カンタロス3周年(里帰り中)に寄せて

 By : CC Fan
2周年の記事でも書きましたが、本日11月3日(文化の日)はクリストフ・クラーレ(Christophe Claret)のカンタロス(Kantharos)が納品された日で、本日をもって丸3年が経過しました。
しかし、肝心のカンタロスはメゾン訪問(前編後編)の前後から長期の"里帰り"になってしまっており、現在は手元にありません…
この通算5回目の"里帰り"とクラーレ社との様々な行き違いによって多少、荒れたこともありましたが、現在は良い方向に決着をつけることができ、穏やかな気持ちで改善を楽しみに待つことができるようになりました。

今回は3周年記念として改めて機構的な面を振り返ってみたいと思います。
アピールされている良いところは何度も見ているので、今回は敢えて設計が厳しいところを何故か?という観点で見ることを中心にしていきたいと思います。

コンスタントフォースの下流から動力を取るクロノグラフ

コンスタントフォース機構はガンギ車に伝わるトルクを安定化して歩度を安定させるための機構です。
機構の目的を考えるとカンタロスの設計で最も微妙なのはコンスタントフォースの下流(トルクを安定化した側)に対してガンギ車と並列にクロノグラフ機構(垂直クラッチ・秒積算計・分積算計)が入っていることです。



コンスタントフォース機構の向かって右下がガンギ車につながるピニオン、左下がコンスタントフォースをコントロールするカムを回転させるピニオン、左上がクロノグラフの垂直クラッチにつながるクロノグラフ中間車です。



とは言うものの、コンスタントフォース機構の上流(トルクが安定していない側)はコンスタントフォースの作用によって1振動/秒でしか動かないため、こちらからクロノグラフの動力を取ってしまうと1秒以下が測れなくなるという問題があります。
時積算計は別のクラッチを使い、上流からとっていますが、これは表示の内容的に1秒に1回動作でも問題ないからです。

理論上は問題がありますが、実際には垂直クラッチの接続時・非接続時の負荷をバランスするように設計してあり、コンスタントフォースから見てクロノグラフ機構の負荷が一定になるようにして影響を最小限に抑えるようになっているようです。

1/4秒刻みのインデックス

カンタロスは6振動/秒(21,600振動/時)ですが、クロノグラフのインデックスは1/4秒刻みでしか入っていません。
そのため、0.5(3/6)秒以外はインデックスの前後を指示しており、停止位置もインデックスとは重なりません。
"高級クロノグラフはインデックスに重なるべき"というべき論に囚われていたころはずいぶん悩みました。



このインデックスは一般的な転写(タコ印刷)ではなく、文字盤表面を彫り込んで中にスーパールミノバを流し込む象嵌という凝った製法で作られており、彫る関係であまり細い線は作ることができません、この製法上の制約とデザインのバランスで1/4秒インデックスになったようです。
また、上の写真でクオーター(00・15・30・45)のインデックスが光っていないのはこの部分だけ針の色に合わせた赤色の素材が象嵌されており、スーパールミノバではないからです、これも少し気になりました。

悩みましたが、べき論より個体としてこのデザインの方が良いという結論に達し、今は気にしていません。

プレスリリース上で"円形劇場"と表現された文字盤はいくつかの金属パーツを重ね合わせた立体的な作りです。
各パーツは塗装ではなく、化学・物理処理(PVD・ガルバニック)で着色された強固かつ経年劣化に強い被膜を持っています。



価格的には上位のマエストーゾ(Maestoso)と比べても文字盤にかかっている手間は勝るとも劣らないといえます。
個人的にはムーブメントを文字盤側から見るよりも複雑性を隠した方が好きなのでカンタロスの方が好みでした。

迂回した自動巻き輪列

5回の里帰りのうち、何回かは自動巻きが巻き上げなくなるというトラブルでした。
確かに機構的に見るとかなり挑戦的で、これ手巻きの方が良いんじゃ…と思うような作りになっています。

カンタロスのムーブメントを手巻きすると、たくさんの歯車が連動して動きます、この連動している歯車はローターにつながる自動巻き輪列です。



香箱の位置はCGからはわかりませんが、向かって右上、コラムホイールの右隣あたりにシングルバレルが備えられています。
向かって左側の巻き芯からの巻き上げトルクはリセットハンマーの下を通り、左からローター上部の輪列を通って香箱を巻き上げます。

一方、自動巻きは中心部のローターから真下にあるワンウェイクラッチで一方向の回転に整流され、向かって右下から右にかけての円弧状のブリッジの歯車7個を経由して香箱に到達します。
ローターから香箱を巻き上げるための変速を考えても7個は多すぎると思いますが、これはコンスタントフォース機構を文字盤側に可視化したのと同様に、クロノグラフ機構を見せるためにわざと迂回させているようです。
最短距離で接続しようとするとコラムホイールから垂直クラッチを制御するペンチの真上を通過しないといけないため、重なることで厚みが出てしまうのとせっかくのレバーの動きをさえぎってしまうのを嫌ったようです。
自動巻きローターのスポークがかなり細いのもあわせ、"手巻きクロノグラフと同じように機構を鑑賞する"という目的に合わせて作られているのが分かります。

ムーブメントCG上の謎の機構

クラーレ社から提供されているムーブメントCGの文字盤側を見ると、12時位置にも機構が見えます。
また、2時半あたりのルビーから謎の軸が伸びていますが、文字盤上にこれに相当する針はありません。



結論から書いてしまうと、12時位置の機構はビッグデイト、2時半位置の機構はパワーリザーブインジケーターで設計段階では検討していたものの、最終的なデザインとの兼ね合いで製品版では使われなくなったそうです。

