ジラール・ペルゴ: スリー・ブリッジ トゥールビヨン 150年の歴史と受け継がれる美学

 By : KIH

皆さんは、「ジラール・ペルゴ」というブランドにどのようなイメージをお持ちでしょうか。

先日掲載した、ベルリンOFF会の記事でも強烈なGPコレクターを紹介しましたが、彼のようなカルト的なファン層を持つ、非常に歴史が長いブランドで、実は筆者の敬愛するブランドの1つでもあるのです。

「ジラール・ぺルゴ」が世界中で敬愛され、そして最近のわが国でも、熱いファンと高い評価をさらに拡大し続けているのはなぜなのでしょうか?

まず第一にはその歴史でしょう。
1791年の創業以来、一度も途切れることなく紡がれた歴史は226年の長きにわたること。また、日本との関係も深く、創業者コンスタン・ジラールの縁戚にあたるフランソワ・ペルゴが1861年、なんと幕末動乱の真っただ中に来日、横浜に商館を開き、「ジラール・ぺルゴ」の懐中時計の販売を行ったのです。ゆえに、わが国に初めて正規輸入販売されたスイス時計は「ジラール・ペルゴ」ということになるのです。






そして次に仕上げの美しさ。
これもさすが226年間時計を作り続けている老舗ならではのことで、全ての作品には歴史の重みがあります。手作業の部分は徹底的に手作業でのこだわりが感じられ、ルーペを通して見るのがとても楽しみな時計を作ります。

これだけで時計オタクはわくわくするのですが、その中でもなかなか手の届かない、格別な名作がジラール・ペルゴには存在します。それが今回紹介する「スリー・ブリッジ トゥールビヨン」です。
見るだけでうっとりとするその造りですが、今回はその歴史と、伝統に裏付けられた美学について書きたいと思います。


まずは「スリー・ブリッジ トゥールビヨン」に潜む遠大なヒストリ―を振り返ります。

GPHG 2016で、トゥールビヨン オブ ザ イヤーを受賞した「ラ・エスメラルダ」に続き、今年もスリー・ブリッジ トゥールビヨンの新作が発表されましたことは既報の通りです。

「ラ・エスメラルダ トゥールビヨン」



ジラール・ペルゴのアイコニックな存在の1つである、スリー・ブリッジ トゥールビヨンは、2017年の今年、誕生から150周年を迎えました。なぜ150年にもわたって作り続けられているのか、そして、今や多くのブランドから発表されるようになったトゥールビヨンとは何が違うのでしょうか。


2017年モデル スリー・ブリッジ トゥールビヨン


1.コンスタン・ジラールとトゥールビヨン
読者の皆さんは、あの著名なアブラアム=ルイ・ブレゲ(1747~1823年)がトゥールビヨンを発明したことをご存知だと思います。そして、この機構は未だに時計の芸術の最も優れた表現の一つであると考えられています(大好きな方も多いですよね)。しかしながら、トゥールビヨンは複雑かつ大変高価な構造であり、実は忘れ去られる可能性があったのです。ブレゲの死後四半世紀の間、トゥールビヨンを製品化して商業的に成功させた時計師やブランドが存在せず、また、伝統的な時計製造の技術が進歩したおかげで、はるかに安価で精度も消費者が満足できる程度のレベルのものを製造することが可能になっていました。


コンスタン・ジラール(1825 - 1903年)


かろうじて「命拾い」をしたのは、ちょうどこの時代、精度コンクールや万国博覧会への関心により、競合相手を打ち負かすことが時計師たちの目標となっていったためです。かのブレゲの発明が、この競争に勝つことに役立つかもしれないということを、一部の時計師たちにはしっかりと記憶させていたのです。そして、優秀な時計師として、コンスタン・ジラールは、当然トゥールビヨンをつぶさに研究していました。





コンスタン・ジラールは、かなり早い段階からトゥールビヨンやムーブメントの安定した運動速度などに注目していました。彼はムーブメントの構造やその部品の形にまでこだわりを見せたのです。こうして1850年代半ば、彼は並行にならべた3つのブリッジを備えたキャリバーにトゥールビヨン調速機を付属させた時計の開発を始めました。のちに有名となるこのムーブメントには、その発案時から特徴的な構造とアロー型ブリッジが付属していることが描かれていました。そして完成した時計は、今から150年前、1867年にヌーシャテル天文台の時計コンクールで優秀賞を受賞しました。


