A.ランゲ&ゾーネ初のスポーツ・ウォッチ「オデュッセウス」~その10年の"漂流譚"と生真面目なメカニックについて

 By : KITAMURA(a-ls)



A.ランゲ&ゾーネが、自社の大事な周年記念日(1994年の同日・ランゲ最初の4モデルが発表された日)に、初のステンレス スティール製のスポーティなコレクション「オデュッセウス」を発表してから5日ほど経過したが、実感として、わずか5日とは思えないくらい、各所でいろいろな"声"や"意見"や"興味"が沸騰している気がする。

時計シーンがこういうエキサイティングな感じで騒がしくなるのは、SIHHやバーゼル時期を除けば、なにかとても懐かしい気がするので、たとえそれが非難の声でも、疑問の声でも、最近安全パイを置きに来ていた感のあるA.ランゲ&ゾーネにまだ愛好家を熱くさせる運動量が内包されていることが、まず喜ばしく思われた。
すなわち、善かれ悪しかれ、ウォッチ・インダストリーの中で広く意識されていて、言い換えれば注目されていて、ある意味では期待されているからこそのことだと思うから、こうしたランゲのブランド・パーソナリティ的な要素は、これからも大事にしてほしい。



さて今回は、現時点で分かっていること、知っていること、感じたことなどを書きつつ、「オデュッセウス」という存在にもう少し立ち入ってみたい。
ではまず、ヒストリカルな視点から「オデュッセウス」を見ていこう。


■今だから話せる「オデュッセウス」の"歴史"
10年にも及ぶ苦難の道のりゆえに、ホメロスの「オデッセイ」になぞらえ、この作品を「オデュッセウス」と名付けたというブランドからの説明によるならば、この「オデュッセウス」の起源は2009年頃ということになる。

2009年と言えば、CEOを務めていたファビアン・クローネが電撃的に退任した年で、後任のジェローム・ランベールが当時進行していたプロダクトに大きな見直しを行った年でもあるので、この2009年という数字には"神話以上の"信ぴょう性があると感じる。



実はちょうどこの時期、2010年から2012年までの3年間、自分はランゲ本社を訪ねている。2010年・2012年は、いまは懐かしいランゲ・オーナーズ・クラブ・ジャパンというコミュニティーを組織して「ランゲ・アカデミー」受講のため、2011年はSIHH直前のグラスヒュッテを訪れているのだが、そういわれてみれば、2012年の訪問中に印象に残っているシーンがある。
以下、ちょっと長くなってしまうが、「ドイツ腕時計」という雑誌に寄稿した文章を引用する。

『…ランゲ・アカデミーとは、A.ランゲ&ゾーネの正規店に来店したカスタマーが、世界各国どこでの店であっても変わることのない高水準のサービスを受けられるようランゲ本社が開発した正規店スタッフ用のカリキュラムで、ランゲの聖地であるグラスヒュッテへ赴き、数日間をかけて、ランゲの歴史とそのブランド精神、時計の一般的機構などの知識、ポリッシュやエングレービングやケーシング体験、ムーヴメントの組み立てといった実地的授業を受け、その最終日に行われる試験に合格した者が卒業証書とともに、「ランゲ・アンバサダー」の資格を得られるというものだ。(…中略)。
そのレクチャーの一環としてドレスデンにある商品開発部を訪れた際の質疑応答で、ひとりのクラブ・メンバーが次のような質問を投げかけた。
 「ランゲは何故ステンレス・スティールの時計や、スポーツ・ウォッチを出さないのでしょう?」
それに対し、当時開発部の部長だったティノ・ボーベは次のように答えたのである。
 「出さないと決めているわけではありません。実際のところ、それらのテーマはアイデアのひとつとして、かなり以前から社内でも挙がっていますし、わたしたちも、その種の時計を求めるニーズがあることは充分に承知しています。ただし…」
と、ここまでの話で、“あ、そのうち出る予定があるのかな”と思った次の瞬間、ティノ・ボーベの口から予想もしていなかったことが語られ始めたのだった。
 「ただし、現在のわたしたちは、まだそれほど大きな規模ではありません。年間に作れる時計の本数にも限りがありますので、出されたアイデアのすべてに取り掛かり、実現することはとても不可能です。そこで、それらのアイデアにプライオリティー(優先順位)をつける必要があります。その際にわたしたちが大きな規範とするのは、“そのアイデアが、かつてのA.ランゲ&ゾーネの歴史の中にあったのかどうか”ということなのです。たとえば、アドルフ・ランゲが興した工房で、かつてスポーツ・ウォッチが作られていたか、ステンレス・スティールの時計を積極的に作っていたかどうか、そのことを歴史の中に問い掛けるのです。お尋ねのような時計が絶対に実現されないとは言いませんが、そのプライオリティはかなりずっと、下位のほうですね。」

