腕時計の隠れた意匠-A. ランゲ&ゾーネを例にとって by N. Kida

 By : Guest Blog

腕時計の隠れた意匠-A. ランゲ&ゾーネを例にとって by N. Kida


腕時計には、我々が意識しないと見落としてしまいそうな、それでいて頭の中で無意識に感じている様々な意匠が隠されているように思います。このエッセイでは、私の好きなブランド、A. ランゲ&ゾーネの腕時計に隠された意匠についての雑感を述べたいと思います。最後のセクションでは、腕時計の意匠を飛び越えて、“ランゲ”という名前に隠された象徴を指摘し、読者の皆さんにも私が感じた“はっと”する感覚を体験して頂ければ大変嬉しく思います。


A. ランゲ&ゾーネの腕時計の意匠の一つに“アウトサイズデイト”と呼ばれる大型の日付表示が知られています(図1)[参考文献1より転載]。このアウトサイズデイトの長辺と短辺の比は、黄金比と呼ばれる1.618に設定されています。黄金比というのは、自然界のあらゆる分野で現れるため、神がデザインした調和比率とも呼ばれています。



[図1] A. ランゲ&ゾーネの腕時計の意匠の一つ、大型の日付表示:アウトサイズデイト。長辺と短辺の比が黄金比となっている。図は参考文献 1より転載。

世界的大ヒットとなったダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」の主人公ロバート・ラングドンが話す一節にも以下の一文があります [参考文献2]。
(以下原文訳ママ)
真に驚嘆すべきは、黄金比が自然界の事物の基本的な構成に深く関わっていることだと、ラングドンは説いた。植物や動物、そして人間についてさえも、様々なものの比率が不気味なほどの正確さで1.618に迫っている。
「黄金比は自然界のいたるところに見られる」ラングドンはそう言って照明を落とした。
「偶然の域を越えているのは明らかで、だから古代人はこの値が万物の創造主によって定められたに違いないと考えた。古の科学者はこれを“神聖比率”と呼んで崇めたものだ」(原文訳ココマデ)、とあります。

また、芸術の分野では、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画モナリザの構成、建築の分野では、エジプトのピラミッドの寸法など広く黄金比が使われています。アウトサイズデイトを有する腕時計を見て美しいと感じるのは、アウトサイズデイトの長辺と短辺の比を測ることによって黄金比となっていることに感動するのではなく、我々のDNAレベルで無意識に自然界に存在している黄金比を認識しているからだ、とも言えるかもしれません。

黄金比の他に人が美しいと無意識に感じることのできる感覚に“対称性”があります。対称性とは、ある変換を行っても性質が変わらないことをいいます。10円玉硬貨の表側、平等院鳳凰堂を思い出して下さい。一般的に“左右対称”なものに対して、我々は高い様式美を感じます。対称性を腕時計の“色の違い”としてみましょう。全く同じデザインなのに、ホワイトゴールド製とピンクゴールド製では感じる印象が全く違います。一般的には、ホワイトゴールドは冷たい感じ、ピンクゴールドは暖かい感じ、でしょうか。しかし両者を隣において比較してみると、対称性=色の違い、の美しさに目を奪われるのではないでしょうか。つまり、一つの腕時計だけでなく、複数の腕時計の比較によって現れる対称性も存在します。

もう少し比較によって現れる対称性を見てみましょう。A. ランゲ&ゾーネで良く知られた例は、ホワイトゴールド製のランゲ1の101.027(ブルー文字盤)と101.027X(シルバー文字盤)です(図2)[写真は参考文献3より転載]。


[図2.] ランゲ1のホワイトゴールド製 101.027(ブルー文字盤、シルバー針、アプライドインデックス)、101.027X(シルバー文字盤、ブルー針、プリントインデックス)の比較。写真は参考文献 3より転載。

101.027XはA. ランゲ&ゾーネの公式カタログに載っていないモデルであり、Blaues Wunder(独) [Blue Wonder(英)]という別名がついています。その由来については、以前Watch Media Onlineで取り上げられ詳細なレポートが発表されていますので是非ご覧下さい [参考文献3]。
その中で、Kitamuraさんが指摘されていることですが [参考文献3]、この二つのホワイトゴールド製のモデルを対比すれば、見事な対称性が現れます。文字盤の色をブルーからシルバーにすると、対応するように、針の色がシルバーからブルーになっています。さらに、インデックスがシルバーのアプライドとブルーのプリントに変換されます。見事な対称性ではないでしょうか。両モデルとも2次流通市場で価格が高騰しており、購入の決心がつきませんが、いつの日か実物をじっくり比較しながらお酒を呑みたいものです。

