2021年、自分にとって時計的にはどんな年だっただろう?
By : KIH2021年は、個人的なこと(まだ続いているが)もあり、あまりこれと言って所謂「時計界」に注意を払ってはいなかったと思う。本業の海外出張も相変わらずゼロだったし。とは言え、ccfanさんが書いているような新たな機構たちは、それはそれとして、とても興味を引くものがあった。「趣味としての時計」という面では、いくつかの大きなブランドとは距離がより離れ、どちらかというと、独立系ブランドのいくつかと近づいたように思う。それは言うまでもなく、「近づきやすさ」があったからだ。
「近づきやすい = 安くて質が低い」というイメージを持っている人がいるとすれば、それは大きな間違いだ。もちろん、独立系ブランドの中でも「近づきづらい」「人を寄せ付けない」人たちもいるということは経験上も事実だ。しかし、自分の長い経験では、「いい時計」を作っている人達は「近づきやすい」人たちがほとんどだ。ここでいう「いい時計」の定義も人それぞれなので、安易に使う言葉ではないと思うが、筆者の中では「(自分の好みという範疇で、払ったお金に対する)納得感のある作品出来栄え・パフォーマンス」としておこう。
「近づきやすさ」がなぜ、ここ数年自分にとって大事になってきたかというと、要するに「ついていけない」ブランドが増えてきたからだ(時間的にも方向的にも納得感についても)。さらに、ここ数年、独立系ブランドで「いい時計」を出すところがどんどん出てきて(あるいは出していることを自分が発見して)、自分の知らない「楽しき時計の世界」を見つけてしまったことも理由の1つだ。自分的には、「時計趣味2.0」かな・・・。自分にとって愛でるべきブランドや時計はたくさんある、ということだ。何も限られた特定の人気ブランドに固執する必要はない。広い視野でこの趣味も見つめ直すといろいろと見えてくるだろう。ただ、時計ブランドも趣味人たちの間にも「格差」というか「二極分化」が進んでいることは日に日に明らかになってきており、今後の双方の戦略に非常に興味がある。もちろん、どちらかが良い悪いと言うつもりはない。いろいろな人がいていいのだ。それで時計業界やこの趣味も栄えるわけだし。ただ、本当に時計が好きで時計を買っているのかどうか、というのは大きな違いではある。もちろん、それでさえも良い悪いと決めつける対象ではない。
どんな趣味・モノ・ことも、最後は「人」である、ということを、年を取るとひしひしと実感してくる。残りどれくらい生きるかわからないが、信頼できる人との関係を構築することの方が重要だと感じる今日この頃。
私はジャーナリストではなく、物書きでもなく、読者の皆さんと同じ立場の普通の時計趣味人である。誰を批判するつもりもなく、自分が「いい!」と思うモノや人を今年も紹介していきたいと思う。
さて、御託はこれくらいにして、2021年(あるいはそのちょっと前から)の筆者の「発見」について、いくつかのブランド・時計師を例に徒然と書いていこうと思う。ただし、人によっては限りなくつまらないと思うだろう、とあらかじめお断りしておく。本当は価値観の違いも、趣味の楽しみの1つではあるはずなのだが。
(順不同)
・ Gronefeld
自分は時計を含めて趣味については、非常に鈍感だ。「いいね」と気づくまで、いつも時間がかかるのである。前々から知っていたモデルでも、しばらくたってから、「いい!」と思うことが多い。このブランドは、日本でも知っている人は多いだろう。彼らの「1941 Remontoir」というモデルについて、前々から知っていたはずなのに、ある日友人の実機を見る機会があり、突然「これはすごい」と思ってしまったのである。限定モデルで、もう発表して何年も経っていたが、これも何かの縁で、ほぼ最後の1つ(キャンセルが出た)に出会うことができた。すぐにレビューを書くつもりだったが、時間ばかり経ってしまい申し訳ない。彼らにもいろいろ提供してもらっているので申し訳ない・・・。とにかく、これは私にとって「いい時計」であった。途中でニューヨークで偶然Gronefeld兄弟とばったり出会ったり(最後の写真に写った3人あるいは3ブランドは、偶然とはいえ私のお気に入りたちが1か所にいたということで感動の写真である)、文字盤のカスタマイズもいろいろワガママを聞いてもらった。次回オランダに出張が入った時には是非立ち寄りたいが、かなり遠いんだよな。ドイツとの国境がすぐそこ・・・。
