして、超絶技巧の作品を見つめてはその作者とコミュニケーションする愛好家の輪はいつまでも途切れることなく、アフター・ショーは1時間以上に及ぶ盛況ぶりを見せてくれた。
菊野さん、金川さんのおふたりは言う前でもなく、その作品から放たれるものを愛でる愛好家の方々も皆、この時代で出逢えたこと、巡り合えたことの幸福を感じられたイベントであった!





【プロフィール】
菊野昌宏:1983年・北海道深川市生まれ。高校卒業後に自衛隊に入隊。除隊後、ヒコ・みづのジュエリー・カレッジに入学し2008年卒。2010年からは同校の講師助手を務め時計製作を始める。2011年世界の独立時計師による団体AHCI準会員、翌2013年に日本人初のAHCI正会員となる。 http://www.masahirokikuno.jp/

金川恵治:1960年・長崎生まれ。彫金師。美術学校を卒業後、国内ゲームメーカー勤務。1985 年 25 歳の時にイラストレーターとして独立。世界的なエンターテーメント会社の仕事に携わる傍ら、趣味の機械式時計の世界にも没頭し、自ら作り始める。現在は独立し、日本が誇るウォッチエングレーバー(彫金師)として活躍。http://kcraftwork.jp/