最近、ランゲ1に類似する対称性が(厳密にいうと対称性が異なりますが)、丸型ケースのランゲ1だけでなく長方形型ケースのカバレットにおいても現れていることに気づきました。カバレットとは、1997年に発表されたアウトサイズデイトを有する長方形のケースが特徴のモデルです。
その中にもホワイトゴールド製のブルー文字盤(107.027)があります。このカバレットシリーズには、2003年に発表されたカバレットNota Romanaと呼ばれる文字盤のデザインが違うイエローゴールド製(107.022)、ホワイトゴールド製(107.026) [参考文献 4]、プラチナ製(107.036)のモデルもあります。一説では、文字盤のデザインが不人気ですぐに市場より姿を消したとの指摘もありますので、ご存じでない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
このホワイトゴールド製のNota Romana 107.036と通常版の107.027を比較したのが図3です。上で述べたランゲ1と同様に、文字盤の色(ブルーとシルバー)とインデックス(アプライドとプリント)に対称性が現れていると思われませんか。ただし、針の色が不変ですのでランゲ1と異なる対称性(低い対称性)となっています。


[図3.] カバレットのホワイトゴールド製107.027(ブルー文字盤、アプライドインデックス)、Nota Romana 107.026(シルバー文字盤、プリントインデックス)の比較。

面白いことにカバレットには、低い対称性ながらランゲ1とは違う対称性も見られます。まず通常版の107.027を見て下さい。ひし形のインデックスを挟むように長さと比率の異なる2つの白色の長方形のラインが描かれています。ひし形のインデックスの向きが時分針の中心に向いていることから、中心から外に向かって放射状に大きくなっているように見えます。これは“膨張”でしょうか。
一方のNota Romanaでは、長方形のラインではなく2つの円が描かれています。インデックスを良く見ると、内側に向かって細くなっており、また、秒サークルが小さくなっています。これは、あたかも中心に向かって円状に“収縮”しているように見えます。“膨張と収縮”、まさに対称的ですね。
また、A. LANGE & SÖHNEのロゴが、通常版107.027では直線、Nota Romanaでは湾曲している点も対称的です。さらに、107.027ではロゴが長方形の内側、Nota Romanaでは円の外側に描かれています。数々の相対する対称性が混在しており複雑なのですが、改めて文章化(具現化)してみると、私は全体的に見事な対称性が現れているように思います。
Nota Romanaの発表は2003年、カバレットの最初のモデルの発表は1997年です。これが開発順であると仮定すると、Nota Romanaのダイヤルを考えたデザイナー(ら)は、カバレットの特徴的な長方形デザインを如何にして美しく円形と対比させるか、苦労されたのかも知れません。Nota Romanaには、他にイエローゴールド製、ダースと呼ばれる黒文字盤のプラチナ製のモデルもありますので、こちらのモデルと通常版との比較もまた美しいのではないでしょうか。

さて、再び黄金比の話に戻りましょう。カバレットは長方形型ケースが特徴なのですから、ケースの長辺と短辺の比が黄金比になっているのではと思われるかもしれません。残念ながら違います。むしろ別の調和比率が現れていることに気づきました。ケースが3段構造で傾斜しているため正確ではありませんが、長辺と短辺の比はほぼ1.414(=√2)です(図4の水色枠)[写真は参考文献5より転載]。


[図4.] カバレットに現れる白銀比と黄金比。写真は、イエローゴールド製 107.021、参考文献 5より転載。

1.414は、白銀比、別名大和比とも呼ばれている比率です。法隆寺や平安京などの建造物にこの比率が使われていて、日本では古くから“神の比率”と呼ばれていたようです。日本と他国でのカバレット人気は、どちらに軍配が上がるのでしょう。古くから白銀比を用いてきた日本の方が人気があるのでしょうか、その結果を知りたくてたまりません [参考文献6]。
では、カバレットには黄金比は現れないのでしょうか。勿論、現れます。もう少しケースを詳しく見てみると、ラグを含むケースの長辺と短辺の比がほぼ黄金比です(図4の赤枠)。また、ひし形のインデックスの外側に描かれた長方形ラインの長辺と短辺の比も同じくほぼ黄金比です(図4のピンク枠)。

カバレットには、世界で初めてゼロリセット機能が搭載されたトゥールビヨンもあります(図5)[写真は参考文献7より転載]。その分、ケースサイズが大きくなります。驚くべきことに、こちらもケースの傾斜のため任意性がありますが、ケースの長辺と短辺の比がほぼ白銀比です(図5 の水色枠)。


[図5.] カバレット・トゥールビヨンに現れる黄金比と白銀比。写真は、ハンドヴェルクスクンスト、参考文献 7より転載

また、ラグを含む(ただしラグの横の突起を除外するとして)、ケースの長辺と短辺の比もほぼ黄金比となっています(図5の赤枠)。さらに、トゥールビヨンのブリッジを短辺とする黄金比も出現します。図5は、カバレット・トゥールビヨン “ハンドヴェルクスクンスト”の例ですが、トゥールビヨンのブリッジを短辺としてダイヤモンド模様のエングレービングを囲むように黄金比が現れます(図5のピンク枠)。


