カンタロスの里帰り延長に寄せて(コンスタントフォースのそもそも論)

 By : CC Fan
前回からまた少し時間が空いてしまいました。
まずはクリストフ・クラーレ(Christophe Claret)について。
カンタロス(Kantharos)は相変わらず好きですが、前回の時点でいい方向でまとまったかに思えた最近のクラーレ社のやり方について、いろいろ納得できないことがあり、ここ数日間、本国ともめていました、現在もあまり解決はしていませんが、悪いことばかりを嘆いていても仕方がないのでカンタロスのことを書きたいと思います。
問題も、SIHHの直接の話し合いで解決すればいいのですが。

今回文章多め、図版少なめなので、まずは雪景色のクラーレ社でもどうぞ。



これは、本館前、クリストフ・クラーレのロゴとマニュファクチュール・クラーレのサインが置かれています。

さて、カンタロスに搭載されている機構のハイライトは、なんといってもコンスタントフォース機構です。
この機構の仕組みとメリットについては、以前の記事に書きました。
今回は、機械として見たときコンスタントフォースに感じる疑問について見ていきたいと思います。

コンスタントフォースのメリットは以前の記事にも書いたように、"定力化"、すなわち脱進機に伝わるトルクを香箱の出力に関係なく一定にすることです。
これにより、パワーリザーブ残量に関係なくトルクに依存する歩度を一定に保つ…というのが機構の最終目標です。

このメリットを考えると精度が重要であると考えた場合、もっと使われてもいい機構だとは思いますが、なぜか採用例はあまり見かけません、これをなぜ?と原点から考えてみたいので"そもそも論"とタイトルをつけました。
カンタロスのコンスタントフォース機構の図を再掲します。



図からわかることは、結構複雑な構造だということです。
簡単化して考えると、トルクの蓄積・開放を制御するために脱進機をもう一個設けたような構造なので、単純に考えても脱進機周りの部品数が倍になります。
ストライキング機構付きモノプッシャークロノグラフという別の複雑機構も兼ね備えているとはいえ、カンタロスの部品数は合計558個(カタログ値)とあまり聞かない多さです。
この複雑さはコンスタントフォースがあまり使われない原因の大きな比重を占めていると思われますし、コンプリケーションとしてトゥールビヨンや永久カレンダーと並んで評することもできることも示しています。

複雑さ以外の困難さを考えてみましょう。
問題として、機構の原理上絶対に起きうる問題と、実現方法(実装)によって発生する問題の二つに分けます。

原理上の問題は、
  • 振り角の低下(トルク絶対値の低下)
  • トルク伝達の下流から上流をコントロールする必要性
の二つで、実現方法によって発生する問題はカンタロスのものを例にすると
  • 星形カムによるアンクル駆動
  • アンクル止め石と始動歯車の当たり角
  • 始動歯車と秒の歯車の同軸構造
あたりが問題ではないかと思っています。
ひとつずつ見ていきましょう。

振り角の低下(トルク絶対値の低下)

コンスタントフォースがトルクを安定化させるのは、言い換えれば余剰なトルクを捨てる動作で、ガンギ車に伝わる絶対値としてのトルクは少なくなり、振り角は落ちます。
しかし、これは"パワーリザーブ残量に伴って振り角が変化するより、低い振り角でも安定していたほうが良い"という考え方に基づいているため想定された動作です。
ただし、振り角が低いということはテンワが同じで、同じ振動数・慣性モーメントであれば蓄えられているエネルギーが少ないということであり、衝撃などの外乱に対して弱くなるはずです。

トルクを捨てなくてはいけないという点が、同じく定力化を目標としたチェーン・フュジーとは異なるところです。
チェーン・フュジーは回転速度とトルクの比を変化させる変速機として働くため、トルクは有効に使うことができます。
しかし、回転速度も変化するため、時分針より手前、香箱直後にしか置くことができず、コンスタントフォースのようにガンギ車直前で安定化することは不可能です。

振り角はエネルギーをいったん蓄えるためのヒゲゼンマイのテンション設定にもよりますが、テンワの振り角はカンタロスでパワーリザーブが切れる直前の220度から240度ぐらいをパワーリザーブの全域で確保するような設計だそうです。

