ジラール・ペルゴ - 日本上陸160周年の節目に、日本市場のためのモデル、18本限定、1966 East to Westを発表

 By : KIH

ジラール・ペルゴと言えば、業務を創業以来続けている時計ブランドの中で最古のブランドである。来年には230周年を迎える。そして、今年、2020年はジラール・ペルゴの創業者、コンスタン・ジラールの義理の弟(マリー・ペルゴの弟)であるフランソワ・ベルゴが横浜に上陸してから160周年という年である。


以来、日本はジラール・ペルゴにとって、最も大きな海外市場の1つであった。そのスタートとなった象徴的な出来事の周年行事であるから、本来はスイス本国より関係者が大勢来日して大きなイベントをする予定であったが、今年は、例の新型のため、オンラインでのイベントとなった。その模様については後述するとして、まずはこの18本限定の特別モデルについてのニュースを見てみよう。

=====================================

                                    






1966 イースト・トゥ・ウエスト
二面性コンセプト



ラ・ショー・ド・フォン、2020 年 12 月 18 日 ジラール・ペルゴは、日本との取引関係の 160 周年を記念し、著名なストリートウェア デザイナーであるダレン・ロマネリとともに、 1966 イースト・トゥ・ウエストを発表します。日本と日本文化を愛することで知られるダレン・ロマネリ(別名 DRx )は、この重要なモデルの協力者として理想的です。このモデルが発売される 2021 年は、折しもマニュファクチュール 230 周年という、もう 1 つの節目の年でもあります。

1860年、ジラール・ペルゴの創設者の一人となったコンスタン・ジラールの義理の兄弟にあたるフランソワ・ペルゴが、スイス時計を売り込むという明確な目的をもって来日しました。そして横浜にオフィスを構え、日本に拠点を置く初のスイス時計商人となりました。しかし、まもなく大きな壁を克服する必要があることを思い知らされ ることになります。当時は、日本ではヨーロッパと同じ計時システムが採用されておらず、スイス時計は 珍しいもの として受け止められていたからです。しかし彼はあきらめませんでした。来日の 4 年後、日本とスイスの間で「修好通商条約」が締結され、このアジアの国にスイスの置時計と腕時計を広める環境が整いました。

状況が一変し始めたのは、 1873 年、日本が鉄道網の敷設を開始し、西欧の計時システムを採用したときでした。これがフランソワ・ペルゴにとって大きなチャンスとなり、スイス時計の輸出が大きく伸びました。フランソワ・ペ ルゴは長年、アジア各国を広く移動しましたが、いつも第二の故郷である日本に戻ってこようとしました。

現在に至るまで、ジラール・ペルゴは日本と密接な関係を維持しています。今年はこのマニュファクチュールと日本が関係を結んでから 160 周年にあたり、これを記念する新作として 1966 イースト・トゥ・ウエストが発表されることになりました。この時計は、この長い歴史をもつメゾンと、ストリートウェアで有名な現代のブランド、 ドクター ロマネリ( DRx )とのコラボレーションによるものです。

               

日本で事業を立ち上げたフランソワ・ペルゴは、時計を販売するだけではなく、骨董品を含むさまざまな品物を売買することを目指していました。フランソワ・ペルゴは大勢順応主義者ではなく、いわば異端児でした。 DRx の名でも知られるダレン・ロマネリもこう言っています。「私がジラール・ペルゴと協力しようと思った理由の一つは、フランソワ・ペルゴの伝説にあります。彼は非順応主義者で、トレンドセッターでした。同様に、私もファッションとアートで実験をしたいと思っており、さまざまな協力者と 作業したいと思っています。また、私は日本と日本文化への愛着によっても知られています。もしフランソワ・ペルゴが生きていたとしたら、たぶん意気投合したことでしょう。」


ジラール・ペルゴ CEO - パトリック・プルニエ

ジラール・ペルゴの CEO であるパトリック・プルニエはこう述べます。「今から 160 年ほど前に日本を旅したフランソワ・ペルゴは、以後 160 年間の関係の基礎を築きました。日本と歴史的なつながりをもつ私たちは、つねにこの国に心情的な結びつきを感じています。マニュファクチュール 230 周年を目前に控え、この節目の年を祝いたいと思っています。」