先日、「受注分をさばくのに相当時間がかかります」という理由で受注を止めたというニュースがあった。ビックリという人もいたし、批判的な人も多かったようだが、筆者はデポジットを取った上で何年も待たせてうんともすんとも言わずに買った人を不安にする・あるいは不義理をするよりは、よほど潔いと思う。話は飛ぶが、時計を買うとブランドとの付き合いは長くなるものである。コミュニケーションがうまくいかないブランドから買うと、将来時計になにかあった時に心配ではないだろうか。上述の通り、時計の趣味だって最後は「人」なのだ。なんてことは、WMOの読者であれば十分お分かりだとは思うが。。
できれば、2022年には、人員を増やして新入生の訓練を終えて、新たなモデルと共に戻ってくることを願っている。Remontoirのレビューについては、今年前半には出したいなあ・・・。
・MING
これも私の定義では「いいブランド」であり「いい時計」を作っている、と思う。もちろん、最近の作品はあっという間に売り切れてしまうということで不満をお持ちの方もいるだろうとは思う。しかし、彼らのいいところは、そういった不満にも耳を貸して、売り方をいろいろ工夫してきているところである。今年、いくつの新作を出すかわからないが、MINGが気になっている人達が手に入れることが出来るよう祈るばかりである。
18.01H41 初めての秒針付き時計であり、ベゼルにギザギザがないダイバーウォッチ
27.02 名機7001ムーブ改を使った薄型ドレスウォッチ
17.09 17シリーズの最後をかざる、GMT仕様(時針が独立して動く)のシンプルな二針時計。CHF1,950。
彼らのモデルは入れ替わりが早い。あまりに多くの新しいアイデアがあるので、いつまでも同じモデルを作り続けられない、ということらしい。よって「ディスコン」と言ったらばっさり「ディスコン」するのだ。中身を変えずに外側だけ変えて復活させる、あるいは新モデルとして発表するということは今のところない。そこが潔くていい。同じことはGronefeldにも言える。
それから何よりも、コストパフォーマンスは高い。17.09などは、2000スイスフランを切る値段設定なのである。いわゆる「インハウス」のムーブメントを使っているモデルはないが、上級モデルには外注の専用ムーブが使われているものもある。「インハウスムーブメント」の経済的価値は、その開発コストを吸収できる以上の生産規模・価格支配力を持って意味をなすものである(もちろんそんなことはこの「趣味」に「工芸品的価値」を求める場合には全く関係ないことであり、ケースバイケースである)。価格を考えれば、ユニークなデザインも含めたトータルの時計の出来に文句を言う人はいないだろう。創業者デザイナーMing Thein氏も、Help Deskの人たちも、みんな非常に親切だし、純粋に時計好きというスタッフばかりで、自分たちが欲しい時計を作っていることがよくわかるブランドだ。
・Peter Elliot
この独立時計師については、弊ブログをまた読んでいただきたいが、今度が楽しみな時計師の1人である。まだ一部外注はあるものの、基本的にはすべて自作という方向性でデビュー作を鋭意作成中である。完成したら、またここでご紹介したい。写真はすべて、©Peter Elliot。
・ Furlan Marri
ここも非常に面白いブランドだ。デビュー作のデザインはめちゃくちゃかっこいい。しかし、お値段は495スイスフラン(約6万2千円)。ついには、GPHGの「HOROLOGICAL REVELATION PRIZE」を取ってしまった。アイデアの勝利、と言えるかもしれないが、「いいモノを安く」というコンセプトは、古いようで新しい。この時計については、ムーブメントはセイコー製だが、どこで組み立てているのかを明らかにしていない(しかし、時計自体は香港から来た=おそらく相当部分の部品と組み立ては中国か香港かと想像する)。Furlan氏によると「最適な部品を最適な場所で調達し最適な場所で組み立てているだけだ」とのこと。納得感はある。このような正統派クラシックなデザインでも、中身はクォーツ。メカクォーツだ。しかし、秒針がないので、いわゆる一般にあるクォーツ感はない。しかし、クロノグラフの針の動きは機械式のようだ。と言っても、1秒ごとにチクタクを、1秒に5回チクタクさせているだけ、という仕組みはわかるが、それでもこのデザインは秀逸だ。こんなのが出てきたら機械式の優位性はどこに?とも思わせるし、ccfanさんが言うように(4話+インプレッションに分かれているが、これも再度読み直していただけると幸い)シチズンの究極の精度を持ったクォーツを褒め称えるべき達成、と呼びたくなることにもやや共通する感覚だ。非常によくできた時計、という他ない。
