複雑時計を実用時計に変えた「スカイドゥエラー」を解析する by L’Hiro

 By : Guest Blog


複雑時計を実用時計に変えたスカイドゥエラーを解析する  by L’Hiro


「地球を飛び回る人々のために設計された」とうたわれるオイスターパーペチュアル・スカイドゥエラーは、世界を旅する人あるいはビジネスマンにとって最高の実用腕時計です。2012年のデビュー当初は金無垢ケースにブレスレットの組み合わせだけでしたが、2014年に革ベルトモデル、2017年にコンビモデル(ロレックスではロレゾール・モデルという)が登場しました。このスカイドゥエラーは、複雑時計を実用時計に変えてしまったという実用時計の王者ロレックスの頭脳が最も見える化された逸品で、いまや定価ではデイトナ以上に手に入らないといわれています。



今回は、発売依頼高い人気になっているホワイトゴールドとステンレス・スティールタイプ(ホワイト・ロレゾールという)の実機をあらためて解析してみました。なぜなら、ちまたの書店に並ぶロレックスを取り上げるたくさんの雑誌やインターネット記事では、深掘りした情報がほとんどなく、厚いベールに包まれたままだからです。




一見すると、スカイドゥエラーのホワイト・ロレゾールはゴージャスで贅を尽くした装飾品というよりも、細部にまで気を配り、精密さを追求した芸術品です。しかも、触ってみると、耐久性と操作性を兼ね備えた逸品であることがよく分かります。スカイドゥエラーは世にいうアニュアル・カレンダー機構を搭載した複雑時計です。しかし、リューズを回したときに指で感じる歯車がかみ合う感覚がしっかりしていて、三針時計のデイト・ジャストなどと全く同じなのが、実用時計の王者であるロレックスらしいです。

アニュアル・カレンダー機構といえば最初に特許をとったのはパテック・フィリップの5035モデルに搭載されたキャリバー315 S QAですが、発表は1996年と意外と遅いです。同社のパーペチュアル・カレンダー(97975モデル)が1925年に作られてから70年も後です。パテック・フィリップの5035モデルもそうですが、一般的にアニュアル・カレンダーは、日付けと時刻を合わせる場合、ケースサイドに「日、曜日、月」のプッシャーで、専用のコレクターピンという小道具で調整する必要があり、これが結構面倒です。ですので、ワインディング・マシンを買って、時計が止まらないようにしているコレクターの方々も多いようです。

しかし、スカイドゥエラーの場合、そのような小道具が必要なプッシャーはなく、ベゼルとリューズの操作だけに代替されます。ロレックスはこれをリングコマンドシステムと名付けています。具体的には、ベゼルを反時計回りに3クリック(9時位置)したあとにリューズでホームタイム、1クリック(10時位置)戻してローカルタイム、さらに1クリック(11時位置)戻して月と日付けを合わせ、元の位置(12時位置)に戻せば全ての設定は完了します。あとは年に1回、2月は28か29日までしかないため、月末に3月1日まで日送りする以外に調整は一切不要です。複雑機構でありながら、操作は実に簡単で機能的です。外観上も、ケースサイドのプッシャーがなくなったことで、ドレスウォッチのケースの美しさを損なうことがなくなりました。[*1]

[*1]https://m.youtube.com/watch?v=VKxAczu_NjQ 



スカイドゥエラーのアニュアル・カレンダー機構について
スカイドゥエラーのアニュアル・カレンダー機構は、サロスシステムと名付けられています。
古代ギリシャ時代に発見された『サロス』という天文現象は、18年と11日(あるいは10日)という周期(1サロス周期という)で太陽・地球・月が一直線に重なる現象のことで、いわゆる日食と月食のことです。日食は、太陽と地球の間に月が入った場合で地球から見て太陽が見えなくなる現象で、月食とは太陽と月の間に地球が入り月が見えなくなる現象で、この2つの天文学現象は一定周期で起こります。つまり、サロスシステムという名前には、天文学的に1サロス周期毎に同じ現象が正確に繰り返されるのと同じような仕組みが組み込まれているという意味が込められています。

具体的にその仕組みを解明しましょう。下図をご覧ください。


サロスシステムを有するCal.9002の中心には、太陽歯車と呼ばれる太陽に相当する大きな歯車が設置されています。その回りに遊星歯車と呼ばれる地球に相当する歯車を日付ディスクに連動させて、自転しながら太陽歯車の周りを31日で一周します。

