関口陽介氏 初の腕時計 プリムヴェール プロトタイプを拝見

 By : CC Fan
2022年1月26日追記:「腕時計化」したユール・ヤーゲンセン No.12096の時合わせについて修正、パワーリザーブについての記載を追加しました

WMOでもご紹介したスイス ル・ロックル在住の時計師、関口陽介氏
、クリストフ・クラーレ社在籍中は工場見学や「カンタロス・インプルーブメント・プロジェクト」でお世話になりました、クラーレ社退職後はアンティークショップJUVAL HORLOGERIEで修復の仕事を行いながら、自身の銘で時計を作る準備を進めてきました。

イベントや取材でスイスを訪れるたびに、ル・ロックル郡(ヌーシャテル州)をほぼ必ず訪れ、関口氏にお会いしては近況(スイスと日本)を報告し合ったり、彼がレストアしたアンティーク作品を購入してWMOでも紹介してきましたが、本人の希望もあり彼の活動については完成まではメディアとしての立場では一切を黙秘する、としてきました。

今回、満を持して腕時計のプロトタイプが完成、関口氏を長年応援し続け、取り扱う予定の小柳時計店の小柳店長の尽力により、一時輸入で拝見する機会を頂くことができました。

関口氏の経歴と時計の詳細なプレスリリースは追って小柳さんが発表するのでWMOでもニュースとして掲載予定ではありますが、作品を拝見して受けた衝動、数年越しで完成させた彼の時計作りへの「深夜のラブレター」のテンションでご紹介したいと思います。
仕上げと細部はまだ最終バージョンではない、とのことですので、そこは差し引いてご覧ください。



作品名はプリムヴェール(Primevère)、雪解けごろに咲く花から取られた名前で、雪の終わりと春の訪れを感じさせる花、関口氏がひっそりと温めてきた時計が陽の光の下で花開くイメージと重ねているそうです。
また、「プリム」という音が語源としては「初め」から来ているのも相応しいと考えているそうです。

「新作」と「修復」の世界、両方を経験したうえで、1年ごとの展示会に間に合わせて、「流行」を消費するのではなく、変わらず不変的な価値を備え、使い続けられる時計を作りたい、と語っていた関口氏の考えを反映するように、奇をてらわないオーソドックスなフェイス。



エナメルダイヤルには、筆記体でYosuke Sekiguchi Le Locleと、銘と地名が記されています。
マリンクロノメーターを思わせるスペード針も不変的なデザイン、秒針の細さも秒単位の読み取りを容易にするクロノメーターの文法です。



ムーブメントは関口氏が最も好んでいるユール・ヤーゲンセンが用いていた「ヤーゲンセンスタイル」をベースに、各部を現代的にしたもの。
ル・ロックルで製作されたエボーシュに使われていたスタイルで、過度の装飾を施すのではなく、装飾はちゃんと行いながら、どこか武骨さな機械としての合理性を感じさせるブリッジの作りが特徴的です。

このムーブメントデザインのインスピレーションの元になったのは関口氏が手に入れて天真折れを修復し、「腕時計化」した1871年製のユール・ヤーゲンセン No.12096という個体です。
この個体は関口氏が自身が日常使いするために制作し、緩衝装置はありませんが、「天真は直せるので大丈夫」とのことでした。



ダボ押し(リュウズ横のボタンを押して時間を合わせる) ダボ押しではなく、ヤーゲンセンが特許を取得したボウセッティングとか下げ輪方式、と呼ばれる時合わせシステムを採用したムーブメントでした。
これは懐中時計の鎖を取り付けるための輪状の部品(ボウ)を意図しないと倒れないような位置に倒すと、ボウの根元にある偏心カムがツヅミ車相当を小鉄車相当押し付けることでリュウズと時合わせ輪列が噛み合い時合わせを行えるようになる、という方式です。

1865年1月15日の日付と、発明者としてユール・ヤーゲンセンのサインが入れられたアメリカ特許61207号。
Google Patentにて検索し、引用しました。

防水の為にダボを塞いだため、腕時計化のためにボウとその根元の偏心カムは無くなってしまっているので、時間を合わせるためには、一度止めてその時間に動かす、という運用になっていました。
しかし、それでも1か月に1回合わせれば、「特に気にならない精度」を保っているという基礎体力を持っていたそうです。

もちろん、プリムヴェールではリュウズ合わせのための機構が設けられ、現代的にリュウズ引きで時間を合わせることができます。

「ヤーゲンセンスタイル」とは言っても、特定のムーブメントのデザインをそのまま作る、のではなく、それぞれ細部の異なる複数のヤーゲンセンムーブメントの「要素」を取り出し、関口氏が理想とする「俺のやり方」を生み出したのがこのムーブメントである、と理解しました。



