コンスタントトルクを求めて…Naissance d’une Montre 2 の定トルクバネを解析する

 By : CC Fan

 

2020年9月3日追記:開発を行ったOscillonとその作品について文末に記載しました


クラーレのアンジェリコを分析
した際、チェーン・フュゼの弱点として認識していた「巻き上げと放出が同じ端から行われるので巻き上げに特殊な機構が必要」を(遊星)差動歯車を使う事でスマートに解決できることが分かりました。
古典的なフュゼでは逆回転の巻き上げの力が輪列に伝わらないようする2重のラチェット(デテント)と、巻き上げ時にトルクが途切れる問題を解決するための補助動力Maintaining springが用いられますが、ラチェット爪の抵抗がなくなること、内歯車さえ作ることができればよりシンプルな構造になるというメリットはあると考えています。

さて、遊星差動歯車で同じ端から巻き上げるという視点で見るとハイテクワイヤーを使ったクラーレの方法は「現代だからできる」言う方法であるといえます、同様に高弾性ゼンマイが開発された現代だからこそできるコンスタントスプリング(定トルクバネ)を用いた興味深い作品として、永遠の時財団とウルベルクのNaissance d’une Montre 2があります。
以前にも少し触れましたが、改めて解析してみたいと思います。



アップサイドダウンでムーブメントの文字盤側にテンワと計時輪列を可視化したムーブメント。
複雑性のコアであるコンスタントスプリングを用いた香箱はケースバック側なので見えません。



後述するコンスタントスプリングの特徴を示す部分がパワリザーブインジケーターによって巧妙に隠されているため、一見するとただのダブルバレルにしか見えず、現に2019年のSIHHの会場では開発者と話しながらも全く気が付くことなくスルーしてしまいました。
かなりの不覚です。

では見ていきましょう。



アップサイドダウンで、輪列は全部見えているので解析は容易…と考えるといきなり引っかかるポイントがあります。
通常の設計であれば香箱は1番車で、それに2番車が噛み合い4番車まで加速、ガンギ車までトルクが伝わります。
しかし、Naissance d’une Montre 2では数えると、歯車が1枚少なくなっています。

これは、香箱同軸に巻き上げ機構を兼ねた遊星差動歯車機構による加速ギアが設けられており、1番車に見えるものは香箱同軸の2番車だからです。
この2番車の回転は1:1の伝え車でセンターの表示用歯車に伝えており、ある意味オフセット輪列ともいえます。

この香箱部分に最も特徴的な定トルクバネによるコンスタントトルク機構が隠されています。



通常のゼンマイが香箱真から巻き上げ、徐々に「締まって」エネルギーを蓄え、外周の香箱から出力するのに対し、定トルクバネではストレージ(保管)ドラムに自由状態で巻き付けられているゼンマイを引き出して別の出力ドラムに巻き付ける構造になっています。

この原理を完全には理解できていませんが、通常のゼンマイは巻けば巻くほど締まるため、ゼンマイ間で摩擦が発生してロスしたり、力がどんどん足されてトルクが大きくなったりします。
対して、定トルクバネは力を発生させている部分は出力ドラムにばねを引き込む曲率が大きい部分がメインで、ストレージドラム自体は自由回転するため巻き上げていっても通常の香箱のように締まっていかずトルクが上昇せず一定になる…と言うふんわり理解です。

原理自体は難しいそうですが、実は身近に使われており掃除機のコードを引き出す部分などに使われています。
掃除機のコードは引き出せば引き出すほど重くなる…なんてことは無く、常に一定の力で引き出せるのはこの原理を使っており、ロールカーテンや収納式USBケーブルなどにも使われています。

さて、いいことづくめなように見えますが、ストレージドラムが自由回転することから通常の香箱のように巻き上げることはできず、掃除機のケーブルを思い出せばわかるようにそのままでは往復運動しかできないことになります。

しかし、フュゼも同様で(遊星)差動歯車を使えば解決できるという事はすでにクラーレの時に見ました。
Naissance d’une Montre 2も遊星差動歯車を使って巻き上げと放出をシームレスに行うようになっています。



クラーレは太陽歯車から巻き上げ、外側の内歯車から出力する構造でしたが、Naissance d’une Montre 2は逆で外側の内歯車が巻き上げ用、太陽歯車が輪列への出力です。
軸の取り方は異なりますが、得られる効果は同じで巻き上げと放出がシームレスにオーバーラップしながら動き、トルクが途切れることなく供給されます。


巻き上げの時が外側内歯車が反時計回りに回転します。
出力の太陽歯車は輪列終端の脱進機で調速されているため、力が加わっても余計に回転しないため、外側内歯車の余剰回転は全て遊星キャリアが回転してバネを引き込む力に使われます。


巻き上げ方向以外は外側内歯車はコハゼで遮られており回転できないため、バネが解ける力は全て太陽歯車にかかり、太陽歯車を回転させます。

このように、軸が入れ替わっている以外はアンジェリコと全く同じです。



定トルクスプリングは広い範囲で一定のトルクを発揮しますが、さすがに巻き始めにはトルクが低下します。
そのため、巻き止めを使ってトルクが低下する前に香箱を停止させて精度の悪化を防ぎます。

巻き上げと放出を同じ箇所から行う特性のため、ゼネバストップのように巻き量と放出量を別々に測定して差を求める差動機構は必要なく、単純に出力ドラムの回転範囲を制限するだけの機構です。

部品数が多いチェーンや、フュゼで「補正」するのではなく、バネそのものを定トルク出力特性にする定トルクバネ、原理的に考えればもっとも「理に適った」と言える方式ではないでしょうか。



前回も書きましたが、これは是非とももっと詳細に知りたい機構です。

https://www.urwerk.com/
https://timeaeon.org/

2020年9月3日追記

Naissance d’une Montre 2はウルベルクとグルーベル フォルセイの連名による作品ですが、基本ととなった定トルクバネによるコンスタントトルク機構や、特徴的な砂時計型テンワは、ウルベルクの開発者だったCyrano DevantheyとDominique Buserが設立したOscillonの作品の特徴を大きく引き継いでいます(お二人については以前の記事もご参照ください、タイムグラファーを内蔵したEMCの開発もCyranoが行っています)。

実は上の写真で写っているムーブメントのうち、上側のアルミの箱に入っているものはNaissance d’une Montre 2のプロトタイプムーブメントですが、下側の腕時計の形になっているものはOscillonのL’instant de verité(フランス語で真実の瞬間という意味のよう)です。

Naissance d’une Montre 2はアップサイドダウン構造でテンワが文字盤側に見える「ウルベルクらしい」「グルーベルらしい」作品でしたが、Oscillonの作品はよりクラシカルな見た目で、文字盤側には機構が露出せず、ケースバックからテンワが見える構造です。

公式の写真を見てみましょう。



文字盤中心の模様はブランドの名前の元になった物理現象Oscillonを表しており、細かい粒子(またはコロイド)に振動を与えると、条件によって局所的な波状の模様が発生する現象です。
Naissance d’une Montre 2とはスモールセコンドの配置や、パワーリザーブインジケーターに連動してドラムを停止させるシステムが異なりますが、基本的には同じ構造です。
Naissance d’une Montre 2はゼネバ機構でドラムを停止、L’instant de veritéはレバーでドラムをブロックします。



ムーブメント側はNaissance d’une Montre 2との連続性が明らかです。

SIHH2019で、「次」は訪問させて!と言っていたのを何とか実現させたい…

https://www.oscillon.swiss/