1966 イースト・トゥ・ウエストでは、二面性という概念が繰り返し表現されています。たとえば、文字盤はブラックオニキスを身にまとい、わずかに控えめな外観を呈していますが、ピンクゴールドの GP のロゴとゴールドのリーフ形の時針・分針は適度の華麗さを示しています。オニキスの文字盤は、円形ディスクとなるように手作業で入念に形が整えられています。オニキスで製造するには、骨の折れる 15 もの工程が必要となり、忍耐強さが要求されます。その後、表面を光沢のあるブラックの外観にする金属化処理を施したDRx のロゴを文字盤に取り付けます。このロゴのブラックは、オニキスの色あいとは若干異なっており、2つの色調が明確に区別できるようになっています。文字盤には DRx のトレードマークである鋏(はさみ)も描かれています。リーフ形の針が目立つのに対し、センターの秒針は控えめな色あいのブラックで仕上げられており、ここでも構成の二面性が強調されています。

1966 イースト・トゥ・ウエストの核心部には、自社製ムーブメント、キャリバー GP03300-1513 が搭載されています。このムーブメントは、DRx のロゴをあしらったスモーク仕上げのサファイアクリスタル越しに眺めることができます。このロゴは現代的なものですが、ムーブメントは、ペルラージュ、面取り、ブルーネジ、コート・ド・ジュネーブなどの伝統的な仕上げが施されています。

ジラール・ペルゴでは、限定生産の数を 8 本、18 本、88 本、188 本とすることがよくありますが、これは「8」という数字が幸運を呼ぶとされているからです。今回の 1966 イースト・トゥ・ウエストはわずか 18本の限定生産となり、稀少性が際立っています。

1966 イースト・トゥ・ウエストの魅力の一つは、異なる要素が繰り返し対置されていることです。本来、1966 はクラシカルな時計ですが、この DRx バージョンはブラック DLC サンドブラスト仕上げケース、オニキスの文字盤、DRx のブランディングが備わることで、驚くほど現代的に見えます。人生では、時として、さまざまな相違が組み合わさることで驚くべきものが生み出されることがあります。私たちはこれを「二面性コンセプト」と呼んでいます。伝統と現代性。単純さと洗練性。そして、ここで最もふさわしいのは、西洋と東洋の出会いです。



1966 イースト・トゥ・ウエストは、18 本限定生産でシリアルナンバーが刻まれ、2020 年12 月中旬から日本全国のジラール・ペルゴ正規販売店で販売されます。




技術仕様

1966 イースト・トゥ・ウエスト
リファレンス:49555-11-601-BB6X
シリアルナンバー付き 18 本限定生産



ケース
素材:スティール DLC、サンドブラスト仕上げ
直径:40.00 mm
厚さ:8.90 mm
風防:無反射加工サファイアクリスタル
裏蓋:スモーキー サファイアクリスタル、DRx付き
文字盤:ポリッシュ仕上げブラックオニキス、鋏(はさみ)付きの金属化処理した DRx のロゴ、ピンクゴールドの GP のロゴ
針:ゴールドカラーのリーフ形の時針と分針、ブラックのセンター秒針
防水:30 m(3 ATM)

ムーブメント
リファレンス:GP03300-1513
機械式自動巻きムーブメント
直径:25.50 mm
厚さ:3.36 mm
振動数:28,800 振動/時(4 Hz)
部品数:218
石数:27
パワーリザーブ:約 46 時間
機能:時、分、センターセコンド

ストラップ
素材:ブラック アリゲーター、初めの二縫いにあしらわれたゴールドカラー ステッチ
バックル:ピン バックル、スティール DLC 製

予価: 132万円(税抜)

=======================================

いかがだろうか。18本限定というのは、非常に少ないが、過去の「フランソワ・ベルゴ トリビュートモデル」でも同様の稀少さであったことが思い出される。

ご存知の方も多いと思うが、フランソワ・ベルゴは、日本で亡くなり、横浜の外人墓地に埋葬されている。そこまで日本を愛した人だっただけでなく、日本とスイスの通商条約の締結にも少なからず影響を与え、日本とスイスの交易関係の開始も彼のおかげと言っても過言ではないだろう。ご興味のある方は、横浜に行ったら外人墓地に寄ることをお勧めする。無論、彼だけでなく様々な歴史上の「外人」たちが眠っている。


