クリストフ・クラーレ アンジェリコ ハイテクワイヤーによるケーブル・フュゼを探る

 By : CC Fan
チェーン・フュゼとルモントワールを「ダブル搭載」したフェルディナント・ベルトゥーのクロノメーターFB 2REの登場でにわかに個人的コンスタントフォースブームが到来。
WMOでも散々書いてきましたが、改めて自分の理想とするコンスタントフォースは何か?という事を探索したくなりました。

「今でないと作れない」という点でクリストフ・クラーレがブランド10周年の記念ピースとして制作した「ケーブル」・フュゼを使用したデテント・トゥールビヨンの大作「アンジェリコ」は非常にユニークな特徴を持っていると思うので改めて振り返ってみましょう。



ケーブル・フュゼというのは現在も使われるチェーン・フュゼよりも古い時代(18世紀)に使われていた定力装置の実装で、その名前の通りケーブル(ワイヤー)とフュゼ(円錐)を組み合わせた機構で、チェーン・フュゼ同様にトルクと回転量を両方変化させることができるため、エネルギーロスを抑えた定力化を行うことができます。

ただ、チェーン・フュゼが現代まで伝わっているのに対し、ケーブル・フュゼが主流になれなかったのは当時の技術では十分な強度と耐久性を持ったケーブルを作ることができず、チェーンの方が現実的だったためのようです。
当時はキャットガット(猫の腸)などが使われていたそうですが、金属製のチェーンに比べると長持ちしないだろうな…と言うのはなんとなくわかります。

クラーレがこの技術をリバイバルさせたのは現代であれば医療用をはじめとしたハイテク繊維として充分な強度と耐久性を持ったワイヤーが容易に手に入る状態で、製造が困難でしなやかさに限界があるチェーンよりも良い解ではないか?と考えたからのようです。

使用されているのは超高分子量ポリエチレンのダイニーマ(登録商標)ワイヤーで、X-TREM-1の磁石キャリアを動かす用途や、某社への供給ムーブメントなどにも使われています。

まずはムーブメントの概要を見てみましょう。




見ての通り、トゥールビヨン(しかもデテント)と瞬転ジャンピングアワーを備えていてそちらはそちらで興味深いのですが、今回は香箱周りに絞って見ていきましょう。

ユニークなアイディアとしてパワーリザーブの減少と共に香箱にワイヤーが巻き取られていくという特性を利用し、グラフに見立てて直読するパワーリザーブ表示が香箱のサイドに設けられています。



ケースバックから見ると、同じようなラチェット(コハゼ)が2組あります。
片方は香箱真で、もう片方がフュゼ真と遊星差動歯車機構に繋がるものです。
ラチェットの方向に回転させるとワイヤーにテンションがかかる方向に回転します。

香箱真側は組み立て・調整時のテンション調整とオーバーホール時にゼンマイにかかっているテンションを抜くときにしか使われず、基本的には調整後は固定で、ケースを開けないとアクセスできません。

対して、フュゼ真側は通常香箱の香箱真同様、リュウズからの巻き上げを行う部分です。
しかし、フュゼの特性で巻き上げとトルク放出を同じ側から行わないといけないため、両方を両立するための遊星差動歯車機構でトルクを分配する構造になっています。



パワーリザーブ72時間に対し香箱が約9回転する一般的な速度の香箱で、それに対しフュゼは約10回転、10段の変速が設けられています。
香箱はシングルですが、内部に2つのゼンマイを収めたパラレルダブルゼンマイになっており、大きなゼンマイ1つよりもバラつきを減少させています。

直径0.18mmのワイヤーは前述したように超高分子量ポリエチレンで、設計上の最大負荷0.4Kgに対し、破断強度が9Kgと十二分な強度を持ちます。
また、チェーンと違いリンクがないためしなやかで、リンクによるトルクの凸凹は発生しません。

チェーンのテンションが過剰になったり、消失して緩んでしまう事が無いよう巻き止めがフュゼ側に設けられています。



巻き止めも古典+αといった構造で、古典のゼネバ機構にブロックしないときに回転させるための通常の歯車を追加したような構造です。
これは、ゼネバ機構を送るために1歯のピンで押し上げて大きな負荷がかかるより、通常の通過時は歯車で回した方が負荷変動が少ないという考えのようです。



非常に難解で、ふんわり理解だったので今回改めて考えたのがこの巻き上げ機構です。
フュゼの中に遊星歯車機構が入っており、巻き上げを行うフュゼ真が太陽歯車、両方向に動くフュゼが遊星キャリア、輪列への出力が外側内歯車…と読み取りました。

フュゼ真は先ほど見たようにコハゼ相当のラチェットで固定されているため、1方向にしか回転せず、逆回転はブロックします。


まずは巻き上げです。
フュゼ真を回転させると、その力が遊星キャリアと外側内歯車に分配されます。
しかし、外側内歯車の終端は脱進機で調速されているため、力を加えてもほとんど余計に回転せずほぼ固定と見なせます。
そのため、この巻き上げの力は遊星キャリアに加わり、図で示したような回転を経てワイヤーを引き込み巻き上げを行います。


通常動作で輪列にトルクが伝わる場合、巻き上げとは全て逆に回ります。
太陽歯車はコハゼで逆回転がブロックされるため固定になり、遊星キャリアがワイヤー張力で回転した回転は外側内歯車を経て出力され、計時輪列にトルクが加わります。

この動作は切り替わっているわけではなく、実際には両方の状態が重なり合ったような状態でシームレスに移行しながら動いているようです。

イメージとしては、手で直接輪列を回す状態から、「支流」を作り、そこにエネルギーをためておく…と言った感じでしょうか。


巻き上げをあまり勢いよくしたり、巻き止めでフュゼがそれ以上回転できないにもかかわらず巻き上げて、過剰なトルクが発生し、遊星差動歯車機構が想定していないトルク入力となって動作が破綻してしまう危険性があります。
それを防ぐのがトルクリミッタで、巻き上げ輪列の歯車とラチェットの間にスプリングで与圧したラチェットが設けられており、過剰なトルクが加わるとスリップしてフュゼにまでトルクが伝達しないようにします。

頑丈な素材を使うのはもちろんですが、想定外の事態が起きないような安全装置も仕込まれていることが分かります。



工作精度とハイテク素材がある今だからこそ作ることのできる作品、と感じました。
ダイニーマは普通に使われている素材で、代替素材もあるため置き換えることもできるでしょう。



自信作をプレゼンするクリストフ・クラーレ本人。
今回の解説で使った図の一部は彼がiPadで説明に使ったクラーレ・エンジニアリングの資料から引用しました。



こんな感じの資料で、コンスタントフォース部分以外もあるので次の機会に…



マリンクロノメーターリスペクトなので船を模したディスプレイの前でポーズを決めるクラーレ。



腕にはアンジェリコ。

ふんわり理解だった遊星差動歯車機構による巻き上げと輪列へのトルク供給の切り分けが今回理解できたと思います。
実際にはトルクの量も関係するのでもう少し複雑になりそうですが…

関連 Web Site (メーカー・代理店)

CHRISTOPHE CLARET
http://www.christopheclaret.com/

Noble Styling Inc.
http://noblestyling.com/