現在は一般的な実用時計でも、振り角を上げまくるような設計よりも適度に抑えるそうですが、それに対しても低めです。

ただ、どちらが良いのか?というのは使い方の問題もあるので何とも言えませんが、腕の上に乗っている腕時計では外乱のほうがクリティカルな気はします。

トルク伝達の下流から上流をコントロールする必要性

これがもしかした制作と調整を難しくしている一番の原因かもしれません。
コンスタントフォースは動作としてエネルギーの蓄積・開放のタイミングをトルク伝達の下流側から上流側に伝える必要があります。
これは、トルクの弱い方から強い方を押し負けないように上手く動かせと言っているのと同じなので、結構な無茶な要求です。

もちろん、タイミングだけ伝え、強いトルクが弱いほうに逆流しないような機構として設計するのですが、なかなかうまくいかないのはカンタロスの里帰り頻度でわかるというものです。
これに対する解決策はコントロールすべきトルク(力)を小さくしてしまうというコロンブスの卵のような例がありますので、最後に紹介します。

星形カムによるアンクル駆動

ここから先は先ほど掲載したカンタロスのコンスタントフォース機構に特有の設計です。

タイミング制御のために、Cの星型カムの側面形状をAのアンクルの爪石がなぞることによってアンクルが動かされます。

カムは爪石をこじりながら押し上げるように動くので、常に摩擦によるロスが発生します。
また、回転運動を往復運動に変えているため、折り返し地点の遊びを適切に設定していないとロックしてしまったり、逆にアンクルが動きすぎたりしてしまいます。

他の設計ではより抵抗の少なそうな、ルーローの三角形型カムを平たい石で受ける構造のものもあります。



ガンギ車で直接回しているのも含め、抵抗はこちらのほうが小さそう…

カンタロスも流石に無理があったのか、製品版は明らかに図よりも山が低い星型(むしろほとんど五角形)のカムになっています。
また、カンタロスより先行して開発されていたマエストーゾ(Maestoso)ではより大型の始動歯車とほぼ同径のカムでより安全を見た構造でした。



これは、以前の記事にも書いたように、マエストーゾの開発で知見が得られたので、小型化してカンタロスに搭載したようです。

アンクル止め石と始動歯車の当たり角

アンクルが始動歯車を停止・開放するための爪石は停止状態では歯に対して90度で当たっているように見えます。

90度で当たっていれば、爪石に働く力は摩擦力のみですが、90度からずれてしまうと引き込んだり押し出したりする力が働きます。
アンクルは直線的に動くわけではなく、軸を中心に弧を描くように動くため、当然90度からずれてしまいます。

これによって引き込む力が発生し、爪を引き込む力がカムの駆動力より大きくなってしまうとロックしてしまう…と考え、メゾン訪問の時に設計者に聞いたのですが、それについては対策しているとのことでした(フランス語なのであまり細かいニュアンスは不明)。
押し出す力であれば最悪大丈夫だとは思うのですが、角度の付き方を見るに引き込む力になりそうです。

また、普通のスイスレバーのアンクルのようなドテピンで規制する構造ではなく、アンクルの可動域を規制するのはカム任せなのも気になっています。

始動歯車と秒の歯車の同軸構造

始動歯車と秒の歯車はヒゲゼンマイのみでつながっていますが、軸は共有しています。
より正確に言うと、始動歯車の上下に伸びた軸に秒の歯車がカッパーベリリウム製のブッシュを介して取り付けられている構造です。

始動歯車は上下のブリッジの二点で支えられていますが、秒の歯車は一転でしか支えられておらず、しかも高い位置に取り付けられたヒゲゼンマイがねじるように力を加えるため、偏摩耗しそうです。


せめてもう少し秒の歯車が厚めで、軸を2点とかで受けられれば…

さて、私は歴史にはあまり明るくないですが、カンタロスで問題になったことは、おそらく昔のコンスタントフォースの問題をそのまま引きずっています。
これはクラーレが、古典を現代の技術を使い、古典のままでひねりを入れて再現するのを好む(如実なのはロングレバーデテント脱進機をそのまま腕化したマエストーゾ)ためだと思われます。
問題は現代の技術をもってしても問題が取り切れていないことですが…

逆に、他ブランドを見てみると変更を加えることで上記の問題を解決したコンスタントフォースもあります。
2つほど見てみましょう。

リヒャルト・ランゲ・ジャンピングセコンド

一つ目はランゲ&ゾーネ(A. Lange & Söhne)のリヒャルト・ランゲ・ジャンピングセコンドのコンスタントフォースです。
作品名からも現れているように主題はジャンピングセコンドですが、ステップ運針の実現のためにユニークなコンスタントフォースを使っています。

