ローマン・ゴティエ、コンスタント・フォース機構への飽くなき追求~WATCH MEDIA OFFLINE サロン ♯2【フュゼ―チェーンの進化について。コンスタントフォースの実現に関する試行錯誤】レクチャーの全貌

 By : Guest Blog

コンスタント・フォース機構への飽くなき追求  by L’Hiro(ゲストブロガー)





WATCH MEDIA ONLINEがローマン・ゴティエ氏を招き、“WATCH MEDIA OFFLINE サロン♯2”として開催した【フュゼ(=円錐)・チェーンの進化について。コンスタント・フォースの実現に関する試行錯誤 】というレクチャーが青山で行われました。
ゼンマイの駆動力(=トルク)を一定に保つ独自のコンスタント・フォース機構を搭載したモデル、ロジカル・ワンの特徴と魅力とともに、トルクを調整する機構の理論、歴史的変遷が語られた、とても興味深いものでした。



以下にそのレクチャーの内容を、出来るだけ忠実に、ゴティエさんの言葉で書き起こしました。



 

【ローマン・ゴティエ氏のレクチャー概要】
 『コンスタント・フォース機構は私たちが使っている機械に必要な機能として存在しています。
例えば、車のエンジンはガソリンの量に関わらず一定の駆動力で動きます。ガソリンが満タンのときにエンジン内の爆発が最大になるということはなく、また、ガソリンが少なくなるにつれて駆動力が徐々にゆっくりになることもありません。
一方、機械式時計の動力源はエンジンではなくゼンマイです。
リューズを一杯に巻きゼンマイをフルに巻き上げた瞬間から完全にゼンマイが緩むまで、そのトルクが刻々と変化します。トルクが変動する状態で精度を一定に保つのは非効率なので、そのトルクを一定に保つために生まれたのがコンスタント・フォース機構です。

では、まず始めに一般的な機械式時計のゼンマイにより与えられるトルクの動きを可視化してみます。
ゼンマイのトルクの強弱の動きが分かる曲線のスライドをご覧ください(スライド1)。

●スライド1:ゼンマイのトルク曲線


縦軸がトルクの強弱、横軸が香箱の回転数を示しています。
上の曲線がゼンマイを巻き上げるときにトルクが強くなっていく状態、下の曲線が完全に巻き上げきった後にゼンマイが緩んでいく状態を表しています。トルクは常に変化している(=コンスタントではない)ということが分かります。
 
このようにトルクはゼンマイの巻き上げ直後から徐々に落ちていきますが、時計作りでは時を正確に伝えるためにそれを調整せねばなりません。

次に、ゼンマイのトルクを調整し時計の精度を上げる機構の歴史的変遷をみてみましょう。
トルクの調整機構の幕開けは、15世紀のヴァージ脱進機(Verge Escapement)です(スライド2)。

●スライド2:ヴァージ脱進機(Verge Escapement)

この脱進機は、ヒゲゼンマイが登場する17世紀後半まで活躍していました。機械式の脱進機としては最も古くから存在していた脱進機です。
 
そして、16世紀から17世紀にかけて登場したのがスタックフリード機構(スライド3)です。

●スライド3:スタックフリード機構

これは香箱の回転に応じてゼンマイに抵抗を与えトルクを一定にさせる機構です。
 
次に現れたのが17世紀から18世紀のストップワーク機構(スライド4)です。

●スライド4:ストップワーク機構

時計はゼンマイを巻き切った直後と解けきる直前にトルクが急激に落ちますが、それ以外は一定のトルクが保たれる傾向にあります。この機構はそのトルクが急激に落ちる部分をカットするために、香箱の位置を調整する機構です。
図の右側の香箱の中心横にある5つの突起を持つ丸いパーツがつっかい棒になって、トルクが一定となる駆動範囲でのみゼンマイが解けるように仕組んであります。
 
そしてその次に登場したのが、ルモントワール機構(スライド5)です。

●スライド5:ルモントワール機構

これはゼンマイのトルクを一定量ずつ別の場所に蓄え、それを使って脱進機を動かし精度を高めるというもので、スタックフリード機構やストップワーク機構とは完全に異なる機構です。
(註:ちなみにルモントワールはフランス語の動詞“remonter[=ぜんまいを巻く]”からできた言葉で、一般的なリューズを巻き上げる機構もルモントワールと言われますが、それとは異なります)
最初のルモントワール機構は16世紀後半にスイスの天文学者によって発明されました。更に改良を加えたものはジョンハリソンが1739年に完成したマリン・クロノメーターです。
 
次はチェーンとフュゼの生い立ち(スライド6)です。

●スライド6:チェーンとフュゼの生い立ち

左のレオナルド・ダ・ビンチの手稿に描かれていたスケッチにもあるように、相当前からこの発想はあったようです。また、右下は最初にフュゼ・チェーン機構を作ったといわれているプラハのジャコブ・ゼックの1525年製作の天文時計です。
 