このような意匠の観点から改めてA. LANGE & SÖHNEに思いを馳せると、ランゲという名前にも美しい象徴が隠されていることに気づきました。最後にこちらを指摘したいと思います。図6はA. ランゲ&ゾーネの典型的な尾錠の写真です。



LANGE
どうですか、隠れたメッセージを見つけられましたか?
では、ランゲを2つ繋げてみてください。

LANGELANGE
如何でしょう。
さらに繋げてみましょうか。

LANGELANGELANGE.....
次に、色を変えてみましょう。

LANGELANGELANGE.....
(読み方の順番を変えると)隠れたANGEL(エンジェル=天使)が現れてきました。ANGELの語源はギリシア語のangelosだそうです。angelosはギリシア神話の“使者”の女神のことで、神と我々をつなぐ役割があるようです。私がA. ランゲ&ゾーネの時計に惹かれるのも、無意識のうちに神(黄金比、白銀比や対称性に代表される自然の美しさ)を“LANGE=ANGEL=使者”を通して感じているのかも知れません。Langeは人の名前なのだから、たまたまでしょうとおっしゃる方もいるかもしれません。私もその通りに思います。しかしながら、今見てきたように様々な隠れた“意匠”や“対称性”がA. ランゲ&ゾーネの腕時計にしばしば現れることを考慮すれば、これが単なる偶然ではないように思えてくるのです。

今回、対称性の観点からA. ランゲ&ゾーネの腕時計の意匠について雑感を述べてきました。読者の方はもうお気づきかもしれませんが、私は人の対称性の好みが、人が美しいと思う感覚に直結しているように思っています。上で述べたランゲ1の対称性は美しいけど、カバレットの対称性は、複雑で(対称性が低くて)美しくない、など、対称性の好みによって、人が美しいと思う感覚が異っているでしょう。
腕時計には、指摘されないと気づかないような、でも心の奥底では実は認識しているような隠れた“意匠”や“対称性”が多数存在しています。また、複数の腕時計を比較することで、単体では現れない“隠れた”対称性も出現します。腕時計という極めて小さなキャンバスにデザイナー(ら)が意図した意匠や対称性が隠されていること、またはデザイナー(ら)が意図していない意匠や対称性が隠れていることを発見し、文章化(具現化)するとワクワクしませんか。一度、皆さんの独自の基準(対称性の好み)をもとに、腕時計の意匠や対称性を探してみては如何でしょうか。そして、是非コメント欄で、私の基準にない意匠や対称性をご教示頂いて、“はっと”する感覚を体験させて頂ければ大変嬉しく思います。



[参考文献] 
[1] A. ランゲ&ゾーネ Instagramより。alangesoehne LANGE 1 – an icon (2/6)
[2] ダ・ヴィンチ・コード(上)ダン・ブラウン著、越前敏弥訳、角川書店 (2004)、p129
[3] ランゲ1をめぐる25年の軌跡 【#2】~25周年モデルの幻のオリジナル作品と個人的ランゲ1妄想  By KITAMURA(2019年8月19日)https://watch-media-online.com/blogs/2491/ より転載。
[4] 保証書に107.026Xと(手書きではなく)プリントされたNota Romanaも販売されていたようです。以前、某販売仲介サイトで見つけ、販売者に針のカラーを確認したところ、107.026と同様のシルバーとの回答を得ました。また写真で見る限り、107.026Xと107.026の違いは判別できませんでした。ランゲ1の一部の101.027Xの保証書には101.027と書かれているようですし、Xがつくかどうかで違いを区別する方法はないように思います。ただし、末尾がXで有名なモデルとして、ステンレススティール製のダブル・スプリットのユニークピース、ダトグラフPisa限定、プラチナ製のプール・ル・メリット全黒文字盤のユニークピースが知られています。
[5] https://watchbase.com/a-lange-sohne/cabaret/107-021 より転載。
[6] 例えば、一年間に販売されたカバレットとアイコンであるランゲ1の比率を、各国のブティックで比較すると意味のあるデータが取得できるかもしれません。関係者の方が見てらっしゃったら、そして、すぐできそうなら、是非、統計処理をお願い致します。(物理的根拠は全くないのですが)統計処理する年数を増やし、世界全体の販売数で規格化された日本におけるカバレットとランゲ1の比率は1.143 (=黄金比/白銀比)に漸近したりしないでしょうか。
[7] https://www.alange-soehne.com/jp-ja/timepieces/cabaret/cabaret-tourbillon-handwerkskunst/cabaret-tourbillon-handwerkskunst-in-950-platinum-703-048 より転載。