まだその時期ではないというニュアンスを漂わせつつも、会議などではステンレスのスポーツ・ウォッチの可能性が取り上げられていることを認めている。今となっては、これは非常に興味深い質疑応答だったと思う。

●ティノ・ボーべ開発部長(当時)のプレゼンテーション、2012年


自分が見てきた限り、草創期からのランゲ・ファンの間にも、「貴金属の格調高い時計だけを作るべき派」と「ランゲ・クォリティ―のスポーツ・ウォッチを見てみたい派」の2つの意見があったと思う。まぁ、その比率は前者のほうが遥かに多かったものの、シンガポール在住の高名な時計ジャーナリスト SJX氏によれば、ランゲ復興の立役者である故ギュンター・ブリュムライン氏は後者の考えだったという。

資料から読み取れる、次のキーポイントとなる年号は2015年だ。
「オデュッセウス」のキャリバーNo.[L155.1]から、この年にムーブメントの開発が着手されていることがわかるからだ。スモールセコンドの位置取りなどから見てデザイン優先で着手されたキャリバーと思われるが、2009年の起源ということは、この"フェイス"に決まるまでに5~6年を要したことになる。



15年近くランゲ・ファンをやって2年に一度くらいのペースでグラスヒュッテを訪ねていると、コネクションもそこそこ広がるもので、この2015年以前、つまり"オデュッセウスの神話時代"に何があったのか、解禁日を機にいろいろと情報が入ってきている。
簡単に言うとそれは、「ステンレス スティール製の時計を安価で作り購買層の裾野を広げて、それらの層を従来のランゲ購買層に結び付けるべき派」が、「価格にとらわれず、あくまでもランゲ・クォリティ―を徹底したスポーツ・ウォッチを作りあげるべき派」に押し切られる過程である。

前者の特筆点は、自社ムーブにすらこだわらずエボーシュ採用の可能性までをも探っていた点で、積むならば「ボーシェ」製という具体案まであったという。
クロノス日本版・広田編集長がツイッターで紹介されたいたエピソード、
「ジャガー・ルクルトの機械を載せたスポーツウォッチを作れ」と言われたA.ランゲ&ゾーネは全社を挙げてそれを拒否し、かわりにこの時計を作り上げた。オデュッセウス、という苦難に満ちた、しかし最後は希望がある名前を付けたのは納得だよ。」という呟きも、この過程のことだと思うが、自分のルートではこの情報は未確認なので今度会ったら聞いてみよう。
実際、2010年から2013年まで、A.ランゲ&ゾーネの方向性の決定権は、ジャガールクルトCEOを兼務していたジェローム・ランベールにあったので、ありそうな話ではある。



この2015年を機に、このプロジェクトは一気に推進される。
「オデュッセウス」に批判的なご意見をお持ちの方々の指摘でよく拝見するのが、『常々ランゲは、貴金属ケース以外は使用しないと謳っていたではないか』というものだ。
これも自分ではその真偽までは未実証ではあるが、ある関係者によると、『ドイツ語の公式文書などにあるのは、「発表している作品はすべて貴金属ケースである」という書き方で、「使わない」とは言っておらず、しかもその表現も2015年を境にカタログなどからは削除されている」という、ある意味で律義な、考えようによっては一休さん的な対応ともいえるが、ともかくこの2015年、ステンレス スティールのスポーツ・ウォッチのプライオリティはついに上位となり、サクソニア・オートマチックをベースとした新ムーブメントの製作がスタートするのである。