では、フュゼ・チェーン機構を詳しく説明しましょう。
チェーンとフュゼの図(スライド7)をご覧ください。

●スライド7:チェーンとフュゼ

この機構の特徴は、ドアを閉める場合の押す手の位置と蝶番との距離(=半径の長短)によるドアの閉めやさをイメージするとよく分かります。
つまり、閉めるためにドアを押す位置が蝶番から離れているほど押す力は少なくて済みますが、押す位置が蝶番に近いほどドアはなかなか閉まりません。これをフュゼ・チェーン機構になぞり、時計のパーツ用語を使って説明するとこういうことです。ゼンマイを一杯に巻き上げた直後の(時計の動力源である)香箱はチェーンを力強いトルクで引っ張っても(チェーンがフュゼの細い軸に巻きついているため)フュゼを回転させにくくなっていて、反対にゼンマイが緩んできた時は(チェーンはフィジーの太い軸に巻きついているため)弱いトルクでもフュゼを楽に回せるようになっています。
結果的にフュゼの軸を噛んでいる歯車に伝わる力はいつも一定となるようになっています。つまり、コンスタント・フォース機構は「無限の可変速ギア」なのです。
 
この伝統的なコンスタント・フォース機構であるフュゼ・チェーン機構は香箱と歯車が接している一般的な機械式時計の弱点を克服するものでしたが、耐久性がなく正確性に劣ることが弱点であると私は思っていました。そして、その根本原因はチェーンにあると見抜きました。
話は横に逸れますが、17世紀の途中まで、フュジーと香箱の接続にはチェーンではなく羊の腸から作った紐を使っていました。これは容易に想像がつきますが、あまりに切れやすくて不都合でした。そのためチェーンに代替されていったという時代の変遷があります。

次は修理中のチェーン(スライド7)です。
伝統的なコンスタント・フォース機構に使われていたチェーンは非常に長く、一度壊れるとフュゼに巻きつけ直して修復することが非常に困難でした。

●スライド7:修理中のチェーン

フュゼ・チェーン機構は20センチもある長いチェーン(スライド8)をフュゼに複数回巻きつけるため、 個々のリンクを小さくする必要がありました。


●スライド8:伝統的なフュゼ・チェーン

したがって、伝統的なチェーンは交互にシングル・リンクとダブル・リンクを組み合わせ、出来る限り薄くなるように作られていましたが、それが耐久性において弱点となっていました。
私のロジカル・ワンで使用しているチェーン(スライド9、10)では、耐久性のある自転車のチェーンを参考にして作っていますので、ダブル・リンク同士を内側と外側に交互にはさみ合って連結し、連結部分にローラーをはさんで摩擦を減らす構造になっています。


●スライド9:チェーンづくりの技術的なアプローチ


●スライド10:チェーンの構成部品

これを開発するために私は7つのプロトタイプの時計を製作し、コンピューターを使って様々なチェーンの耐久性とローラーの適合性のテストをしました。そして160個という少ないパーツで、かつ3.5センチという短さの頑丈なチェーンを開発しました。
時計業界ではパーツを多く使えば使うほど良い時計だという見方がありますが、私は別の見方をしています。パーツは少なければ少ないほど問題は少なくなる、と。
時計の正確性を求めるには想像する以上に非常に高いテクニックを要します。ロジカル・ワンに搭載しているチェーンはその正確性を耐久性とともに実現しています。50年後に私がこの世からいなくなっていたとしても、誰でも簡単に修復できるほどの平易な仕組みも兼ね備えています。
具体的には、摩耗しにくいルビーを金属同士が触れ合わないように配置し、金属同士をスナップ・クリップで留めることで、伝統的なフュゼ・チェーンと比べて分解と組み立てをしやすくしています。
 
またロジカル・ワンでは、時計の正確性と安定性を確保するために、ゼンマイが生む力を一定の範囲に限定することで時計の精度の安定性を保っています。
具体的には、ゼンマイを完全に巻き上げた直後の状態ならびに完全に解ける直前の状態という、トルクの安定が特に保てない部分をカットし、トルクが安定的に供給される範囲でのみにゼンマイの利用を制限しています。既述したストップワーク機構と似た発想です。
さらに詳細に説明します。スライド11はゼンマイを完全に巻き上げるまで(上の線)と、その後に完全に解けるまで(下の線)のトルクの強弱の変化を表すものです。


●スライド11:ゼンマイにより生まれるトルクの原則

カットしたのはトルクが急激に変わる左右の灰色部分です。
まず、左の灰色部分を何故カットしたかですが、この完全にゼンマイが解ける直前の状態の部分は、トルクの落ち方が、三回転から九回転巻いた香箱内のゼンマイの状態(白い部分)に比べて急激で、安定していないからです。これは、ゼンマイの解ける力がゼロの状態ではその解ける力の補正はできないということに起因しています。
フュゼはゼンマイが解ける力が充分ある状態であれば、解け方の補正が出来ますが、ゼンマイが解ける力自体を加えることは出来ないのです。また、右の灰色部分は、ゼンマイを完全に巻き上げてから解け始めまでのニ時間程度の状態ですが、こちらはトルクが強過ぎるため下がり幅が大きく、安定性に欠けるためカットしています。
 

