ウルベルク Naissance d’une montre2 チャプター1 失われた時計作りの方法

 By : CC Fan
SIHHのみならずバーゼルワールドでの展示も予定していた伝統的な時計製造技術の継承と次世代の時計師の育成を目指すTime ÆON Foundation(タイム イオン ファウンデーション:永遠の時財団)、その2作目となるNaissance d’une montre2(時計の誕生)の第1章がプロジェクトを主導しているウルベルク(URWERK)から発表されました。

例によって英語のみなので抄訳(むしろ意訳)で…



左がCyrano Devanthey、右がDominique Buser、ウルベルクのR&D(研究開発部門)に所属し、時計学校の教師も務めます。
Dominique が主導したNaissance d’une montre2のメンバーで、ドミニクの教え子である David Friedliが加わります。

CyranoとDominiqueは時計学校を卒業後、Dominiqueは物理学の修士号を取得し、Cyranoはオメガの高級時計部門の責任者になっていました。
2009年に再会した彼らはウルベルクのためのエンジニアリングワークショップを開設します。



伝統的な技法で部品を製造する様子。



博物館級の伝統的な1950年代の時計製造を再現したワークショップ。
古い方法で時計を作ることを決意した彼らが集めた工作機械は19世紀のものから、最も新しいもので1960年代のものですが、当時の最高峰のもので非常に正確、現在でも使用に全く問題はありません。



スチームパンクのようなこの機械は、直線と曲線によってギロッシェを彫刻する貴重な機械です。
現在のギロッシェ需要の高まりによってこのような機械を手に入れるのはますます難しくなっています。

Dominique Buser、Cyrano Devanthey、David Friedliの3人が選んだ時計作りの方法は原点への回帰です。
彼らは時計学校で学んだ時代を超えた技術を活かした時計作りを行っています。

時計学校で製造・組み立て・調整・ケーシングを4年間学んだ後、実務経験を経て、彼らはコンピュータとCAMに目を向け、その専門家になります。
コンピューターの上では時計を3Dで構築することも、数ミクロンの許容誤差をクリック数回で魔法の様に数センチメートルに拡大することもできましたが、再び手作業による時計作りに戻り、材料と直接触れ合う必要性を感じ、時計学校で学んだ時計作りに戻ります。

彼らの小さなワークショップはスイス北部アーラウ州の静かな町ブルックスにあります。
1970年代に機械式時計産業が壊滅した時にスクラップから救出された手動工作機械は全て完璧に整備されています、ほとんどは20世紀初頭に作られたものですが、基本的なデザインは時計製造の歴史と同じぐらい古いものです。

2012年のNaissance d’une montreに続き、2019年に開始されたNaissance d’une montre2は初作と同じく最も伝統的な方法で時計を作ることを目指しています。

財団の取り組みについてはKIHさんの記事もあわせてご覧ください。

SIHH2019での展示の様子を。









https://www.urwerk.com/