この箱が、アンティーク感たっぷりである。
次はどんな時計を出してくるのだろう、と期待させる。が、次はどこで何が作られたのか、くらいははっきりと教えて欲しいと思う。個人的には、非常に気になる点だ。
<番外編>
・ フィリップ・デュフォー
特に最近というか去年会ったというわけではないが、この感染症対策の経済的側面の1つとして、一部の人にとっては大いに金余りの年でもあり、オークション業界や中古時計業界は大繁盛だったようだ。その中でも、デュフォー氏の過去の時計にスポットライトが当たることが多く(しかし、オークションでいくら高く売れても、儲かるのは売った人とオークションハウスだけで、作った人には一銭も入らないことは覚えておきたい)、自分がアトリエを訪問したときのことを思い出し、ブログにそこでのインタビューのようなことを書き留めた。最近は御大と話していないが、当時のデュフォー氏のことを思い出すと、その出会いは感動的で、そういう機会に恵まれたことに感謝しかない。ご興味があれば、再度読んでいただきたい。
https://watch-media-online.com/blogs/4623/
・ 菊野昌宏
そして、デュフォー氏と言えば、日本が誇る独立時計師、AHCI最若手の菊野昌宏氏に触れざるを得ない(デュフォー氏が、菊野氏をAHCIに推薦した1人なのだ)。「朔望」というモデルも最後のピースの納品が終わり、今は最後の「和時計・改」を作っていると聞く。そのあとはどうするのだろうか? おそらく、もう頭の中にはある程度アイデアがあるのだと思うが、「作りたいものを作る」という考えは一貫して変わらない。彼の作品が欲しい人は、次に何を作るかわからないまま、お財布の中身との対比もできぬまま、待っていなければならない状況は変わらない。しかし、彼は自分に対して正直なのはもちろんだが、自分の時計を買う人に対しても真摯であり紳士だ。彼は自分が時計を作る過程を、買う人と共に歩む「旅」と言っている。それは彼がオーナーたちに送る、「メイキング」フォトブックにも描かれている。作りたい時計を作るが、それを求めている人に対しては、その人が求めている形にすべく、時間をかけて、デザインの細かい部分や仕様の変更など、ムーブメント以外はほぼすべて(いや、ムーブメントも時には改造する)、顧客の要望に応えるように努力する。面と向かって、じっくりと顧客と話すのだ。それは、2000万円超の「和時計・改」も、500万円の「朔望」も変わらない。
私は残念ながらオーナーではないが、10年来彼を見てきて、1つ1つに込める情熱・愛情と、それぞれにフォトブックを作って渡すということは、すごいことだと思う。リピーターが多いのもうなずける。と言っても、今では1つ買うにも相当の行列ができているようだが・・・。
最期の「朔望」©Masahiro Kikuno
特に今年彼の作品との出会いがあったわけではないが、例の感染症が収まった時に焼き肉パーティーはあった(笑)。
焼肉師 菊野昌宏 ↓
他にもまだまだ面白い「いいブランド」が「いい時計」を作っている。今年ももっと多くの「発見」があるだろう。余裕がある限り、自分も探してここで紹介していきたいと思う。
それぞれ、せいぜい英語版のウェブサイトがある程度のブランドばかりだが、もし英語でご苦労されているという方がいれば、喜んでお手伝いするので、お気軽に声をかけていただきたい。別にアフィリエイト契約などあるわけがないので、ご安心を(笑)。
今年は、昼間の本業の海外出張も再開し、世界からの生の声や情報をここでご紹介できる日が来ることを切に願う。
では、今年が皆さんの時計ライフにとって、良い年となりますよう。
KIH
「近づきやすい = 安くて質が低い」というイメージを持っている人がいるとすれば、それは大きな間違いだ。もちろん、独立系ブランドの中でも「近づきづらい」「人を寄せ付けない」人たちもいるということは経験上も事実だ。しかし、自分の長い経験では、「いい時計」を作っている人達は「近づきやすい」人たちがほとんどだ。ここでいう「いい時計」の定義も人それぞれなので、安易に使う言葉ではないと思うが、筆者の中では「(自分の好みという範疇で、払ったお金に対する)納得感のある作品出来栄え・パフォーマンス」としておこう。