こちらが輪列図です。
1つの香箱から完全に独立した輪列が2つあり、香箱の向かって右からヒゲゼンマイを経由してテンプにつながるのが定力化されたメインの輪列、香箱の上からステップ秒針(青い針)を経てガンギ車に当たっているレバーに至る輪列がコンスタントフォース制御を行う輪列です。

図では見づらいですが、ガンギ車のレバーが当たっているところには5歯の星状歯車があり、1秒に1回レバーを開放します。
通常時はレバーを星状歯車がロックしているため、香箱は動かず定力化された輪列はヒゲゼンマイのエネルギーのみで動きます。
レバーが解放されると一瞬でほぼ360度回転し、香箱が動いてエネルギーがヒゲゼンマイに蓄えられます。
つまり、この設計は香箱まで遡ってタイミングを制御するコンスタントフォースとして働きます。

この機構では振り角が落ちる以外の問題がほぼ解決されています。
特に、原理的に不可能だと思われたトルクが弱い側から強い側を制御しなければいけないという問題がなくなっています。

詳細に見てみましょう。
ガンギ車は5秒で1回転、対してステップセコンドを制御するレバーは1秒で1回転(ほとんどの時間は停止→一気に開放を繰り返す)です。
同じ香箱からエネルギーが供給されており、入り口のトルクは等しいと考えると、トルクは回転数に反比例するため、ガンギ車のトルクに対してステップセコンドを制御するレバーのトルクは1/5であり、トルクが強いガンギ車で弱いレバーを制御すればいいということになります。
さらに、実際の先端に作用する力はトルク/回転半径で求められる(てこの原理)のため、半径が小さい星車と大きいレバーによって実際の力の比はさらにガンギ車のほうが強くなるはずです。
これに加え、回転数を同じ方向にすることによって"押し負ける"という問題が発生しなくなっています。

また、抵抗が大きいカムや、当たり角の問題が起きるアンクルも使われていません。
個人的にはこの設計を見たときは結構感動し、a-lsさんのブログ拙文を投稿させていただきました。
設計として見ると輪列が2つ必要で大掛かりなことと、軸位置があまり自由にならなさそうなので、デザインに制約が出そうなのが問題でしょうか。

ジャンピングセコンドが動く様子は公式動画でどうぞ。



アンドレアス・ストレーラ ルモントワール・デ ガリテ

リヒャルトは輪列そのものを2つに分けましたが、通常の4番車部分に入れるタイプで最も理想的だと思うのが以前も取り上げたアンドレアス・ストレーラ氏のルモントワール・デ ガリテ(REMONTOIR D'ÉGALITÉ)です。
最も理にかなってシンプルな"コンスタントフォース機構だと考えています。


REMONTOIR D'ÉGALITÉの動作の様子(公式サイトより)

香箱からのトルクを受けるアームに取り付けられた星形のホイールが先行する停止用の石によって1秒ごとに開放されることでステップ状に動いている様子がわかるかと思います。

メゾンに伺った時、原理模型も見せていただきました。



こちらも、カムやアンクルではなく、回転運動と星型ホイールのみでコンスタントフォースを実現しています。
原理的に定力化した側が上流より先行することがないため、規制ピンなどもいらないとのことです。



星型ホイールはステップ秒針を兼ねており、文字盤側に配されます。



同軸構造なのは変わりませんが、同軸部分をできるだけ長い軸にし、さらに軸の上下にルビーを埋め込むことで強固に支えるようにしています。
手がそれられているのが3番車で、4番車と同軸のコンスタントフォースの入力側のピニオンとかみ合っています。
驚いたことに、コンスタントフォースの代わりに通常の歯車を入れればそのまま普通の輪列になる構造です。

これだけでも素晴らしいですが、ストレーラ氏は現在これを活かした"さらにすごいもの"を開発中で、今年のバーゼルで発表するそうです。
こちらもとても楽しみです。

さて、コンスタントフォースについてそもそも論で見てきました。
機構としては連続で動く歯車とステップで動く歯車が重なっており見どころが多い機構ですが、なるほどなかなかうまくいかないというのもよくわかります。
まずはカンタロスがいつ帰ってくるかですね…

最後にもう一枚、クラーレ社を。



これは別館前、ジャン・デュナン(Jean Dunand)のロゴが見えています。

関連Web Site

CHRISTOPHE CLARET
http://www.christopheclaret.com/

Noble Styling Inc.
http://noblestyling.com/

A. Lange & Söhne
https://www.alange-soehne.com/ja/

Andreas Strehler
http://astrehler.ch/

Andreas Strehler Bespoke
http://astrehler.ch/bespoke/