ベルナルド・レデラー セントラル・インパルス・クロノメーターのセントラルインパルスエスケープメントを解析する
By : CC Fan2020年9月28日追記:レデラーとのメールのやり取りで、パワーリザーブに誤りがあったことが分かったので修正しました。
しばらく前にセントラルインパルスクロノメーターを携えてカムバックの情報をお伝えしたAHCI所属の独立時計師、ベルナルド・レデラー(Bernhard Lederer)、偉大な脱進機の発明者に捧げる「トリビュート・トゥ・マスターズ・オブ・エスケープメント」シリーズの第一作として、コーアクシャル脱進機の発明者としても名高いジョージ・ダニエルズが考案した両方向直接駆動脱進機(ダブル・ダイレクトインパルス・エスケープメント)の原理を用いて構造をより最適化したセントラル・インパルス・クロノメーター・エスケープメントを開発、セントラル インパルス クロノメーターに搭載しました。
今回はいつものパワポ図入れでこの発明を追っていきましょう。
ダニエルズの両方向直接駆動脱進機はブレゲのナチュラル脱進機をベースに改良を加えたもので、特徴として完全に独立した二つの輪列から1つの脱進機を駆動するという事が挙げられます。
ムーブメント側からの図に、それぞれの回転方向を入れました。
脱進機でテンワを駆動するガンギ車とエネルギーソースの香箱が2つあり、それらをつなぐ加速輪列も2セットあります。
ダブルバレルとの違いは、それぞれの輪列は同期しておらず、それぞれが独立して回転していることです、終端の脱進機で同じ平均回転速度に脱進されるため、平均は等しくなりますが、瞬間速度はそれぞれ独立です。
下側の輪列が通常の時計と同じ回転方向で時分針とスモールセコンドを駆動、上側の輪列は逆回転になっているため表示は駆動せず、脱進機の片側を駆動するだけになります。
香箱の回転方向も逆になるため、巻き上げ輪列には1枚反転用の中間車が挿入されており、1方向のリュウズの巻き上げで両方の香箱を巻き上げます。
この逆方向・独立回転の2つのエネルギーソースを使って両方向独立駆動を行うのがセントラル・インパルス・クロノメーター・エスケープメントです。
この図に注記を記入します。
表現が難しいので、アンクルが左右に振れる方向で色をつけ、それぞれの部分がどのように動くかを記入しました。
中央のアンクルには2か所の停止位置があり、その位置はアンクルのお尻の位置にある2つの土手ピンで規制されます。
この土手ピンはスイスレバーのようにテンプ近くにないため組み上げた後でも調整を容易に行うことができます。
ムーブメント写真からも独立したブリッジに置かれている土手ピンが確認できます。
天真にある振り座にはスイスレバー同様のアンクル振り石とダブルローラー安全装置が設けられ、天真が一定の角度でしかアンクルが動くことができなくすることで、スイスレバー相当の安全性を担保しています。
これは既存のナチュラルやデテントの「改良版」と同じく、スイスレバーと同じように衝撃によってガンギ車のロックが外れて予期せぬタイミングでガンギが回転しないようにするため、スイスレバーの安全装置を「接いだ」構造になります。
アンクルには3つの止め石があり、そのうち1つは両方のガンギ車で共用の共通止め石、残り2つはそれぞれを独立に止める独立止め石です。
1つのガンギに対する2つの止め石は、幾何学的にどちらか一方は絶対にガンギの歯先の軌道(青色破線)内に侵入するような位置関係になっており、止め石が1つしかないデテントのようにタイミングによってガンギ車の歯が一気に数歯進んでしまうことを避けており、これもスイスレバーの入爪・出爪の関係と同じで安全性を担保する保証となっています。
1つのガンギ車に対しては、片方の爪が外れるのとオーバーラップしてもう片方の爪が軌道に侵入し、停止位置までガンギ車が進むという仕組みになります。
ここで、テンワとガンギの回転方向が一致し、インパルスが与えられる条件の時はガンギを大きく動かし、回転方向が逆で「空振り」するときは安全のための最小距離しか動かさないという工夫がなされています。
具体的に見てみましょう、アンクルが向かって右から左に動くとき(青色矢印の時)は、向かって右のガンギがテンワの回転方向と等しくなり、振り石を駆動するのはこちらだけで、反対側は安全のために空振りするだけです。