「近づきやすさ」がなぜ、ここ数年自分にとって大事になってきたかというと、要するに「ついていけない」ブランドが増えてきたからだ(時間的にも方向的にも納得感についても)。さらに、ここ数年、独立系ブランドで「いい時計」を出すところがどんどん出てきて(あるいは出していることを自分が発見して)、自分の知らない「楽しき時計の世界」を見つけてしまったことも理由の1つだ。自分的には、「時計趣味2.0」かな・・・。自分にとって愛でるべきブランドや時計はたくさんある、ということだ。何も限られた特定の人気ブランドに固執する必要はない。広い視野でこの趣味も見つめ直すといろいろと見えてくるだろう。ただ、時計ブランドも趣味人たちの間にも「格差」というか「二極分化」が進んでいることは日に日に明らかになってきており、今後の双方の戦略に非常に興味がある。もちろん、どちらかが良い悪いと言うつもりはない。いろいろな人がいていいのだ。それで時計業界やこの趣味も栄えるわけだし。ただ、本当に時計が好きで時計を買っているのかどうか、というのは大きな違いではある。もちろん、それでさえも良い悪いと決めつける対象ではない。
どんな趣味・モノ・ことも、最後は「人」である、ということを、年を取るとひしひしと実感してくる。残りどれくらい生きるかわからないが、信頼できる人との関係を構築することの方が重要だと感じる今日この頃。
私はジャーナリストではなく、物書きでもなく、読者の皆さんと同じ立場の普通の時計趣味人である。誰を批判するつもりもなく、自分が「いい!」と思うモノや人を今年も紹介していきたいと思う。
さて、御託はこれくらいにして、2021年(あるいはそのちょっと前から)の筆者の「発見」について、いくつかのブランド・時計師を例に徒然と書いていこうと思う。ただし、人によっては限りなくつまらないと思うだろう、とあらかじめお断りしておく。本当は価値観の違いも、趣味の楽しみの1つではあるはずなのだが。
(順不同)
・ Gronefeld
自分は時計を含めて趣味については、非常に鈍感だ。「いいね」と気づくまで、いつも時間がかかるのである。前々から知っていたモデルでも、しばらくたってから、「いい!」と思うことが多い。このブランドは、日本でも知っている人は多いだろう。彼らの「1941 Remontoir」というモデルについて、前々から知っていたはずなのに、ある日友人の実機を見る機会があり、突然「これはすごい」と思ってしまったのである。限定モデルで、もう発表して何年も経っていたが、これも何かの縁で、ほぼ最後の1つ(キャンセルが出た)に出会うことができた。すぐにレビューを書くつもりだったが、時間ばかり経ってしまい申し訳ない。彼らにもいろいろ提供してもらっているので申し訳ない・・・。とにかく、これは私にとって「いい時計」であった。途中でニューヨークで偶然Gronefeld兄弟とばったり出会ったり(最後の写真に写った3人あるいは3ブランドは、偶然とはいえ私のお気に入りたちが1か所にいたということで感動の写真である)、文字盤のカスタマイズもいろいろワガママを聞いてもらった。次回オランダに出張が入った時には是非立ち寄りたいが、かなり遠いんだよな。ドイツとの国境がすぐそこ・・・。
先日、「受注分をさばくのに相当時間がかかります」という理由で受注を止めたというニュースがあった。ビックリという人もいたし、批判的な人も多かったようだが、筆者はデポジットを取った上で何年も待たせてうんともすんとも言わずに買った人を不安にする・あるいは不義理をするよりは、よほど潔いと思う。話は飛ぶが、時計を買うとブランドとの付き合いは長くなるものである。コミュニケーションがうまくいかないブランドから買うと、将来時計になにかあった時に心配ではないだろうか。上述の通り、時計の趣味だって最後は「人」なのだ。なんてことは、WMOの読者であれば十分お分かりだとは思うが。。
できれば、2022年には、人員を増やして新入生の訓練を終えて、新たなモデルと共に戻ってくることを願っている。Remontoirのレビューについては、今年前半には出したいなあ・・・。
・MING
これも私の定義では「いいブランド」であり「いい時計」を作っている、と思う。もちろん、最近の作品はあっという間に売り切れてしまうということで不満をお持ちの方もいるだろうとは思う。しかし、彼らのいいところは、そういった不満にも耳を貸して、売り方をいろいろ工夫してきているところである。今年、いくつの新作を出すかわからないが、MINGが気になっている人達が手に入れることが出来るよう祈るばかりである。
