【WMO 日本語メディア初紹介】ペテルマン・ベダ - まだ20代の2人が設立した新進気鋭ブランド、第一章の始まり

 By : KIH



さて、このブランド覚えておいでだろうか。昨年、シンガポールで開かれたJeweLuxで出会った、「おっ」と思った若い2人組のブランドである。昨年、と言ってもまだ8か月ほど前のことであるが。まだ、1作目のプロトタイプの展示だけだったが、何か惹かれるものがあった。

見直してみると、「個人的にはAHCI以外では一押し」とまで書いている。。

その後しばらくは、当時はブランドを立ち上げたばかりだったということもあり、カタログ品と言ってシンガポールに持ってきていたモデルも一歩下がって考え直し、ロゴやそのモデルのデザインから、どっしりと時計ブランドとしてのビジョンを固めていたようである。

彼らはこの一作目を「第一章」と呼ぶ。すなわち、私がシンガポールで見たものは、今となっては、あくまでも「前書き」であり、この第一章から本格的に始まって、次々と新しい章を書き加えていく、という意味である。

ムーブメントは、シンガポールで見た作品に使ったものと同じ機構である。日本、また英語圏の一部では主にジャンピングセカンド (Jumping Second)と呼ばれる。その他の地域では、デッドビートセカンド (Dead Beat Second、仏語ではSeconde Morte)、とも呼ぶ。彼らには、才能もあっただろうが、運命的な出会いにも恵まれていた。オーデマ・ピゲ (Audemars Piguet) やリシャール・ミル (Richard Mille) のムーブメントデザイン・製作でおなじみの「ルノー・エ・パピ (Renaud et Papi)」の「ルノー」氏のアトリエの隣にアトリエを借りることができたのである。最初は、ルノー氏が「手伝ってほしい」とアプローチし、その後彼らの最初のムーブメントのデザインや、素材・材料・パーツの調達先など、いろいろ助言を得ることができた、とのこと。

シンガポールで見た作品がこちら。

サイズは39㎜。40㎜を切るのは好感が持てる。そして、こちらがそのデッドビートの動画である。私が取った素人丸出しの動画で申し訳ない。


彼らが目指すのは、先人たちの時計作りの技術及び熱意・精神と、現代の時計デザインとを融合させることだという。そして、そんなデザインに練り直して出してきたこの、「1967」というモデルがその「第一章」なのである。

それでは、満を持してデビューした「1967」を見て欲しい。ロゴをはじめ、ケースやダイヤルデザインは大きく変更されている。割と「大人しい」プロトタイプの文字盤よりも、かなり「多弁」になったのがわかるだろう。これが彼らのブランドビジョンを固めた上での正式な「第一章」である。当時言った「AHCI以外では一押し」という私の言葉には、今もブレはない。

  

と、前置きはこれくらいにして、彼らの今回のニュースリリースというか、プレゼンテーションを紹介しよう。訳に時間がかかってしまったが、日本語のメディアでの紹介はWMOが唯一で初であろう(我々はこれが本業ではないので、全部チェックしてるわけでも、競争しているわけでもないが、コレクターにはコレクター/ 愛好家目線での「鼻」やネットワークがある、ということを皆さんに知ってほしい)。シンガポールでの出会いを覚えていてくれた二人が送ってきてくれた。このプレゼンには、この二人の出会い、ブランドの設立から始まり、そしてムーブメントや外観デザインについて、彼らのビジョン及びその一貫性・整合性が説明されている。哲学的あるいは芸術的な表現でわかりにくい部分もあるかもしれないが(下手な訳のせいです)じっくり読んでいただきたい。

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ペテルマン・ベダ





ゲール ペテルマンとフロリアン ベダ
彼らの友情の始まりはずっと前にさかのぼります。時計師学校では時計師用作業机を一緒に使い、グラスヒュッテの「フェルディナント A. ランゲ」通りで、職人技を磨きながらルームメイトとして生活していました。彼らの通った学校は、伝統的時計作りの世界では最高の学校の一つとして広く認められています。

  
ゲール(左)とフロリアン(右)