一般的にアニュアル・カレンダーは、31日周期のカレンダー構造でありながら、毎年2月末日に手動で日付を調整する以外は、30日しかない小の月には自動的に翌月の1日に進む仕組みになっています。Cal.9002のこの仕組みには、遊星歯車上のディスクが持つ4つの爪が深く関わっています。これらの爪は、小の月である4月、6月、9月、11月の30日から日付が変わる際に、1日プラスして日送りする役割を果たし、一瞬にして30日から31日、31日から1日に変わります。ただし、この動きは一瞬なので、人間の目には31日に切り替わる様子は見えません。ちなみにパテック・フィリップの5035モデルは、30日の月は、時間が来ると、約4時間かけてゆっくりと30日→31日→1日へ変わりますから、自然の時の流れを正確に表現するという意味では、やはり、実用時計の王者であるロレックスらしい機構です。

ロレックス以外のアニュアル・カレンダーでは、通常、30日と31日を自動的に区別するために、数え切れないほどのレバー、カム、スプリングを備えた非常に入り組んだメカニズムが必要になっています。しかし、Cal.9002では主に歯車比を利用して判別する非常にシンプルな構造になっており、極めて独創的なキャリバーになっています。[*2]

[*2]:https://m.youtube.com/watch?v=RkptFVZljNk



キャリバー9002

2010年に登録されたスカイドゥエラーのムーブメントと思われる特許公告(特許第4624848号)によると、太陽歯車は123個、遊星歯車は36個の歯車を持っています。1か月は太陽歯車の歯の123個分ですから、12か月では1,476個分(123×12)になります。1,476という数字は36と123の最小公倍数になっていますから、衛星歯車は41回回転(1,476=36×41)しながら、太陽歯車を12周すると元の位置に戻ることになります。つまり、衛星歯車上のある1つの歯(定点)は12か月で全く同じ位置に戻るということです。このように、太陽歯車と遊星歯車との歯車比により、毎年、各月末に、遊星歯車上のディスクの4つの爪の固有の位置が決定されることで、Cal.9002は大の月(1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月)と小の月(4月、6月、9月、11月)を判別しています。蛇足ですが、2月は放っておくと31日まで日付けが進む構造になっているので、手作業で3月1日に日送りする必要があります。[*3]

[*3]https://patentimages.storage.googleapis.com/85/9c/d2/0a5587fb3f4ccf/JP4624848B2.pdf  


この独創的なCal.9002のサロスシステムの特徴は、数学的あるいは物理学的に、衛星歯車が太陽歯車を回るときに、衛星歯車上の定点(4つの爪の位置)が描くエピサイクロイド曲線が緻密で正確でブレないことです。エピサイクロイド曲線とは、1つの円Aが円Bの円周を回るときに、円Aの定点が描く曲線のことをいいます。具体的には、サロスシステムは、衛星歯車が太陽歯車を12周回る毎(=1年毎)に、衛星歯車上の定点(4つの爪の位置)は全く同じエピサイクロイド曲線を描くことになります。つまり、既述の日食、月食の1サロス周期と同じようなことが、Cal.9002の中で起きているということです。このように、サロスシステムは、数学と物理学を活用し天文学的な『1年』という周期を、太陽歯車と衛星歯車の絶妙な歯車比によって見える化しているのです。ちなみに、エピサイクロイド曲線については、以下のリンク先で、実際に触れてご理解いただけます。[*4]

[*4]: https://javalab.org/ja/epicycloid_ja/ 



2023年に刷新されたスカイドゥエラー
スカイドゥエラーが世に出たのは比較的新しく2012年です。11年目にあたる昨年のWatch & Wonders Geneve 2023において、キャリバーが従来のCal.9001からCal.9002にグレードアップされました。このキャリバーのベースムーブメントは、1988年の発表後40年近くを経た今なお、時計業界における最高のムーブメントとして評価されている3針時計のデイトジャストやサブマリーナなどの旧モデルに搭載されているCal.3135で、旧作Cal.9001や新作Cal.9002は複雑時計であるスカイドゥエラー用に進化させたものです。Cal.9002では、クロナジーエスケープメントが採用され、Cal.9001に比べ、脱進機の動作効率が更に向上しました。