18.01H41 初めての秒針付き時計であり、ベゼルにギザギザがないダイバーウォッチ
27.02 名機7001ムーブ改を使った薄型ドレスウォッチ
17.09 17シリーズの最後をかざる、GMT仕様(時針が独立して動く)のシンプルな二針時計。CHF1,950。
彼らのモデルは入れ替わりが早い。あまりに多くの新しいアイデアがあるので、いつまでも同じモデルを作り続けられない、ということらしい。よって「ディスコン」と言ったらばっさり「ディスコン」するのだ。中身を変えずに外側だけ変えて復活させる、あるいは新モデルとして発表するということは今のところない。そこが潔くていい。同じことはGronefeldにも言える。
それから何よりも、コストパフォーマンスは高い。17.09などは、2000スイスフランを切る値段設定なのである。いわゆる「インハウス」のムーブメントを使っているモデルはないが、上級モデルには外注の専用ムーブが使われているものもある。「インハウスムーブメント」の経済的価値は、その開発コストを吸収できる以上の生産規模・価格支配力を持って意味をなすものである(もちろんそんなことはこの「趣味」に「工芸品的価値」を求める場合には全く関係ないことであり、ケースバイケースである)。価格を考えれば、ユニークなデザインも含めたトータルの時計の出来に文句を言う人はいないだろう。創業者デザイナーMing Thein氏も、Help Deskの人たちも、みんな非常に親切だし、純粋に時計好きというスタッフばかりで、自分たちが欲しい時計を作っていることがよくわかるブランドだ。
・Peter Elliot
この独立時計師については、弊ブログをまた読んでいただきたいが、今度が楽しみな時計師の1人である。まだ一部外注はあるものの、基本的にはすべて自作という方向性でデビュー作を鋭意作成中である。完成したら、またここでご紹介したい。写真はすべて、©Peter Elliot。
・ Furlan Marri
ここも非常に面白いブランドだ。デビュー作のデザインはめちゃくちゃかっこいい。しかし、お値段は495スイスフラン(約6万2千円)。ついには、GPHGの「HOROLOGICAL REVELATION PRIZE」を取ってしまった。アイデアの勝利、と言えるかもしれないが、「いいモノを安く」というコンセプトは、古いようで新しい。この時計については、ムーブメントはセイコー製だが、どこで組み立てているのかを明らかにしていない(しかし、時計自体は香港から来た=おそらく相当部分の部品と組み立ては中国か香港かと想像する)。Furlan氏によると「最適な部品を最適な場所で調達し最適な場所で組み立てているだけだ」とのこと。納得感はある。このような正統派クラシックなデザインでも、中身はクォーツ。メカクォーツだ。しかし、秒針がないので、いわゆる一般にあるクォーツ感はない。しかし、クロノグラフの針の動きは機械式のようだ。と言っても、1秒ごとにチクタクを、1秒に5回チクタクさせているだけ、という仕組みはわかるが、それでもこのデザインは秀逸だ。こんなのが出てきたら機械式の優位性はどこに?とも思わせるし、ccfanさんが言うように(4話+インプレッションに分かれているが、これも再度読み直していただけると幸い)シチズンの究極の精度を持ったクォーツを褒め称えるべき達成、と呼びたくなることにもやや共通する感覚だ。非常によくできた時計、という他ない。
この箱が、アンティーク感たっぷりである。
次はどんな時計を出してくるのだろう、と期待させる。が、次はどこで何が作られたのか、くらいははっきりと教えて欲しいと思う。個人的には、非常に気になる点だ。
<番外編>
・ フィリップ・デュフォー
特に最近というか去年会ったというわけではないが、この感染症対策の経済的側面の1つとして、一部の人にとっては大いに金余りの年でもあり、オークション業界や中古時計業界は大繁盛だったようだ。その中でも、デュフォー氏の過去の時計にスポットライトが当たることが多く(しかし、オークションでいくら高く売れても、儲かるのは売った人とオークションハウスだけで、作った人には一銭も入らないことは覚えておきたい)、自分がアトリエを訪問したときのことを思い出し、ブログにそこでのインタビューのようなことを書き留めた。最近は御大と話していないが、当時のデュフォー氏のことを思い出すと、その出会いは感動的で、そういう機会に恵まれたことに感謝しかない。ご興味があれば、再度読んでいただきたい。