実際、開発が始まったこの2015年以降、「いよいよスポーツ・ウォッチが出るらしい」とか、「ランゲがスイスのブレスメーカーと接触している」とか、前述したようなグラスヒュッテ・コネクション経由を含む、様々なウワサが耳に入ってくるようになる。

それがかなりの確信に変わったのは、2017年、逝去されたウォルター翁へのオマージュモデルが発表された際に、チャリティー用として1本だけステンレス スティール・ケースのヴァージョンが作られ、さらにプレスリリースに次のような一文を見た時だった。

『1815“ウォルター・ランゲへのオマージュ”の直径40.5ミリのケースはステンレススティール製です。A.ランゲ&ゾーネのコレクションの中でも、ケースにこの素材が使用されているのは製作数限定の最上級モデル数点だけです。』

この表現は明らかに正確さを欠いているので、この作品を紹介した当時の記事で、自分は次のような補足を加えた。

『ただ、これまで頑なにステンレススティールを選んでこなかったA.ランゲ&ゾーネが、このウォルター・ランゲへのオマージュ・モデルに、黒エナメル+ステンレススティールという、懐中時計時代を含めて過去に例のない組み合わせをを採用したのは意外だった。(プレス・リリース中の「ケースにこの素材が使用されているのは製作数限定の最上級モデル数点だけです」という表現はかつてオークション市場に登場したダブルスプリットを指すのだろうか。他にも数点のランゲ1や1815などがオークションに登場した例はあるが・・・)、だがいずれにしろこの個体は、ブランドが製作前に公式に発表した史上初にして唯一のステンレススティール・モデルであることは間違いない。』

https://watch-media-online.com/blogs/1109/

2015年以降に寄せられていた数々のウワサとこのプレスリリースの表現によって、「たぶん近々にステンレス スティール製のランゲ、それもたぶんブレス仕様のスポーツ・ウォッチが出るな」ということを確信したわたしは、この年の年末にも、以下のようなブログを書いた。

『あとひとつ気になったのは、ウォルター・ランゲ・オマージュのスペシャル限定にステンレス スティール・ケースを選んだことだ。ウォルター翁とSSケースには特に関連性はないし、普通に考えれば、プラチナもしくはハニーカラーゴールドが登場するはずのシーンでのステンレス・スティールの採用である。まさかこれを踏み絵に・・・・ランゲも!?
先にも書いたが、「ステンレススティール・ケース」は、良くも悪くも、今後のドイツ時計シーンにおいて、かなり重要なキーワードになるような気がする。ま、信じるか信じないかはアナタ次第だけどね!』
https://watch-media-online.com/blogs/1148/

そして、2018年に最初のプロトが完成したというウワサを得てから、2019年のSIHHで、3つの数字、「25」、「10」、「1」をあしらったマークの説明によって、「1」にあたる新しいコレクションが予告された段階で、あとはその日までのカウントダウンを待つのみとなり、2019年の10月24日を迎えることになった次第である。



"オデュッセウスの貴種流離譚"が演じられていたこの10年間について、情報解禁となった今、各所に取材を申し込んでいるので、それらが実現次第、グラスヒュッテを舞台に繰り広げられていた、より具体的な歴史をお届けできると思っている。
次の視点はメカニックである。


■「オデュッセウス」のメカニック面について
掲載を許可された分解図をみると、この「オデュッセウス」の製作に関して、A.ランゲ&ゾーネが重視した点が明らかになってくる。それは復興から現在まで、ブランドにその経験値やノウハウの蓄積がなかった新たな分野へのアプローチが必要となった部分、つまりスポーツ・ウォッチとして、これまで想定してこなかった条件下で使用される可能性への対策である。



まず、これまで以上に動態(携帯)精度を高めなければならないため、いくつかの"ランゲ史上初"を実現・搭載することになったこと。①初のハイビート:28,800振動、②初の防水性:120M、ねじ込み式リューズなどがそれにあたる。