Renens
ドイツから戻り、彼らは、ヴォー州にあるスイスの町ルナン(Renens)を、アトリエの場所に選びました。なぜそこを選んだか、というと、そのワークショップは十分広く、また、有名な時計師のドミニク・ルノー(訳注: オーデマ・ピゲやリシャール・ミルのムーブメントで有名な「ルノー・エ・パピ」のルノー氏のこと)が隣にいる、ということからでした。ルノー氏の近くで働く、という経験は、何かの縁を感じさせ、絶対に見逃せないチャンスでした。



彼ら自身のプロジェクト
歴史上最高の時計師の1人と言われる先人達によって作られた時計のレストアから始めることは、おそらく時計作りの強固な基盤を構築する最良の方法でしょう。しかし、この若くて野心的なペアはもっと大きな野望を最初から持っていました!  彼らの目的は、彼ら独自の時計を最初から作ることでした。



Renensにて産声を上げる
2017年、ペテルマンとベダは最初のムーブメントを開発し始めました。ドミニク・ルノー氏の助けを借りつつ生み出された彼らの最初のムーブメントは三針時計と決めていました。最も単純な時計と思われるでしょうが、ジャンピング(デッドビート)セカンドという「ひねり」を加えた、「The 1967」が生まれることになります。




1967ムーブメント

ルナン製
Made in Renens(メイド イン ルナン)。製造する「Make」という言葉は、あらゆるディテールに対して全く手を抜かずに完璧に作られるとき、上位次元の意味を持ち始めます。ブレゲ ひげゼンマイ、ブラックポリッシュ、面取り。。。すべてが手で仕上げられます。組み立て後には全く見えなくなる部分にも同じ手間がかけられ仕上げられるのです。なぜでしょうか? それは、次の世代の時計師も、彼らの先人達と同じくらい、自分たちの仕事を愛することになるからです。

ガフネ機構
彼らのジャンピングセカンドには、ロベール・ガフネ (Robert Gafner) が1940年代に懐中時計に搭載した同機構がインスピレーションを与えました。一見自由度が大きなデザインでありながら、完璧な調整をするには、最高の職人技が必要です。最終的には1/100mmの調整を手で行う必要があり、時計師の技量によって、そのムーブメントが動くのか、全く動かないのかが決まる、というくらい複雑で繊細な機構です。


デッドビートセカンド用のガンギ車の1つ(2つある)(左)と、アンクルの仕上げ後・前(右)

スワンネック
このムーブメントは18,000ビート(毎時)です。テンワをできるだけ大きくしたかったため、昔ながらの比較的遅めのビートにしたのです。実際、テンワの直径は11.5mmで、間違いなく「大きい」サイズです。テンワの上にそっと置かれ、懐中時計の黄金時代にインスパイアされたスワンネック レギュレーターは間違いなく調速のための最もエレガントな機構と言えるでしょう。






仕上げ
ガフネ システムは、これらの2人の若い時計職人がデッドビートセカンド機構付ムーブメントのブリッジ(受け)のディープマット仕上げなどの伝統技術を復活させる機会を提供しました。「プードル デュ ルバン」と呼ばれる特殊な粉とオリーブオイルを混ぜ合わせることで可能となるこの手法は、伝統的にグランド・ソヌリ懐中時計に使われていましたが、それ以来ほとんど忘れられていた存在でした。 当然、すべてのディテールはより大きな構想の一部です。ブラックポリッシュ等の仕上げを経て、一定の性能を間違いなく実現する時計のすべてのディテールを、齟齬やキズなどなく完成するためには、こういった1つ1つをおろそかにすることなく作業することが唯一の道なのです。全体を完璧にすること、それにはすべてのディテールに手を抜かないことが肝要なのです。



1967

ジャンピングセカンド
「1967」とは、90年台に生まれた2人の時計師にとっては、なかなか不思議な名前ですが、このモデル名には、一種のユーモアが含まれています。
1967年とは、最初のクォーツムーブメントが完成(プロトタイプ)し産声を上げた年であり、ご存知のように、それらのクォーツ時計は1秒ごとに秒針が動き、まさにこの「デッドビートセカンド」と同じ動きなのです。

第一章
「前書き」を終え、ペテルマン・ベダは、ようやく自分たちの歴史の「本文」を書き始めました。モデル「1967」は、その第一章なのです。
バース・スタジオのBarth Nussbaumer氏によってデザインされ、ペテルマン・ベダは新たな表現方法を手に入れました。そして、その表現方法は、今後新たな「章」をどんどん書き足していくことになるのです。



