独立系メゾン訪問 : アンドレアス・ストレーラ ジルナッハ ワークショップ

 By : CC Fan
独立系メゾンの訪問の最終回、アンドレアス・ストレーラ(Andreas Strehler)のジルナッハ(Sirnach) ワークショップのレポートをお送りいたします。

ストレーラ氏とは1月のSIHHで初めてお会いし、氏のご厚意によって工房を訪ねさせていただきました。
今回訪問した他のメゾンはスイスのフランス語圏、ヌーシャテル州付近でしたが、氏の工房だけはドイツ語圏、トゥールガウ州のジルナッハにあり、ヌーシャテルの駅から最寄り駅のヴィル(Wil)駅まではICEで移動しました。
ジルナッハは人口7000人弱ののどかな土地で、宿泊施設も修道院を改装して作ったというホテル一つしかありません。



今回はストレーラ氏にご尽力いただき、直接予約を取っていただきましたが、ネット経由だとなかなか予約が取れないようです。
また、フロントが18時に閉まってしまうのでチェックインはそれまでに済ませなければいけません。



各部屋は部屋番号の代わりに聖人の名前が付けられています。
夜中の廊下はなかなか雰囲気があります…

今回のスイス旅行で訪ねた、ヴィアネイ・ハルター、クリストフ・クラーレ()、そしてアンドレス・ストレーラという組み合わせは、期せずしてハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON)の独立時計師とのコラボレーションによる作品、OPUS(オーパス)繋がり(3,4,7の順)になりました。
チャペックの二日目で訪れたクロノード(Chronode)社のジャン・フランソワ・モジョンもOPUS X(10)を作っていますが、ご本人にはお会いできなかったのが残念です。

これまでのレポート同様、まずはOPUS7の時計師インタビューの動画を掲載いたします。


ストレーラ氏に対するインタビュー by ハリー・ウィンストン公式チャンネル

時計師としてあくまでムーブメントを主とし、独自の美しさを追求したピースです。
13までのオーパスは作品Noと発表年の下位が同じになるように発表されており、7の2007年は回線の高速化によりインターネット上でも徐々に動画が扱えるようになってきていました。
そのため、ハリーウィンストンのWeb Site上ではCGによるプロモーションビデオも公開されていました。
(なぜか7の次はXの実写に飛んでしまっていますが…)


OPUS7 by ハリー・ウィンストン公式チャンネル

こちらはYouTubeに後年アップされたものです。
流石に今見ると時代を感じるCGですが、ただものではない機構はうかがい知れるかと思います。


OPUS7 ムーブメント(動作品)

こちらのピースもムーブメントだけですが拝見し、10年間理解できなかった機構についてもご教示頂いたので別途レポートします。

氏を表す言葉として、工房開設20周年を記念して作られた20 Years bookのタイトルがピッタリだと思ったので引用いたします。


Andreas Strehler – Engineer for the Brands – Watchmaker for the Few

このタイトルが表しているように、二つの顔があり、一つはブランドのためのエンジニア(Engineer for the Brands)です。
数多くのブランドに対し、設計、試作、工業化のための社外アドバイザーとして参加し、素晴らしい作品を作る手助けをしてきました。
Web Siteに掲載されているだけでも、前述のOPUS7の他、H.モーザー(H. Moser & Cie)の永久カレンダーをはじめとするムーブメント、メートル・デュ・タン(MAÎTRESDU TEMPS)のチャプター3(カリ・ヴティライネンとの共同開発)、モーリス・ラクロワ(MAURICE LACROIX)のクロノグラフムーブメント(LE CHRONOGRAPHE)などが挙げられています。
これだけではなく、明らかにできない"秘密のお仕事"はいくつもあり、独立時計師を含めた業界の内情も含めて興味深いお話を伺うことができました。

もう一つの顔は少数のための時計師(Watchmaker for the Few≒独立時計師)としての顔です。
自分が納得できる時計だけを作り、声高らかに宣伝することもなく、理念を共有してくれるコレクターだけを相手にする…コレクターの希望を叶えるために直接の対話による一品物のビスポークも受け付ける…という伝統的な独立時計師です。


工房前の大きな木

会社組織としては従業員8人の部品製造会社(UhrTeil AG)という形をとっていますが、時計師はストレーラ氏のみで、代表のストレーラ氏、設計製図補助1人、アドミニストレーション2人、部品製造エンジニア4人という構成で、独立時計師としては部品製造を除いて一人の体制で取り組んでいるようです。