さて、今般催されたオンラインローンチイベントだが、スイス本国からCCO(Chief Commercial Officer)のLuc Decroix(リュック・ドクロワ)氏(確か、現地午前4時だったかと)と、米国LAよりDarren Romanelli(ダレン・ロマネリ)氏(現地前日午後9時)が参加して、このモデルの意義やコンセプトを語ってくれた。



ジラール・ペルゴ CCO、リュック・ドクロワ

主な発言;
ドクロワ氏:「日本人は非常に目が肥えていて、完璧を求める。日本で成功すれば、世界で成功する、というくらいの大事な市場。その日本とこれだけ深く長い関係を持っていることを誇りに思うし、完璧主義という部分はジラール・ペルゴと非常に相性がいいと感じている。フランソワ・ベルゴがこの関係を始めてくれて、ジラール・ペルゴとしてだけではなく、日本とスイスとの交易関係も開始したことを考えると、感慨深く、感謝の言葉しかない。このモデルは、ダレンのおかげで非常に力強い作品となった。黒と金の組み合わせは日本の伝統的なデザイン。漆器とかを思い浮かべる。日本の皆さんも同様に感じていただけると嬉しい。次回は是非日本で皆さんの顔を見ながらお話したいと思う。」

ロマネリ氏:「自分も非常に日本の伝統やデザインには尊敬の念を抱いている。このモデルは、トータルで見て、私にとっての『日本』だ。日本古来からの黒と金のデザインをオニキスという特別な素材で再現できたことも大きい。日本のデザインはエレガントだ。職人技が常に光っている。このモデルに日本の皆さんも感動していただけると嬉しい。ジラール・ペルゴは、もう少し冒険してほしかったみたいだが、私にはこれで完璧であり、オニキスの美しい黒がすべてを表していると思っている。私も、次回は是非日本で皆さんにお会いしたい。」


18本のみの限定に込められたジラール・ペルゴの、フランソワ・ベルゴへの感謝の思い。近年、外人墓地は財政難であり、フランソワ・ベルゴの墓は、ジラール・ペルゴの資金により維持されている、と聞く。これだけの歴史を持ったブランドの、日本市場に対する気持ちは時計ファンとして素直にありがたい。日本という国の「二面性」に注目したこの渾身のモデルの実機を早く手にとって見たいものである。

12月中旬より順次デリバリーの予定。興味ある人は、取扱店に問い合わせてみてはいかがだろう。18本限定は、なかなかお目にかかれるものではない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ダレン・ロマネリ(DRx について)
ダレン・ロマネリ(DRx、Dr. ロマネリ)は、ロサンゼルスに拠点を置くデザイナーで、クリエイティブ ディレクター兼キュレーターでもあります。とりわけ、カスタマイズされた限定生産の衣服、家具、コレクターズ アイテムのシリーズをつくることで知られ、発端から販促用の展示まで、プロジェクト開発のあらゆる段階で DRx というサインを添えています。これまでに、コカ・コーラ、リーバイス、アディダス、ディズニーなどとコラボレーションしてきました。
@drxromanelli
https://drromanelli.com/


ジラール・ペルゴについて
1791 年創業のジラール・ペルゴは、今なおスイスで活動を続けている高級時計マニュファクチュールとしては最古の部類に属します。ジラール・ペルゴの歴史を彩る比類ない作品の数々は、美しさと機能性を融合することで、「時」の価値を明らかにしています。例えば、羨望の的となっている 1975 年生まれのロレアートや、ブリッジを単なる技術的な要素から時計に不可欠な一部に変えることで「見えないもの」を見えるようにした時計界初の「スリー・ゴールドブリッジ トゥールビヨン」などがあります。時計の革新の先導者としてのジラール・ペルゴの地位は、何百という取得済みの特許や、数々の賞を受賞した歴史によって裏づけられています。ジラール・ペルゴは、必要な時計の全技法を習得することで、2 世紀以上にわたってマニュファクチュールとしての地位を守ってきた、数少ない時計メーカーの 1 つです。ジラール・ペルゴの最新の時計は、現代の生活にふさわしいものとなるよう、時計製造の可能性を広げています。
ジラール・ペルゴは、ラグジュアリー アパレルにおいて世界をリードするケリング グループの一員です。
https://www.girard-perregaux.com/