この時、右側のガンギは共通止め石が外れて独立止め石が停止させる、左側は独立止め石が外れて共通止め石が停止させる関係になります。
この石の位置を調整することにより、右側のガンギは大きく回転し、左側のガンギは止め石をパスする程度の最小量だけ回転するようになっています。
これは、駆動しない側は負荷が軽いため、動く量が多いと勢いがつきすぎて止め石への衝撃が大きくなってしまうのを防ぐ効果もあります。
逆に、アンクルが向かって左から右に動くとき(オレンジ色矢印の時)は全てが逆になり、左側が大きく動いて右側が少ししか動かない動作になります。
この、「2つの回転が独立で、駆動方向によってガンギの動く量が変わる」という特性がほかのナチュラル脱進機発展型の実装(ヴティライネン、ローラン・フェリエ、当サイトでは取り上げてないけどジュルヌのEBHP脱進機)と大きく異なる点です。
他の実装は1輪列から片方のガンギ車を駆動し、1:1の伝え車で反転回転を作っているので二つの回転は同期しており、それぞれの回転量はガンギ歯の間隔の1/2ずつになります。
そのため、他の実装は香箱のエネルギーを半分ずつ、交互のガンギから注入するイメージですが、セントラル・インパルス・クロノメーター・エスケープメントは2つのガンギが独立なので香箱のエネルギーを交互に注入、トータルではほぼ倍のエネルギーを注入することができます(香箱が2つあるのである意味当たり前なのですが…)。
アンクル振り石とダブルローラー安全装置のおかげでデテントのパッシングスプリングよりより精密に解除タイミングが制御できることに加え、3つの止め石につけられた角度によるある種の「間接駆動」によってテンワをコントロールすることで振り石がガンギ車にあたる角度を常に最適にするようにコントロールしており、これが「セントラル」インパルス、すなわち中央点でインパルスを与えるという名称になっています。
ここでレデラーがさらに注目したのが脱進機の音でした。
チクタクという脱進音は機械式時計の醍醐味として見られていますが、エネルギー授受としてみるとテンワに伝わりきらなかったエネルギーが音として放出されたり、土手ピンにアンクルが当たることなど「エネルギーロス」の表れであり、テンワ自体は音を発する要素はないため、理想的にエネルギーを100%伝えている脱進機があれば音は無音になるはずです。
設計と調整によりCal 9012は極めて静かに脱進を行います。
これを実現するためにガンギ車への入力トルクを一定にするためにそれぞれの輪列に10秒ルモントワールが追加されました。
ハリソン設計のものをインスパイアしたというルモントワールは、4番車につけられたルーローカムから3番車をコントロールする方法です。
60秒で1周する4番車にルーローの3角形のカムが取り付けられているため、読み取りレバーは60秒で3往復します。
アンクルが1往復するたびに歯は2歯進むので、ルモントワールの1周期は60秒/(3×2)で10秒になります。
これによりガンギ車への入力トルクを安定化し、更に安定な脱進動作を行うようにしています。
ここまでの装備をして、ケースサイズ44mm、厚み12.2mmでムーブメントが凸に出っ張っているデザインでありながら、パワーリザーブは38時間とパワリザよりも精度に全振りした感じが見えて非常に好印象です、パワーリザーブは実際には58時間あるそうです、手書きの原稿から電子化するときに38時間と誤写されたとのこと、修正します。
できればクロノメーター規格のテスト結果も見てみたいものです。
最後にプレスリリースにも挙げられている特徴的な意匠、接線曲線(tangent curve)スポークについて。
歯車の中心円と外周円を直線で繋ぐのが一般的ですが、レデラーは中心円からは接線(正接)で出て外周円には垂直で繋がる独自のプロファイルを持つ曲線でスポークを処理しました。
これにより歯車の回転方向に合わせたダイナミックな印象を持たせることができ、レデラーらしさも表現することができています。
思い返してみると、スポークには時計師のキャラクターが表れている…と言う作品はいくつかあり、この作品もレデラーのキャラクターを示しているのではないでしょうか。