ニッケルのブリッジを使った、初めてのスリー・ブリッジ トゥールビヨン(1867年)。




2.さらなる工夫と「ラ・エスメラルダ」の開発 - 機能とデザインの融合
コンスタン・ジラールは、なおも職人としての技術力とデザイン性への追求を続けました。ゴールドを実用的な素材としてムーブメントに組み込み、ブリッジを構造的にも意味を持たせるべく、さらに細かく手直ししたのです。ジラール・ペルゴが特に意識しているシンメトリー(左右対称)な配置になるように、必要な機構を留めるためには構造上3本のブリッジが必要だったのです。3本のブリッジのデザインと機能の融合を現代の我々が解説しようとしてみれば、以下のような感じだと思われます。:

  ・ 香箱と2番車は、動く力が強いので、しっかりと留める必要がある。
  ・ 安定性を考慮して、テンプも同様にしっかりと固定させなければならない。
  ・ 上述を踏まえてこれらの機構を配置すると、3つの輪列になる。
  ・ 必要最大限の固定、必要最低限の部品という2つの相反する要素を組み合わせるためには最適のデザインであった。


コンスタン・ジラールは、並行にならべた3つのアロー型ブリッジを備えたトゥールビヨンのデザインの特許を、1884年3月にアメリカの特許局に申請を行いました。このアイコニックなキャリバーの開発によって、コンスタン・ジラールは時計ムーブメントの革新的な未来図を描いてみせました。実際、150年経った今でも基本的な構造とレイアウトはそのままで作り続けられています。考えてみれば、CADもなく、原始的な工作機械しかなかった時代に、スリー・ブリッジ トゥールビヨンを製作することがいかに大変だったか。今では当たり前のことかもしれませんが、トゥールビヨンを正面から見せるために、当時はわざわざ運針が逆回転になるよう機構を組んでいたという非常に手間のかかることを行っていたのです。



特許証



1889年、コンスタン・ジラールは、このコンセプトの最高傑作であり、ケースやムーブメント部分に美しい彫刻が施された「ラ・エスメラルダ」の愛称を持つ「スリー・ゴールド ブリッジ トゥールビヨン」を発表しました。このピボテッドデテント脱進機と3つのゴールド ブリッジを備えた懐中時計型トゥールビヨンがパリの万国博覧会で金賞を受賞すると、その名は瞬く間に知られるようになりました。


金賞の賞状




ラ・エスメラルダ




豪華なエングレービングが施されている。




3. 150年間、基本構造の変わらないムーブメントが作り続けられている
こうして、スリー・ブリッジ トゥールビヨンの150年に亘る歴史が始まったわけですが、ジラール・ペルゴはおよそ20種類の「スリー・ブリッジ トゥールビヨン」を制作しました。メゾンを代表するモデルとしての地位を確立した「スリー・ブリッジ トゥールビヨン」は、1860年代から構造全体に変更が加えられていない、現在も製造されている世界最古の時計ムーブメントとも言われています。これは、芸術品のように一点一点が手作りだったということが功を奏し、現在も一点から復元または製造が可能というのがジラール・ペルゴのスリー・ブリッジ トゥールビヨンの凄さだと言えます。これが量産される時計だった場合、工作機械の設定などにコストも労力もかかることから、完全な復元、またこれだけ長く作られ続けるのは不可能だったでしょう。価格はそのまま、あるいは毎年のように値上げしつつも、コストはより安く、熟練職人をなるべく使わず、かつそこそこの仕上げかつ精度に作るにはどうしたらいいか、という方向に流されていたでしょう(まさに、今みなさんがよくご存じのブランドで起きていることですよね)。

ジラール・ペルゴというブランドそのものを表すと言ってもいいこのムーブメントは、ブランドの歴史におけるいくつもの重要な出来事に深く関わっています。クォーツブーム真っただ中の1970年代後半、ジラール・ペルゴはクォーツ危機を生き残ったばかりでなく、早くも伝統的な機械式時計への回帰を打ち出し、1889年に制作された有名な懐中時計型の「スリー・ゴールド ブリッジ トゥールビヨン」の復刻版を1981年に20点制作しました。そして10年後の1991年には、マニュファクチュール創業200周年を記念して、「スリー・ゴールド ブリッジ トゥールビヨン」を小型化した腕時計を新たに発表したのです。


1981年バージョン20個限定復刻版


初の腕時計「スリー・ブリッジ トゥールビヨン」(1991年)