工房は元々織物工場だったという建物を買い取って作られています。
まずは部品製造を行っている部門を案内していただきました。

旋盤やワイヤー放電加工機など一般的なNC工作機械が余裕をもって配置されています。


測定器付きのフライス盤


5軸マシニングセンタ


材料供給機付きの自動フライス盤


フライス盤のコントローラ


ワイヤー放電加工機


創業当時ですら年代物だったというワイヤー放電加工機とボール盤(現在は使用していない)


CNC旋盤


加工の様子

現在は使っていないそうですが、ストレーラ氏が自作!したという工作機械も見せていただきました。



どことなくオリエンタルな雰囲気(開口部の形がインドの神殿を思わせる?)が漂う機械で、水冷式のフライス盤⁺旋盤⁺αのような機能を持っているそうです。
基台は高密度のコンクリートを使っており、表面の塗装も自分で行ったそうです。



CNCコントローラーも自作!
使われているICが時代を感じさせます…



エアー?の配管です。

部品メーカーとして仕上げは機械仕上げと手仕上げ、両方を手掛けており、顧客からのオーダーによって仕上げも変わるそうです。
もちろん、アンドレアス・ストレーラ銘のタイムピースは最上級の手仕上げが施されています。



手仕上げを行うための部屋です。



手仕上げの時に使用するラッピングマシンです。
手作り感が素敵です。



作られた部品も展示されていました。
これはメートル・デュ・タンのチャプター3の地板とブランドの特徴になっているローリングバーです。
ヴティライネン氏がムーブメントの基礎設計を担当し、ストレーラ氏が"窓"の開閉機構と全体の工業化を担当したそうです。



半地下が倉庫のようになっており、古い機械や材料が整理されていました。



部品製造部門の見学はここまでです。
工場の壁には"200万年に1回の調整"というルナ・パーペチュアル(Lune Perpetuelle)のタペストリーが飾られていました。



個人的には最も理に敵った構造でシンプルだと思っているコンスタントフォース機構、ルモントワール・デ ガリテ(REMONTOIR D'ÉGALITÉ)の原理模型です。
拡大したものを眺めれば眺めるほどいい設計だと実感します。



200万(2,060,757)年に1日の誤差しか出さないムーンフェイズは"世界一正確なムーンフェイズ"としてギネス記録を取得しています。



今年のバーゼルで使った、世界一正確なムーンフェイズをわかりやすく展示するためのディスプレイです。
曰く、動力は"チート(バッテリーとモーター)"ですが、ギアの構造などは本物と同じとのこと。
このスペースで複雑な変則比を実現できた秘密は外歯車と内歯車が切ってあるドーナッツ状の歯車を複数使うことで効率よく変速できたからとのことでした。
ドーナッツ状の歯車は通常の歯車と違い、回転方向が反転しないため、反転のための中間車も省くことができたことも省スペース化に貢献したそうです。
"精度が出せたのはマジックでもなんでもなく数学の問題に過ぎない"というのはエンジニアらしいお言葉でした。



せっかくの高精度ムーンフェイズも合わせることができなければ意味がないという考えから製作した、バーニアスケール(特許出願中)の模型です。
ムーンディスクから1:2のギアで接続され、ノギスと同じ要領(差動装置)で読むことで月齢を3時間の精度で合わせることができます。

以前の記事でも掲載しましたが、合わせ方は固定された外側の目盛りが月齢の日付を表し、約29.5日で一回転する内側のリングの赤矢印が日付を指しています。
赤矢印が外側の黄色部分を指している場合はリングの黄色の部分の目盛りと外側のリングの目盛りが重なったところが月齢の時間です。
逆に赤矢印が青色部分を指している場合は、リングの青色の部分の目盛りと外側のリングの目盛りが重なったところが月齢の時間です。
目盛りは3時間刻みなので、この機構によりダイレクトに3時間単位で月齢を合わせることが可能となります。

この後、各種タイムピースを見せていただきましたが、それは別記事…は流石にひどいので、今年のバーゼル新作、ワールドタイムのソートレル・ウール・ムンディ(SAUTERELLE À HEURE MONDIALE)の実機写真を掲載します。