非常に興味深い作品です。
https://bernhard-lederer.com/
しばらく前にセントラルインパルスクロノメーターを携えてカムバックの情報をお伝えしたAHCI所属の独立時計師、ベルナルド・レデラー(Bernhard Lederer)、偉大な脱進機の発明者に捧げる「トリビュート・トゥ・マスターズ・オブ・エスケープメント」シリーズの第一作として、コーアクシャル脱進機の発明者としても名高いジョージ・ダニエルズが考案した両方向直接駆動脱進機(ダブル・ダイレクトインパルス・エスケープメント)の原理を用いて構造をより最適化したセントラル・インパルス・クロノメーター・エスケープメントを開発、セントラル インパルス クロノメーターに搭載しました。
今回はいつものパワポ図入れでこの発明を追っていきましょう。
ダニエルズの両方向直接駆動脱進機はブレゲのナチュラル脱進機をベースに改良を加えたもので、特徴として完全に独立した二つの輪列から1つの脱進機を駆動するという事が挙げられます。
ムーブメント側からの図に、それぞれの回転方向を入れました。
脱進機でテンワを駆動するガンギ車とエネルギーソースの香箱が2つあり、それらをつなぐ加速輪列も2セットあります。
ダブルバレルとの違いは、それぞれの輪列は同期しておらず、それぞれが独立して回転していることです、終端の脱進機で同じ平均回転速度に脱進されるため、平均は等しくなりますが、瞬間速度はそれぞれ独立です。
下側の輪列が通常の時計と同じ回転方向で時分針とスモールセコンドを駆動、上側の輪列は逆回転になっているため表示は駆動せず、脱進機の片側を駆動するだけになります。
香箱の回転方向も逆になるため、巻き上げ輪列には1枚反転用の中間車が挿入されており、1方向のリュウズの巻き上げで両方の香箱を巻き上げます。
この逆方向・独立回転の2つのエネルギーソースを使って両方向独立駆動を行うのがセントラル・インパルス・クロノメーター・エスケープメントです。
この図に注記を記入します。
表現が難しいので、アンクルが左右に振れる方向で色をつけ、それぞれの部分がどのように動くかを記入しました。
中央のアンクルには2か所の停止位置があり、その位置はアンクルのお尻の位置にある2つの土手ピンで規制されます。
この土手ピンはスイスレバーのようにテンプ近くにないため組み上げた後でも調整を容易に行うことができます。
ムーブメント写真からも独立したブリッジに置かれている土手ピンが確認できます。
天真にある振り座にはスイスレバー同様のアンクル振り石とダブルローラー安全装置が設けられ、天真が一定の角度でしかアンクルが動くことができなくすることで、スイスレバー相当の安全性を担保しています。
これは既存のナチュラルやデテントの「改良版」と同じく、スイスレバーと同じように衝撃によってガンギ車のロックが外れて予期せぬタイミングでガンギが回転しないようにするため、スイスレバーの安全装置を「接いだ」構造になります。
アンクルには3つの止め石があり、そのうち1つは両方のガンギ車で共用の共通止め石、残り2つはそれぞれを独立に止める独立止め石です。
1つのガンギに対する2つの止め石は、幾何学的にどちらか一方は絶対にガンギの歯先の軌道(青色破線)内に侵入するような位置関係になっており、止め石が1つしかないデテントのようにタイミングによってガンギ車の歯が一気に数歯進んでしまうことを避けており、これもスイスレバーの入爪・出爪の関係と同じで安全性を担保する保証となっています。
1つのガンギ車に対しては、片方の爪が外れるのとオーバーラップしてもう片方の爪が軌道に侵入し、停止位置までガンギ車が進むという仕組みになります。
ここで、テンワとガンギの回転方向が一致し、インパルスが与えられる条件の時はガンギを大きく動かし、回転方向が逆で「空振り」するときは安全のための最小距離しか動かさないという工夫がなされています。
具体的に見てみましょう、アンクルが向かって右から左に動くとき(青色矢印の時)は、向かって右のガンギがテンワの回転方向と等しくなり、振り石を駆動するのはこちらだけで、反対側は安全のために空振りするだけです。
この時、右側のガンギは共通止め石が外れて独立止め石が停止させる、左側は独立止め石が外れて共通止め石が停止させる関係になります。