https://watch-media-online.com/blogs/4623/
・ 菊野昌宏
そして、デュフォー氏と言えば、日本が誇る独立時計師、AHCI最若手の菊野昌宏氏に触れざるを得ない(デュフォー氏が、菊野氏をAHCIに推薦した1人なのだ)。「朔望」というモデルも最後のピースの納品が終わり、今は最後の「和時計・改」を作っていると聞く。そのあとはどうするのだろうか? おそらく、もう頭の中にはある程度アイデアがあるのだと思うが、「作りたいものを作る」という考えは一貫して変わらない。彼の作品が欲しい人は、次に何を作るかわからないまま、お財布の中身との対比もできぬまま、待っていなければならない状況は変わらない。しかし、彼は自分に対して正直なのはもちろんだが、自分の時計を買う人に対しても真摯であり紳士だ。彼は自分が時計を作る過程を、買う人と共に歩む「旅」と言っている。それは彼がオーナーたちに送る、「メイキング」フォトブックにも描かれている。作りたい時計を作るが、それを求めている人に対しては、その人が求めている形にすべく、時間をかけて、デザインの細かい部分や仕様の変更など、ムーブメント以外はほぼすべて(いや、ムーブメントも時には改造する)、顧客の要望に応えるように努力する。面と向かって、じっくりと顧客と話すのだ。それは、2000万円超の「和時計・改」も、500万円の「朔望」も変わらない。
私は残念ながらオーナーではないが、10年来彼を見てきて、1つ1つに込める情熱・愛情と、それぞれにフォトブックを作って渡すということは、すごいことだと思う。リピーターが多いのもうなずける。と言っても、今では1つ買うにも相当の行列ができているようだが・・・。
最期の「朔望」©Masahiro Kikuno
特に今年彼の作品との出会いがあったわけではないが、例の感染症が収まった時に焼き肉パーティーはあった(笑)。
焼肉師 菊野昌宏 ↓
他にもまだまだ面白い「いいブランド」が「いい時計」を作っている。今年ももっと多くの「発見」があるだろう。余裕がある限り、自分も探してここで紹介していきたいと思う。
それぞれ、せいぜい英語版のウェブサイトがある程度のブランドばかりだが、もし英語でご苦労されているという方がいれば、喜んでお手伝いするので、お気軽に声をかけていただきたい。別にアフィリエイト契約などあるわけがないので、ご安心を(笑)。
今年は、昼間の本業の海外出張も再開し、世界からの生の声や情報をここでご紹介できる日が来ることを切に願う。
では、今年が皆さんの時計ライフにとって、良い年となりますよう。
KIH
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一方で、最近(特にここ数年)、低金利による運用難からか金や機械式時計などのその「モノ」自体に価値がある資産の相場の高騰が続いていることに乗じて、品質やムーブメントがそれほど変わりもしていないのに、定価をつりあげてくる、一部ブランドがある。需給を考えれば、それが資本主義なのだ、と言えなくもないが、ここ数年で定価を爆上げしているだけでなく、最近は一般向けには予約も受け付けておらず、(彼らにとってはブランド価値を上げると思い込んだ戦略だが)このユーザーのすそ野を自ら狭める戦略は、永遠に富裕層がついてくるという前提に立っているのであろう。その他、XXX万円以上の個体をまず買わないと売ってくれないモデルも実際に存在しており、顧客を選ぶことをあからさまにみせる企業体質(顧客を選ぶこと自体は違法行為ではないが、小売価格をコントロールすることは公正取引法違反である)はファンを広げて業界をよりよくしていくという考えとは対極にあるものである。もちろん、これらを購入する側には何の責任もないのだが、時計そのもの、一つ一つのパーツや製造工程を愛する時計愛好家にとっては嘆かわしい風潮である。この、財布の厚さによって「モノ(=時計)」から「ヒト(=時計愛好家)」を遠ざける戦法はいかがものかと感じる。
噂によると日本でも顧客とコミュニケーションをとらない独立系ブランドがあるようだが、時計という文明の力の価値を落とす時計ブランドを見分ける私たちの目も養う必要があるのではないかと感じる。