デザイン要素
微妙なバランスでの組み合わせ
ペテルマン・ベダのデザインは、ゲール(ペテルマン)とフロリアン(ベダ)の感覚を非常に繊細にバランスよく混ぜ、19世紀の技術と美的な感覚をベースに、20世紀のデザインコードを取り入れ、そしてそれらを現代の姿とその中に込められた熱情、として皆様の目の前に現れるのです。



文字盤
60年代という腕時計の言わば黄金時代にインスパイアされた、クラシックな39mmケースに収まる文字盤は、ブランドの新たな表現方法を具現化したものです。
このセミオープン文字盤は、ムーブメントに刻まれた職人技を少しだけ見ていただくために作られました。
文字盤中央のプレートを一部切り取り、ルビーを見せています。ルビーは、「石」として表されるように、ムーブメントにとって非常に重要な役目を負っているからです。また、このルビーは、その下の軸の動きは見えなくても、見えない部分で起きていることに対する想像をかき立てます。中央プレートの切り取りと、外周プレートの窓は、別々の部位ではありますが、文字盤の下で何が起きているかを、まるでパズルのように見る人の想像力を膨らませることでしょう。



秒刻み
「1967」のスターは間違いなく秒です。そのため、この時計は「分」よりも「秒」が目立つようなデザインとしました。秒刻みのデザインは、文字盤のセンターや外周のカットラインの延長線上で作られ、秒針が秒から次の秒にジャンプするという考えを視覚的に強調しています。



針は時刻を表示する器械の中での、主演俳優。ユニークなデザインにより、時・分・秒の針たちは、さまざまな時代を代表するデザインパーツを、現代の腕時計に作りこむ、という大役に大きく貢献しています。例えて言うなら、ドーフィン(ダフネ)針と19世紀の針のデザインを何とか合体させるような作業です。このユニークな組み合わせのデザインは、面取り、ブラックポリッシュ、独特の磨き方等々、先人たちのテクニックにより、実現可能になったのです。針はすべて手作りです。


 
その他スペック
ケース: 18K WGまたはRG、39㎜ x 10.70㎜、ARコーティング
ストラップ: 手縫いのスウェード。バックルは18K WGまたはRG
ムーブメント: キャリバーの正式名称は Calibar 171。ジャーマンシルバー製ブリッジと地板。ブレゲひげゼンマイ。直径30㎜、パワーリザーブ 36時間、18000振動/時、29石、パーツ数 160。
限定数: WG 10本、RG 10本
値段: 59,800スイスフラン(税抜) *日本円だと、約685万円(税抜き)

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最後に、WMOのために撮って送ってくれた動画を掲載する。もちろん、Youtubeを探せばいくつかの英語メディアによる動画は見ることができるだろう(欧米、シンガポールメディアは1週間前にすでに報道しており、この時間差は非常に悔しい。平日昼間は仕事があるという状況でも頑張ったつもりであるが、日本語発信がしばしば遅れることを是正したいというのは、WMO設立の精神の1つであり、現状は良くない、と自らに言い聞かせている)が、彼らが日本の愛好家たちのために、今では例のウイルスのおかげですっかり遥か遠くになってしまったスイスから自分たちで撮って送ってくれた、ということが非常にうれしい。日本の愛好家たちを忘れていないよ、というメッセージだと受け取った。励まされるし、日本の愛好家たちにも好意的に受け取ってほしい。ちなみに、彼らはたった2人のアトリエ、ということもあり、外出禁止令期間中以外はコツコツとアトリエで作業を続けていた模様。

騒ぎが終わったら、是非訪れたい工房である。




さて、どうだろうか。まずは、これを一作目として、素晴らしいデビューを飾った、と言ってもいいと思う。10本ずつなので、もうすでに予約で完売かもしれないが、ご興味があれば、あるいは質問があれば、直接でもいいし、遠慮なくWMO経由でお尋ねいただきたい。第二章が楽しみである。もちろん、WMOではこの若き二人を今後もフォローしていく。彼らはシンガポールでは、「第三者の投資家からお金をもらっていない」と」明言していた。いまもそれが変わっていない(あるいは、もらっていても構わないが、「経営に関与しない」株主であることが重要)ことを祈りつつ、このブランドの今後に期待したい。






Petermann Bedat

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