この石の位置を調整することにより、右側のガンギは大きく回転し、左側のガンギは止め石をパスする程度の最小量だけ回転するようになっています。
これは、駆動しない側は負荷が軽いため、動く量が多いと勢いがつきすぎて止め石への衝撃が大きくなってしまうのを防ぐ効果もあります。
逆に、アンクルが向かって左から右に動くとき(オレンジ色矢印の時)は全てが逆になり、左側が大きく動いて右側が少ししか動かない動作になります。
この、「2つの回転が独立で、駆動方向によってガンギの動く量が変わる」という特性がほかのナチュラル脱進機発展型の実装(ヴティライネン、ローラン・フェリエ、当サイトでは取り上げてないけどジュルヌのEBHP脱進機)と大きく異なる点です。
他の実装は1輪列から片方のガンギ車を駆動し、1:1の伝え車で反転回転を作っているので二つの回転は同期しており、それぞれの回転量はガンギ歯の間隔の1/2ずつになります。
そのため、他の実装は香箱のエネルギーを半分ずつ、交互のガンギから注入するイメージですが、セントラル・インパルス・クロノメーター・エスケープメントは2つのガンギが独立なので香箱のエネルギーを交互に注入、トータルではほぼ倍のエネルギーを注入することができます(香箱が2つあるのである意味当たり前なのですが…)。
アンクル振り石とダブルローラー安全装置のおかげでデテントのパッシングスプリングよりより精密に解除タイミングが制御できることに加え、3つの止め石につけられた角度によるある種の「間接駆動」によってテンワをコントロールすることで振り石がガンギ車にあたる角度を常に最適にするようにコントロールしており、これが「セントラル」インパルス、すなわち中央点でインパルスを与えるという名称になっています。
ここでレデラーがさらに注目したのが脱進機の音でした。
チクタクという脱進音は機械式時計の醍醐味として見られていますが、エネルギー授受としてみるとテンワに伝わりきらなかったエネルギーが音として放出されたり、土手ピンにアンクルが当たることなど「エネルギーロス」の表れであり、テンワ自体は音を発する要素はないため、理想的にエネルギーを100%伝えている脱進機があれば音は無音になるはずです。
設計と調整によりCal 9012は極めて静かに脱進を行います。
これを実現するためにガンギ車への入力トルクを一定にするためにそれぞれの輪列に10秒ルモントワールが追加されました。
ハリソン設計のものをインスパイアしたというルモントワールは、4番車につけられたルーローカムから3番車をコントロールする方法です。
60秒で1周する4番車にルーローの3角形のカムが取り付けられているため、読み取りレバーは60秒で3往復します。
アンクルが1往復するたびに歯は2歯進むので、ルモントワールの1周期は60秒/(3×2)で10秒になります。
これによりガンギ車への入力トルクを安定化し、更に安定な脱進動作を行うようにしています。
ここまでの装備をして、ケースサイズ44mm、厚み12.2mmでムーブメントが凸に出っ張っているデザインでありながら、パワーリザーブは38時間とパワリザよりも精度に全振りした感じが見えて非常に好印象です、パワーリザーブは実際には58時間あるそうです、手書きの原稿から電子化するときに38時間と誤写されたとのこと、修正します。
できればクロノメーター規格のテスト結果も見てみたいものです。
最後にプレスリリースにも挙げられている特徴的な意匠、接線曲線(tangent curve)スポークについて。
歯車の中心円と外周円を直線で繋ぐのが一般的ですが、レデラーは中心円からは接線(正接)で出て外周円には垂直で繋がる独自のプロファイルを持つ曲線でスポークを処理しました。
これにより歯車の回転方向に合わせたダイナミックな印象を持たせることができ、レデラーらしさも表現することができています。
思い返してみると、スポークには時計師のキャラクターが表れている…と言う作品はいくつかあり、この作品もレデラーのキャラクターを示しているのではないでしょうか。
非常に興味深い作品です。
https://bernhard-lederer.com/
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