同じ設計のビッグデイトは2015年発表のアレグロ(Allegro)で使われました。



シースルー文字盤から見える10の桁ディスクと1の桁でディスクの取り付け位置がカンタロスムーブメントCGの軸位置と一致しているのが分かりますでしょうか?
アレグロはカンタロスと同じく、2つのサブダイヤルと6時位置の開口部という意匠を持った文字盤デザインですが、半透明の文字盤を使うことで印象を変えています。

クラーレ社からダウンロードできる資料でアレグロムーブメントの文字盤側CGがないのはこのことを隠している…というのは邪推しすぎでしょうか。

パワーリザーブインジケーターの方は実際に使用されたものはないそうです。

プレス用のCGは設計の早い段階のモデルを基に作られており、設計・試作のフィードバックを反映できていないためこのような現象が起きているようです。
実際に製造に使用したというデータでは機構とブリッジは削除されており、余計なものが残っているということもないです。

プッシャーの押し心地

身内ひいきもありますが、カンタロスのプッシャーの間隔は他のクロノグラフと比べてもかなり良く、個人的には冗談抜きで世界で一番良いんじゃないかとすら思います。

表現が難しいですが、適度な押し心地で動作直前まで押し込んだ状態で待機し、一段重くなった最後の一押しを押すことで一気にクラッチがつながると同時にストライキング機構が打ち鳴らされ、計時が開始されます。
感触は非常にわかりやすく、半押しでの待機も容易です。

この感触はコラムホイールに対する各レバーの当たり方の差で作りこまれているようで、コラムホイールの回転に従ってなだらかに動くブレーキレバー・リセットレバー・ストラインキング機構のハンマーが動作直前までの感触を作り、一気に落ちる垂直クラッチのペンチとストライキング機構のハンマーの開放が最後の一押しの感触を作っているようです。
半押しでの待機は良くないという意見もありますが、レバーが動いているだけでクラッチは切れているため、特に問題はないと考えています。

規制バネの方向を見ると、コラムホイールが直接レバーを押し上げる方向はすべてレバーを開放する方向で、コラムホイールの隙間にレバーが落ちて機構に作用するときはばねに蓄えられた力で行われます。
これは規制バネが力を一度バッファすることで、コラムホイールに加わる可能性がある過大な人の力が機構に伝わるのを防いでいるといえます。
バネで行われるストップとリセットは極めてジェントルで、リセットはフワッとした感じで戻ります。

コラムホイールの作り

高級クロノグラフ=コラムホイール制御と言われていますが、一般的なコラムホイールに比べカンタロスのものはさらに難しい作りになっています。
一般的なコラムホイールでは立っている柱がそれぞれ独立した構造になっていますが、カンタロスのものは全ての柱が繋がっており、柱と柱の間には凹部が残されています。
繋がっていない場合は直線的に削ればOKですが、繋がっている部分を残すように削るのは難しいと考えられます。
他に似たようなコラムホイールを使っているものがないか探したのですが、同じくクラーレが作ったDualTowを除いて見つけることはできませんでした。



また、コラムホイールの直径も一般的なものに比べて小さめになっています。
径が大きいほどレバーに作用する高低差が作りやすく、コラムホイール自体の加工も簡単で、逆に径が小さいと高低差が少ないため調整が難しく、コラムホイール自体の加工も大変です。

この作りについては、敢えて難しい機構を単純化せずに製作に挑戦するというクラーレの姿勢がコラムホイールにも現れていると解釈しました。

価格

いろいろ言いましたが、一番のネックはこれに尽きるのではないかと思います。
カンタロスは専用ムーブメント開発コスト・製作にかかっている手間・機構の独自性・ほかのクラーレ製タイムピースの価格などから見れば、相対的に見れば今でも安いと思っています。
冗談めかしていましたが、クラーレ本人からオーナーの私に対して、『あなたは、(クラーレのタイムピースのオーナ-の中で、)一番と言っていいほど得な買い物をした』と言われたことすらあります。
ひとつの機種にしか使わないクロノグラフムーブメントをわざわざ新規開発するなんてことは前代未聞ではないでしょうか。

ただ、”相対的に"と書いたのは、絶対的な価格で見るとコンスタントフォースとストライキング機構があるとはいえ、スプリットセコンドですらない普通のモノプッシャークロノグラフで1千万円~2千万円というのはなかなか理解されないだろうな…と思うからです。
代理店のノーブルスタイリングさんに聞く限りでは、私が買った以外カンタロスは日本では売れておらず、世界的に見ても作る手間から考えるとそんなに売れているとは思えないとのことでした。


3周年に寄せて

カンタロスは良くも悪くも、時計業界の様々な幻想に囚われていた私に、実際のコンプリケーションタイムピースの世界の片鱗を見せてくれたピースです。
機構を論理的に見ると正しくないのではということろもありますし、いまだ安定は怪しいです、欠点ももちろんありますが、いまだに一番好きな時計で、過去の自分が"べき論"や"正しいから好き"という考え方に囚われすぎていたということを教えてくれたと思っています。

様々なコミュニケーションを通じて改善に尽力してくれた本国のクリストフ・クラーレ社スタッフ、時計師の関口氏、代理店のノーブルスタイリングさんには感謝してもしきれません。
これからもよろしくお願いいたします。

まずは、11月中に"里帰り"から帰ってくるそうなので、それを楽しみにします。

関連 Web Site (メーカー・代理店)

CHRISTOPHE CLARET
http://www.christopheclaret.com/

Noble Styling Inc.
http://noblestyling.com/