さて、チェーンの話に戻りましょう。
問題を改善するためにチェーンを短くすると、長かったチェーンを巻きつけていた伝統的なフュゼに代わるものが必要になりました。これが、私が開発したカタツムリの形をしたスネイル・カムです。
ロジカル・ワンのゼンマイのトルクの変動(スライド12)を見ると一目瞭然ですが、スネイル・カムの外径の回転軸からの距離(=半径)は1→2→3→4→5になるにしたがって短くなります。


●スライド12:ロジカル・ワンのトルク変動の原則

右隣のフュゼも同じで、グラフの下の線はゼンマイが解けていくにつれトルクが弱くなっていく様子を表していますが、スネイル・カムに付いている番号と同じ番号同士を見比べるとイメージがわくと思います。
ゼンマイのトルクが強いときはスネイル・カムと回転軸が短いところにチェーンが巻きついているため香箱を回し難いですが、弱いときはその真逆(=より1に近い状態)なので香箱を回しやすくなります。結果的に香箱から歯車に伝わるトルクが一定に保たれるというわけです。
 
なお、ロジカル・ワンのスネイル・カムはチェーンが短いため300度しか回りません。
したがって、スネイル・カムとチェーンでつながっているロジカル・ワンの香箱には“パワーリザーブの役割”はなく、“トルクを伝える役割”だけを担わせています。
香箱のトルクはスライド13の緑の部分のギヤで香箱の回転数を増幅させ、青の部分のギヤで回転数を減らすことで調整し、一般的な機械式時計の香箱が歯車に伝えるのと同じ働きを実現しています。


●スライド13:ロジカル・ワンの複雑な働き

ロジカル・ワンは時計の構造上の複雑さから普通の時計のリューズによる巻き上げ方式は採用出来ず、プッシュ・ワインディング方式(スライド14)を採用しています。


●スライド14:プッシュ・ワインディング方式

ロジカル・ワンの左側のボタンを1ミリ押すと、香箱が回りスネイル・カムとチェーンが動き50個もの多くのパーツが作動する仕組みになっています。
 
伝統的なフュゼ・チェーン機構は、フュゼと香箱の間をチェーンが角度を伴っていることが多く、トルクがねじれて伝わる傾向にあります。それとチェーンの長さが相まってチェーンに問題を引き起こしてきました。これを改善するために、ロジカル・ワンではトルクの伝わり方を直線的にさせることで(スライド15)、時計の正確性と耐久性を向上させました。


●スライド15:第二の香箱

私はスポーツカーが好きです。スポーツカーの土台はあらゆる衝撃に耐えなければならないため非常に頑丈です。時計も精度を高めるにはそれと同じでなければならず、ロジカル・ワンではあらゆる衝撃や熱からパーツを守るためにあらゆる耐性に優れているチタン(スライド16)を地板に使っています。』


●スライド16 :地板


【まとめ】
以上がゴティエ氏のレクチャーですが、最後に、『今日は私の母国語ではない英語でのレクチャーでしたので、皆さんの受け取られ方が違ったものになったかもしれません』と仰っていました。
もし母国語であるフランス語でレクチャーを聴かせていただけたら、ゴティエ氏の時計の奥深さがさらに分かるのではないかと、次なる機会を期待してしまう締めくくりでした。

フュゼ・チェーン機構は物理学的にはアルキメデスの梃子の原理のことです。つまり、フュゼの回転軸からの距離が短いところでは小さな梃子が、長いところでは大きい梃子が働くということを応用して、弱くなっていくゼンマイのトルクを補正するものです。
ロジカル・ワンはこのアルキメデスの梃子の原理を忠実に再解釈し、コンピューターの力を借り、数限りないテストを繰り返した末、実機として世に出ているものです。
この小さなケースの中で、目に見えないゼンマイのトルクの強弱が、物理学の原理に逆らわない機構で制御されていることを想像するとわくわくします。
『より少ないパーツは、より少ない問題の発生につながる』
『トルクを直線的に伝えることで、正確性と耐久性を実現した』
こうしたエンジニアとしてのゴティエ氏の理念が詰まったロジカル・ワンはまるで小宇宙です。
機械式時計の精度が安定性を欠くのは、“物体が元通りに戻ろうとするときのエネルギーの発し方”が一定ではないからですが、“人類が発見した原理”を洗練させることによって、それらを克服しようとするゴティエさんの試みに感動した一日でした。

最後に会場に展示されていたロジカル・ワンの実機を掲載してレポートを終了します!







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