例えば、板バネを使った古典的なコハゼに対し、根元の丸を強調したこのようなデザインはヤーゲンセンとしては少ないそうですが、こちらの方がより好ましい、と判断して採用しているようです。



ガンギ車とアンクルに保油のための伏石のカバーが付いた輪列。
繊細なガンギとアンクルまでうまく写しこめませんでした…

ユール・ヤーゲンセン No.12096よりさらに大型化したテンワはギリギリまで入り込んでいます。
プロトタイプでは天真に緩衝装置が取り付けられていませんが、製品版では古典的な見た目に合わせた緩衝装置が取り付けられる予定とのことでした。

このブリッジ形状とギリギリのテンワと言えば…



Juvalで購入し、関口氏にレストアしていただいたル・ロックル時計学校のデテントエボーシュを使った天文台?クロノメーターも同じ文法のデザインです。
デテントで、テンワの下側に配置されてしまっているため見辛いですが、伏石のカバーも設けられています。
このムーブメントに感じた、装飾では無く機械的な合理性による美しさ、を今回のプリムヴェールにも感じました。
ヤーゲンセンだけではなく、ル・ロックルで作られていたエボーシュに共通する合理性と美しさなのかもしれません。

リュウズ合わせに変更したのに加え、香箱の構造も古典的な片側保持から地板側も保持する現代的な構造に変更したのをはじめ、変えるべきところは現代的に変更しています。
ゼンマイも現代の高弾性素材を使った主ゼンマイ、温度特性に優れたヒゲゼンマイに変更されており、バイメタルチラネジテンプ(60年代のパーツを使用)ながら、切らなくても良くなったそうです。
歯車もオリジナルよりさらに厚くし、耐久性を更に高めています。

パワーリザーブも無理に伸ばすのではなく、トルク範囲を適切に保つ巻き止めを香箱に設け、精度に優れた40時間になっています。
毎日(24時間ごと)に巻くと考えれば、16時間「も」余裕があることになり、何の問題もありません!



ムーブメント自体が大きくて厚いため、ケース直径39.5mm 厚み12mmです。
とにかく「無理をしていない」頑丈さのためには余裕はあって困るものではない、と理解しました。



ダイヤルと風防の間隔は詰められており、ケースの厚みはムーブメントに使われているという事がよく分かります。



ムーブメント側を斜めから見ると、ブリッジの厚みと堅牢さが…



各ブリッジの面取りは一般的なR(曲面)ではなく、より困難な45度のC(直線カット)にするとのこと。
これにより、Rよりも角度による光の反射によるコントラストが強調されるそうです。



ジュネーブ的なコート・ド・ジュネーブではなく、ル・ロックル仕上げ、個人的には大好きです。



懐中時計の「腕化」の印象そのままの装着感。



このように、作品は素晴らしい、という事ですが、更に彼の時計作りについてもぜひお伝えしたいことがあるので少しだけ続けます。

やはり、どうしてもル・ロックル在住の「日本人」時計師、という事が注目されてしまいがちで、それは仕方がないことですが、スイスで経験を積んでたどり着いた彼の時計作りはむしろ「現代スイス以上にスイス的」という事に注目すべきではないか?という事です。

スイス的、と言っているのはスイスの伝統的なスタイルである各種専門職(プロフェッショナル)がそれぞれの専門分野で100%の力を出して素晴らしい部品を作り、それを時計師が仕上げて組み立てる「水平分業」という産業構造の事です。
例えば、ケースはJuvalのオーナーが経営しているケースメーカーが製作しており、このメーカーはいわゆる老舗メゾンにも供給するような超一流のサプライヤーですが、「関口氏なら」という事で小ロットの生産に協力し、上質なケースを供給してくれています。

「すべて自分で作った」ではなく、スイスには今でも伝統的な技術を受け継ぐ素晴らしい専門家が居て、専門分野の力を合わせることで、一人では決して作れないようなレベルの作品を作る、という事は隠さず誠実に伝えたい、と関口氏の思いはそのまま伝えたいので、今回書きました。
ただ、それぞれの一流が協力してくれるのは関口氏の誠実な人柄によるもの、と私は思います。

これは、「青は藍より出でて藍より青し」でしょうか。



正直、関口氏については、思い入れが強すぎて、どうやっても「客観的」なことは書けないな、と思ったので開き直って、勢いでお伝えする「深夜のラブレター」で書くことにしました。

改めまして、完成おめでとうございます!

関連 Web Site

小柳時計店
(コンタクトは小柳さんが窓口になって取りまとめるそうです)
http://www.koyanagi-tokei.com/