とはいえ、多くのブランドにとって、上記のような基準はごく標準的な範囲なので、そこまで構える必要もないことと言えばそうなのだが、A.ランゲ&ゾーネのゲルマン気質というのか、様々な可能性を予測して、それらの要素が時計に障害を及ぼさないような規制や機構をあらかじめ先回りして構築しておき、ともかく壊れにくくする・くるいにくくすることに注力するという傾向がランゲにはある。時にはそれがかえって過剰な機構となり、価格を引き上げてしまっていたりするのだが、そういう生真面目さ、慎重さ、念入りさは、この「オデュッセウス」にも散見できる。

しかも、シースルーバックにもこだわったため、見た目や仕上げの美しさも巧みに処理しなければならない。



わかりやすい点は、スポーツ・ウォッチとしての動的使用に対応するための28800振動の搭載だが、その先回り対策として、4個の埋め込み式の調整用ビスを取り付ける新設計を採用し、さらに耐震を高めるためバランスホイールの両側2点でテンプ受けを固定している。もちろん、テンプ受けのエングレーヴは欠かしていない。
ローターは片巻き上げとし、ブラックロディウム仕上げを施したArcapを採用。外リムはプラチナ。
一番の肝は、ランゲのステイタス・アイコンであるアウトサイズ・デイトの採用なのだが、実はあの機構は振動にそこそこ弱い。そこで今回、A.ランゲ&ゾーネは"アウトサイズ・デイトを再発明"したのである。



この部分の解説に関しては、当サイトのメカニック部門の鬼才、CCFan氏に詳細にお願いしたので、以下を参照・熟読していただければありがたい。
https://watch-media-online.com/blogs/2665/


先ほどデザイン優先とは書いたが、曜日表示ディスクが思いのほか大きくなったのか、ケース側を変形させて収納し、結果、ピラミッド型となったプッシュボタンにリューズガード的なイメージを持たせるなど、とても面倒な対応を巧みに処理している。
また、今回はブレス一体型のケースだが、将来的には、革ベルト、ラヴァ―・ベルトの「オデュッセウス」が発表される可能性をブランドは否定していない。

●曜日がドイツ語表記なのだが、こういうヴァージョンもあるのだろうか?


続いてブレスの装着感。
だが、これは個々の好みがあると思われるので、良い悪いを簡単に結論するの難しいが、自分の感覚では、たとえば「ノーチラス」のように滑らかな面で包まれる感じと、「ロイヤルオーク」のようなコマでしっかり包まれる感じのどちらかで例えると、後者のタイプのように感じる。かなりの重量感を覚えるのは、ここでも、持ち前の慎重さ、つまり落下防止や、ガッチリと支えるという思想が優先されたのではないだろうか。


畏れ多くもクロノス日本版の松崎社長のお腕をお借りしてのリストショット

ここまで書いてきたようなこと、さらにそれ以上のことを呑み込んでのこの価格310万円(税抜)なのだろうが、せめて300万円を切ってくれればとも思った。しかしこれはおそらくドイツ価格の€28000ユーロを換算したもので、ヨーロッパでは3万ユーロより上か下かが価格帯のひとつの大きなハードルとなるので、高級機械式路線としては仕方ないのかもしれない。

思うに、文字盤違いなどのヴァリエーションも、その気になれば手間なくできたはずなのに、"スポーツ・ウォッチ戦線"のそのまた最前線である、ブルー文字盤一型で勝負に出たというのは、非常に挑戦的だし、そこにはある意味ランゲらしいと自信を感じた。



記事が怖ろしく長くなっている気がする・・・。
このネット時代、読むのに3分を超えるような長文はあまり歓迎されないようで、アクセス数も低くなるため、そろそろこのへんで締めくくりたいのだが、最後に一つ、もしこの「オデュッセウス」がSJX氏の言うような、ギュンター・ブリュムライン氏のDNAの末裔であるとするならば、ブリュムライン氏が再興した2つのブランドの遺伝子を、この作品は汲んでいると言えるかもしれない。
7mmの微調整が可能なバックルは「IWC」の要素だし、120M防水で思い浮かぶのはIWCかオメガである。そしてまたオールドマニアの方は良くご存知と思うが、そもそも「ジャガールクルト」のコレクションに、かつて「オデュッセウス」というラインが存在したのだ。

この作品は、ランゲ家とは別の系譜とコードで組まれているという仮説、それはそれで非常に興味深い!


●7mm伸びるメカニズムを裏から見る




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