と、上述の通り、象徴的な「スリー・ブリッジ」キャリバーは150年の間、ジラール・ペルゴのアイデンティティを体現し続けていると言えます。もっとも、デザインは時代と共に多少の変遷を経験してきました。最初に発表されたブリッジはニッケル製のシンプルなフォルムでしたが、その後、上述のようにゴールド製のアロー型や、ストレートブリッジをさらに加工したデザインも登場しています。21世紀に入ってからは、チタン製の現代的なデザインが採用され、さらにサファイアクリスタルやスピネル製も生み出されています(同上)。

「ブリッジ」を使った様々なデザイン。


チタンケース


サファイアクリスタル製ブリッジ



スピネル製ブリッジ






現在のジラール・ペルゴのブリッジ コレクションでは、新しい「スリー・ブリッジ」世代は、クラシックとコンテンポラリーの両方のコレクションがあります。アイコニックなムーブメントデザインであるアロー型ブリッジは、「ゴールド・ブリッジ」シリーズでは伝統的な素材と仕上げで装飾されています。一方、現代的な「ネオ・ブリッジ」シリーズでは、現代的な複合素材とデザイン、最新の仕上げが採用されています。

「ネオ・トゥールビヨン」












4. 技術に裏づけられた美学と仕上げのこだわり
さて、最後になってしまいましたが、ではジラール・ペルゴのトゥールビヨンが他社対比抜きんでているのは、その先進性に基づいた息の長いプロダクトラインであることはもちろんですが、その「仕上げの美しさ」であることを強調しなければいけません。スリー・ブリッジ トゥールビヨンを見てすぐにわかると思いますが、実は文字盤がありません。よく見たらブランド名も文字盤らしき部分にはありませんね。


文字盤のように見える部分は実は「地板」であり、3本のブリッジによって、その下に収められているムーブメントを固定しているのです。デザインと機能を融合させたこの3本のゴールド製ブリッジの仕上げは、磨きのみを行う少人数の職人が手掛けており、非常に少量しか年に作ることができません。




1本1本のブリッジの面取りの作業には丸2日かかり、ネジ穴にポリッシュ仕上げを行い、最後に細心の注意を払って全体のポリッシュ仕上げにかかります。この作業を丸7日間かけて行います。





ブリッジは表面、面取りされた溝、そして側面が鏡面仕上げに磨かれます。裏面が磨かれますが、こちらは鏡面ではなくヘアライン仕上げとなります。






先日のマスタークラスでの某時計師見習の慣れた(?)手付き。



写真はエルダーフラワーの木の棒ですが、ジラール・ペルゴの複雑時計の制作に欠かせないものです。3本のブリッジを7日間かけて磨き続ける間に使用するエルダーフラワーの木の棒の数は平均25本です。これを自分の手に合った長さに切り、カッターで先端をとがらせたもので磨いていきます。エルダーフラワーの木は、ラ・ショード・フォンに自生し、時計作りを何百年も前から支えてきました。





ジラール・ペルゴ社では250名の時計師のうち、20名がトゥールビヨンをはじめとする複雑時計を製作しています。こうした複雑時計は一人の時計師が最初から最後まで責任をもって組み上げていきます。



3本のブリッジは、専門の職人によって磨き上げられますが、組み立てに使われる大小さまざまな大きさのネジは、時計師が各自磨いて使用します。通常、部品磨きの作業には2.5倍のルーペをつけて行いますが、仕上げの確認には10倍のルーペを使用します。それでも、最終的な検品部門からやり直しを命じられることもあるのだとか。

こちらの方の眼鏡の前に2種類のルーペがついているところにご注目ください。



以上のように、歴史と伝統に則り、ここまでやるこだわり・情熱、そしてそれを遂行できる人材が、トゥールビヨンをはじめとする複雑時計の他ブランドとの違いであり、ジラール・ペルゴをジラール・ペルゴたる存在に今日まで226年間引き継がれてきた大きな特徴、と言えるのではないかと思います。

皆さんも、これからジラール・ペルゴの時計を見るときには、ちょっと違う角度から見てみてはいかがでしょうか。ルーペは必須です(笑)。




さて、今度はどんな「スリー・ブリッジ トゥールビヨン」を見せてくれるのでしょうか?
それを想うだけでワクワクさせてくれる時計、それが「ジラール・ぺルゴ」の大きな魅力のひとつであることは間違いありません!