より理解を深めるために、このグレードアップがいかに効果的なことかを説明しましょう。エスケープメントとは、日本語でいう脱進機です。この脱進機(ガンギ車とアンクル)が調速機(テンプ=ヒゲゼンマイ+テンワ)と共に歯車を同じスピードで回転させることで、腕時計が正しく時を刻むことになります。この仕組みはご存じのとおり、振り子時計では、1581年にガリレオ・ガリレイが発見した振り子の等時性を利用して、一定速度で歯車が回転する仕組みと同じものです。振り子の仕組みを小さく持ち運びできるようにしたものが腕時計のテンプです。テンプを構成するヒゲゼンマイとテンワはそれぞれ、振り子と重りの役割と同じです。ヒゲゼンマイという等時性のあるバネの伸縮によって、テンプが振り子と同じように一定周期で回転振動します。自動車でいうとエンジン部分であり、この機能がいかに効率的に動くかが、機械式腕時計の生命線となります。

アップグレードしたCal.9002のエスケープメントは、従来に比べてガンギ車自体が肉抜きにされ、軽くなり、かつ、アンクル部分の爪石が細くなっています。また、アンクルの爪石とガンギ車の接地面積が少なくなるように、ガンギ車の歯車の先端部分が特殊な構造になっています。このように腕時計の中で最も動く回数の多いガンギ車とアンクルに細工をすることで、Cal.9001に比べ効率的にエネルギーを歯車に伝えることができるようになりました。

なお、このガンギ車とアンクルはLIGA加工という工法で作っています。LIGA加工とは、従来の工法では製造できなかった微細な部品や複雑な形状の部品を製造できる技術です。正式名称は各工程のドイツ語の頭文字をとってLIGA(Lithograph Galvanoformung und Abformung)と名付けられています。この加工は写真の現像に似ていて、ある樹脂の上に歯車の形が描かれたマスクを置いて、そこに光を当てます。その後、樹脂を薬品につけると光が当たった部分だけが溶けて、歯車の形に沿った型ができます。その型に歯車用の素材を流し込むと歯車の原型ができる仕組みです。[*5]

[*5]: https://www.youtube.com/watch?v=MBnsCEg5zg8 




Cal.9001のガンギ車とアンクル(左)と、Cal.9002のガンギ車とアンクル(右)


このようにスカイドゥエラーの外見上は誰も分かりませんが、Cal.9001からCal.9002へのアップグレードには、ロレックスのムーブメント向上に対するあくなき挑戦の結果が表れているのです。

最後に見た目の変化ですが、旧作はダイヤルの6時位置に、”SWISS MADE”のみの表記となっていましたが、Watch & Wonders Geneve 2023での新作では”SWISS”と”MADE”の表記の間に王冠マーク(クラウンマーク)が2つ追加されています。


2023年新作


旧作


ロレックスのムーブメント開発に対する熱意
皆さんもご存知のとおり、ロレックスはデイデイトやデイトジャストなどのクラシック・モデル、デイトナ、サブマリーナ、GMTマスターIIなどのプロフェッショナル・モデルに分けられます。スカイドゥエラーはクラシック・モデルの仲間ですが、ロレックスの店員の方々に聞くとお客様の多くがプロフェッショナル・モデルと勘違いしているそうです。陸海空のプロユーザー向けに開発されたのがプロフェッショナル・モデルですが、スカイドゥエラーは名前にスカイが入りますし、GMT機能も搭載しているので無理もないでしょう。しかし、シンプルで上品なデザインで、おまけにフルーテッド・ベゼルですから、それだけに注目するとロレックスの王道であるクラシック・モデルの最たるものなのです。



さらに特筆すべきことは、既述したとおりアニュアル・カレンダーという複雑時計を限りなくシンプルな仕組みで実用時計に変えてしまったことです。もちろん、ロレックスお得意の一貫した精度第一主義は、スカイドゥエラーでも息づいています。そういう意味で、時計界の歴史に名を残す逸品と言えるでしょう。ただ、複雑時計には変わりないため、生産コストは他のモデルよりもかなりかかっています。よって、生産本数もかなり少なく定価ではカリスマ時計のデイトナ以上に手に入りません。また、ロレックスの伝統である秘密主義もあり、既述のサロス機構をはじめとしたロレックスの頭脳が満載されたムーブメントの素晴らしさを知らない方々も多いように思います。



最近の時計ブランドは、『復刻版』と称して値段だけ高くし、ムーブメントを変えずに、外観を多少現代風に洗練させて、昔のヒット商品をあらためて売る風潮があります。しかし、ロレックスはそういう風潮を嘲笑うように、スカイドゥエラーで、ムーブメントの仕組みをシンプル化し、アニュアル・カレンダーという複雑時計を実用時計に変えてしまったのです。スカイドゥエラーが搭載するCal.9002は、他のブランドが、過去、世に出してきた『名機』と言われる複雑時計のムーブメントをロレックス流に凌駕してしまったのかもしれません。