ルモントワール・デ ガリテに対比する位置に地球儀が置かれています。
この地球儀は24時間で一回転し、世界各地の時間を直感的に確かめることができます。
メインの時分針はリュウズの一段引きでデュアルタイムの時計のように1時間刻みで前後させることができます。



裏面には現在地を示すインジケーターとムーンフェイズが備えられます。
表の地球儀同様、このインジケーターも24時間で一回転するため、サファイアクリスタル上に目盛りを用意すればルイ・コティエ様式のワールドタイマーにもなります。
機構的にはかなり面白いことをやっているので、それは別記事で。

そして、ストレーラ氏の作業部屋に移ります。



公式Web Siteの写真でも出ていますが、Wacomの大型液晶ペンタブレットを使った設計環境を構築しています。



右手にペン、左手に3Dマウスという方法でダイレクトにモデルを構築していくようです。
(Webサイトに掲載可能なモデルで作業風景を再現していただきました)



氏曰く、このセッティングは椅子の高さを変えることなく時計師机と行き来することができるようにしてあり、製作と設計の間をシームレスに行き来しながら作業を行えるようになっているそうです。
また、集中力を要求する製作作業の邪魔になる騒音を発するPCは先ほどの半地下の倉庫(この部屋の真下)に隔離され、映像と入出力だけ延ばしてきているそうです。



こちらは時計師机、自社銘のピースのほか、ルノー・エ・パピ時代に某社向けに作ったムーブメントをコレクターに頼まれて修理している途中とのことであまり寄らないようにしました。
珍しい取り組みとしては、作業時の手元が撮影できるように定点カメラ(SONY α6?)を設置しているようです。
ハルター氏と同じように、両眼で覗く立体顕微鏡も備えられています。



部屋の三辺にそれぞれの用途の机があり、最後の一辺に部品のストッカーがあるという製作者にとっては夢のような環境が構築されています。



最後の机には小型旋盤などこまごましたものが置かれていました。



カタログ写真の撮影などもご自身で行うようで、手作り感あふれるライトとマクロレンズを備えたミラーレス一眼(SONY α7)の撮影セットが部屋の片隅にありました。

業界で話を聞くと、よく"ストレーラ氏はとても良い人物で、彼を悪く言う人はいない"という話を伺いますが、今回直接お会いし、工房を見学してその言葉を実感できました。
WMOに関しても、快く写真仕様・掲載の許可をいただくことができ、その恩に報いることができるようこのような記事を書いています。ありがとうございました!

次のバーゼルに向けた新作もチラ見せさていただきましたが、かなりの力作で今から期待できます!

お伺いしたところ、日本人コレクターで(少なくとも直接は)氏のピースを購入している方はいないとのことですが、氏は日本に二回来ています。
OPUS7の時とノーブルスタイリングが銀座のギャラリーで行ったPALACEイベント(2013)の時で、PALACEイベントの時にはクラーレの関口氏とご一緒だった言う思い出話をしてくださいました(ノーブルスタイリング葛西氏曰く、カラオケが上手く、マイクを離さないとのこと)。

極論ですが、会社自体はエンジニアリングのコンサルと部品製造で充分な収益があるようで、時計作りは採算より、ただひたすらに自身の理想を追求していると感じました。
似たようなことは言葉だけならなんとでも言えますが、ちゃんと裏付けがあり、継続して行えるのはなかなか無いのではないでしょうか。


ここからは余談です。
作業部屋や応接スペースにはアンティーク時計をレストアしたものが実用品として設置されています。



これは作業部屋に設置された"ミステリークロック"、振り子そのものが時計になっており、揺れながら時を刻みます。
原理としてはピンのようなものがケース側から出ており、それが本体側の脱進機構と噛み合うことで揺らしているようです。



応接室に置かれたスタンダードな振り子時計です。



工房の玄関にもアンティーク時計を修復したものが置かれていました。
特に固定もされていなかったので、"(盗難とか)大丈夫なの?"と伺ったところ、"ジルナッハは平和だから大丈夫"とのことでした。





社用車はルノーの電気自動車、ゾエ(ZOE)。
ブランド名とピース写真はマグネットシートで張り付けるのはドイツ的合理性でしょうか。

関連Web Site

Andreas Strehler
http://astrehler.ch/

Bespoke
http://astrehler.ch/bespoke/